先日のAKB48グループの「選抜総選挙」で5位となった松井玲奈(SKE48・乃木坂46)。現在発売中の「JTB時刻表」6月号の巻頭には、その松井が「矢野直美のダイヤに輝く鉄おとめ」という連載インタビューに登場している。
ファンのあいだではよく知られるように、彼女は大の鉄道好き。今回の記事でも、大好きな車窓を訊ねられ、「JR武蔵野線の風景」と答えていたりと、そのこだわりぶりがうかがえる。大好きな東京ディズニーリゾートへも、東京駅から京葉線ではなくわざわざ武蔵野線で大回りして行くこともあるのだとか。

インタビューではまた、愛知県出身の松井が日常的に利用している名古屋鉄道(名鉄)についても話題にのぼる。その名鉄は今月25日で、ルーツとなる会社の設立からちょうど120年を迎える。前出の「JTB時刻表」では、それを記念した巻頭カラー特集も組まれ、歴代の名鉄の名車や、路線と沿線についての情報がちりばめられている。
かく言う私もその沿線で育っただけに、名鉄にはそれなりに愛着はある。せっかくなので、以下、名鉄に関するトリビアをその歴史を中心にいくつか紹介してみたい。

■東京よりも先! 日本で2番目の電車営業
名鉄のルーツは、1894年(明治27)に設立された「名古屋馬車鉄道」だ。同社は文字通り、名古屋市内での馬車鉄道の営業をめざしていたが、時代は変わりつつあった。同社設立の翌年には、京都で日本初の電車の営業運転が始まる。この波に乗らねばと、車両の動力を馬から電気へと変更して営業を申請、会社名も1896年に「名古屋電気鉄道」と改めた。
1898年には最初の路線、笹島~県庁前間が開業。これは京都に続き日本で2番目の電車の営業運転となった。関東で初めて電車を走らせた大師電気鉄道の川崎~大師間(現在の京急大師線)の開業が1899年だから、それより1年早い。東京で市内電車が走るようになるのは、さらに数年後、20世紀に入るのを待たねばならなかった。

名古屋電気鉄道はその後も市内に路線網を広げていった。ただしそれら市内線は、1922年(大正11)に名古屋市に譲渡され、名古屋市電となる。
つまり、名古屋電気鉄道は名鉄のルーツでもあるとともに、現在、地下鉄やバスを運行する名古屋市交通局のルーツでもあるわけだ。

名古屋電気鉄道は名古屋郊外にも路線の建設を進めていった。先述の市内線の名古屋市への譲渡とあわせ、郊外線を引き継ぐ「(旧)名古屋鉄道」が発足する。旧名鉄は、新線の建設とともに、愛知県西北部を中心に鉄道会社を次々と合併して路線網を広げていった。1930年(昭和5)には岐阜市内に路線を持つ美濃電気軌道と合併、社名も「名岐鉄道」となる。

その5年後の1935年、名岐鉄道は、愛知県の東部を中心に勢力を拡大していた「愛知電気鉄道(愛電)」との合併により、現在の名古屋鉄道が誕生したのはこのときである。


■名鉄本線になった“幻の新幹線”
現在の名鉄名古屋本線(豊橋~名鉄岐阜間)は、もともと愛電と名岐が東西でそれぞれ建設していた路線を、両社の合併後につなげて1944年に完成させたものだ。戦後の1948年からは、東西で違った電圧を統一して、直通列車の運転が始まる。

名古屋本線のうち、愛電の建設した豊橋~神宮前間は、並行するJR東海道本線とくらべると路線がまっすぐ敷かれている。いまでこそ豊橋~名古屋間の所要時間は、JRの新快速のほうが名鉄特急より数分ほど短いものの、名鉄はこの線形のおかげで、国鉄が民営化直前に新快速を走らせるまではずっと優位に立ってきた(列車本数でも旧国鉄を上回った)。

なぜ、豊橋~神宮前間の線路はまっすぐ敷かれたのか。じつはこの区間は、民間による新幹線計画の忘れ形見のようなものなのだ。
明治から昭和にかけて、東海道本線と並行して高速電車を走らせようという計画が、たびたび財界から持ちあがっている。実業家の福沢桃介(福沢諭吉の娘婿)も、自らの経営する木曽川の発電所でつくった電力の消費先にするという思惑もあって、この夢に挑んだ一人だ。

福沢は夢の実現の第一歩として、まず豊橋~名古屋間に電気鉄道を建設することをめざした。同区間の敷設免許はすでに地元の人が取得して会社をつくっており、彼はこの会社を継承する形で「東海道電気鉄道」を設立する。しかし1921年、スポンサーとして協力を仰いでいた財界の大物・安田善次郎が暗殺され、計画に暗雲が立ちこめる。

そこで福沢は、同じく経営に参画していた愛電に東海道電気鉄道を合併させる。
そして愛電路線を有松から東に延ばし、東海道電気鉄道の計画線の東部分とをつなげて豊橋まで建設することにした。現在の知立駅付近から先は坦々とした直線の延長工事が続き、1923年に東岡崎が開業、1927年には吉田(豊橋)まで全通したのだった。

■名鉄最大のターミナル・名古屋駅の特殊な流儀
太平洋戦争前夜の1941年8月、新名古屋(現・名鉄名古屋)駅が開業した。名鉄最大のターミナルである同駅だが、いまだに線路は2本、ホームは3面しかない。そのうち中央のホームは降車および特急の特別車(座席指定車)の乗降用で、両側にはそれぞれ、上りと下りの列車に乗るためのホームが設けられている。

名古屋駅停車の列車の行き先は20を超える。それを少ないホームでさばいているのだから大変だ。ホームには、方面別に色分けされた案内板が設置され、利用客はそれにしたがって列に並ぶ。案内板が点灯すると、次に到着する列車のドアはその位置で開くようになっている。つまり、この駅に停まる列車は、行き先ごとに停車位置が違うのだ。

そんなわけで、この駅から出かける場合、目的地に行く列車を確実に把握していないと、乗り逃したり間違えたりしてしまう。ただ、慣れれば、これほど便利な駅もない。むしろ私は、東京や関西の私鉄のターミナルに行くと、ホームがありすぎて、一体どこから出る電車が目的地に一番早く着くのか迷ってしまうのですが……。

■名鉄カラーの赤は「パノラマカー」から誕生
名鉄電車というと、スカーレットと呼ばれる赤色のイメージが強い。近年ではステンレス車への切り替えが進み、銀色地に赤のラインという車両も増えたが、それまでの車両に愛着のある人間にはやや味気なく思えてしまう。

車両カラーにスカーレットを最初に用いたのは、1961年にデビューした「パノラマカー」と呼ばれる7000系電車だ。色を選んだのは名古屋出身の洋画家・杉本健吉。その後、スカーレットはパノラマカーだけでなくほかの車両にも使われ、名鉄電車のカラーとなった。

杉本健吉はこのほか、1957年の名古屋市営地下鉄の最初の路線(現在の東山線)の車両のカラーリングに明るい菜種色(イエロー)を採用するなど、地元の交通機関とは関係が深い。82歳だった1987年には、名鉄知多新線の美浜緑苑に、その作品を所蔵・展示する杉本美術館が開館した。現在、名鉄120年を記念して、同美術館では杉本が名鉄から依頼されて手がけた観光ポスターなど、その沿線にまつわる作品を集めた展覧会が開催中だ(会期は2014年9月16日まで)。

■東京モノレールも名鉄あってこそ
1964年9月、東京オリンピックを翌月に控えて羽田空港と都心部を結ぶ東京モノレールが開業した。その会社設立にあたっては帝国ホテルなどとともに名鉄が参画している。

東京モノレールでは、車両が1本のレールにまたがって走る跨座式を採用された。この方式を日本で初めて採用したのが、名鉄の犬山モノレール(1962年開業。犬山遊園~動物園間)であったことから、その技術力を買われて経営参加したのだった。東京モノレール開業時の乗務員の多くも名鉄からの出向だったため、名古屋弁を矯正するのに苦労したという話も残っている。

東京モノレールは開業したものの、首都高速道路に空港利用客を奪われ経営不振が続く。そのため名鉄はわずか1年で事業から撤退している。このあと、名鉄から持ち株を買い取った日立運輸によって経営のテコ入れが図られた。幸いモノレールの利用客は、首都高の渋滞の激化にともない増えてゆき、すっかり羽田への足として定着、今年で開業50年を迎える。それとは対照的に、犬山モノレールは2008年に惜しくも廃線となっている。

名鉄はそのほか、経営不振に陥っていた静岡県の大井川鉄道(現・大井川鐵道)を救済するためにも、社員を出向している。ここで生まれたのが、当時国鉄で全廃されたばかりだった蒸気機関車を走らせるアイデアだった。1976年にSL列車の運転が始まって以降、電車も含め全国で役割を終えたさまざまな車両が大井川鐵道で余生を送っている。各地で観光用にSLが復活するきっかけをつくった点でも、大井川鐵道の果たした役割は大きい。

大井川鐵道は映画・ドラマでもよくロケーションに使われる。同様に、歴史物のロケ地としてよく利用されているのが、博物館明治村(愛知県犬山市)だ。現在放送中のNHKの連続テレビ小説「花子とアン」でも、ヒロインの通う女学校の校舎の外観に、明治村内に移築された北里研究所本館が用いられるなど、たびたび村内の建物や電車(京都市電で使われていた車両)が登場した。

1965年に開村した明治村もまた、名鉄のつくった施設だ。高度成長期にあって明治建築が次々と取り壊されるなか、それを危惧した建築家の谷口吉郎が、古い建物を一つの場所に集めて保存できないかと提案したのがそもそもの発端だった。これに、谷口の旧制第四高等学校(金沢)時代の同窓生で、名鉄の「中興の祖」とも呼ばれる当時の社長・土川元夫が共鳴、名鉄の所有する、犬山市の入鹿池のほとりの約100万平方メートルの土地を提供した。ちなみに、明治村には旧制第四高等学校の教室や武術道場が移築されている。武術道場では、剣道部員だった土川、弓道部員だった谷口、あるいは柔道部員だった正力松太郎(元読売新聞社主)や井上靖(作家)らの名札を見つけることができる。

「JTB時刻表」の名鉄特集にも、明治村をはじめ名鉄沿線の観光スポットが色々と紹介されている。なかには中京競馬場にパノラマカーが静態展示されていることなど、地元民でもあまり知らないような情報も少なくない。ほかの地方の方もこのガイドを参考に、ぜひ名鉄沿線へいらっしゃいませ!
(近藤正高)