2011年2月10日、ミステリー作家・木谷恭介は自ら人生を終わらせるために断食の準備を開始した。5日間の減食期間を置いて、本格的に完全絶食の開始。
2月15日の体重、50kg。このときの断食は、あの東日本大震災の3月11日を挟んで38日間続いた。木谷は自分が死に至るまでの記録を残し、死後に知人の助けを借りて出版することを考えていた。それが『死にたい老人』である。

断食12日目、2月26日の記録にはこうある。

 ――ぼくは50代~70代にかけて、バリバリ仕事をした。
人生を楽しんだ。思いのこすことなく。
 そして、現在83歳。人生の最晩年にはいっている。(中略)
 90歳まで生きたとしたら、息子夫婦にどれだけ迷惑をかけることになるか。
 それらを勘案して、『死』へ向かっての断食をおこなっている。

 つまり、人生にピリオドをうつための『断食』。
 命を放棄しても、他人に迷惑をかけないため。(後略)

実は、木谷が断食による自殺を実行しようとしたのはこれが最初ではない。
木谷は、80歳のときに刊行した『紺屋街道 蔵の街殺人事件』のあとがき(本書に再録)で、82歳で仕事を辞め身辺整理を開始、そして83歳の誕生日をもって断食を開始すると宣言していた。その言葉通り2010年9月に「断食安楽死」をすべく準備を開始した(木谷は1927年生まれ)。しかし、思わぬ障害が立ちふさがったのである。
弁護士に相談したところ、身辺の人が「保護責任者遺棄罪」に問われる可能性があることが判った。
保護責任者遺棄罪、俳優の押尾学が、薬物中毒で死にかけている交際中の女性を放置し、現場から離れたことで責任を問われ起訴された際、頻繁に耳にした用語だ。つまり「知っていながら見殺しにした」ということである。
他人に迷惑はかけたくない。そのため木谷は自宅を離れ、断食死のために部屋を借りようとする。80歳を過ぎてからの部屋探しが難航したためか、2010年10月26日に鬱血性心不全で倒れ、病院に運ばれてしまったのだ。

退院し、満を持しての決行である。しかし今回も不慮の事態が訪れる。空腹時に胃腸薬を飲み続けていたため、胃潰瘍に似た症状に苦しめられることになったのだ。望んでいるのは安楽死であり、胃潰瘍の果てに待っている腹膜炎の苦しみに満ちた死ではない。やむなく計画を中断。
そして2011年4月26日、3度目の断食を開始する――。


ここまでして木谷が「死にたい」のはなぜか、疑問を持つ人は多いはずだ。
半ば冗談にまぶして、木谷は次のようなことを書いている。2度目の計画実行時だ。

 ――(前略)どうして、こんな馬鹿なことをしているのか、自分を愚かに思うが、「総理経験者は総理をやめたあと、政界から引退する」という前言を簡単に撤回した鳩山由起夫のようにはなりたくない。
 公言したことに責任をもち、命まで賭けたバカがいたことを立証したい。
 マニフェストをずたずたに破った『民主党』への挑戦だと思っている。


民主党のせいで自殺?
幾分韜晦混じりなのだろうが、木谷が今の日本のありように不満を持っているということは行間から伝わってくる。しかし、自ら見切りをつけての「安楽死」であり、どうしようもなくなっての「自殺」ではないのだ。あくまでも理性的にこの途を選んだのだと木谷は主張する。
現在日本で認められている「安楽死」には以下の6つの条件が必要とされる。
すなわち「死期が切迫していること」「耐え難い肉体的苦痛が存在すること」「苦痛の除去・緩和が目的であること」「患者が意思表示していること」「医師が行うこと」「倫理的妥当な方法で行われること」の6つである。だが、たいていの患者は入退院を繰り返し、何度も激しい発作に見舞われた後に医師の判断によって「安楽死させられる」ことになる。
それでは意味がないのではないか、と木谷は考えたのだ。自身の意志がはっきりしているうちに、もっとも苦痛の少ない手段で自分の人生を終わらせる。そのための「断食安楽死」なのだ。
第2回の計画の記述を読んで「腹膜炎でもどうせ死ねるのだからいいじゃないか」と思った人もいるかもしれないが、それでは「安楽死」にならないから駄目なのである。木谷が選ぼうとしているのは、あくまで「苦痛の少ない死」だ。さらに言うならば、破綻寸前の日本の医療行政に迷惑をかけないという範を示すこともできる。自分の死によって、木谷は現代版の『楢山節考』を書こうとしたのだ。

本書は4部構成になっており、第1部は失敗に終わった第2回の断食(実行したものとしては最初)の記録が綴られている。第2部はその決行に至るまでの経緯(前述した鬱血性心不全による入院の顛末も含む)、第3部はなぜ自分が「断食安楽死」を志したのかについての説明が書かれている。
ただし、「なぜ」の部分はそのものズバリの言葉が書かれるわけではない。戦前・戦中・戦後・高度経済成長後という4つの時代を生きて価値観・倫理観の転変を体験した著者の半生記からそれを読み取る必要がある。また、大震災を経て現在の官僚主導政治に対する不信感が決定的なものになったということも、この第3部では明かされている(彼は今、浜岡原発から至近の土地に住んでいることもあり、原発存続には反対の立場をとっている)。
そして第4部では、第3回以降の断食について書かれているのだ。
第3回以降。
そう、仕切り直しをして臨んだ断食安楽死に、またしても木谷は失敗してしまう。前回とは体調がまったく異なり、「安楽死」に至る状況を作ることができなくなったのである。そして第4回の挑戦にして、初めて木谷は悟る。
自分は死ぬことができないのだと。

自ら死を選ぼうとする人間の手記が公刊されることに嫌悪を覚える読者は多いはずだ。もし本書が無邪気な自殺賛美本であれば(木谷は自殺ではないと再三強調しているのだが)レビューは書けなかった。
本書にあるのは2つのものである。第一に、社会と自分自身に絶望し、死を選ぶしかないと考えるに至った人間の心理が書かれている。木谷の意見に賛同するか否かは別として、その極端さは書籍化して世間に示す価値のあるものだ。読者は処々で木谷と衝突するはずである。衝突しながら、では自分の意見、自分が拠って立つ場所はどこに確からしさがあるのだろうかと自問してみてもらいたい。
本書における木谷は敗残者だ。人生に有終の美を飾ろうとして臨んだ賭けに負けたのである。木谷が到達したのは「自分には死ぬだけの決意がなかった」という結論だった(「まだ」ないのかもしれないし、「永遠に」ないのかもしれない。それはわからない)。死に執着し、半ば恋するようにその方角へと引き寄せられていった人間が、土壇場のところで生への未練を見出したというのが本に書かれた事実である。その「失敗」から読み取れるものがあるはずだ。それが本書の第二の読むべき内容である。
自殺は異常な行動だ。だが、忌避される異常行動は必ず繰り返される。目を背けてはいけないのだ。手に取り、何がどう異常であるのかを読者は自分で確かめなければならない。あえて自分の恥といえる記録を世に出した木谷に敬意を表しつつ、本書を読み終えた。
(杉江松恋)