今年は午年。十二支にはそれぞれ動物があてられ、午はいうまでもなく馬にあたる。
これは中国の風習をそのまま取り入れたものだが、十二支の漢字には本来、動物の意味はなかったようだ。とくに意味はないけれど、いわばパソコンのアイコンみたいにわかりやすく指し示すため漢字に動物のイメージを当てはめた、ということなのかもしれない。

えとは漢字で「干支」と書く。干支の「支」とは十二支を意味し、「干」のほうは甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の「十干(じっかん)」を指す。昔の人は、この十干と十二支の組み合わせにより年や月日、時間を数えてきた。たとえば、満60歳を還暦と呼んで祝う習慣は、「暦が還る」と書くとおり、十干と十二支の組み合わせが60年で一回りすることから生まれたものだ(10と12の最小公倍数は60なので)。
えとでいえば今年は「甲牛(こうご/きのえうま)」にあたる。

前の甲午の年、1954(昭和29)年に生まれ、今年還暦を迎える一人に、現首相の安倍晋三がいる。そういえば、いまから11年前、小泉内閣の官房副長官だった安倍が、とあるテレビ番組で同い年の古舘伊知郎から「僕らの世代のアイドルとしては天地真理、小柳ルミ子、南沙織の3人がいましたけど、安倍さんは強いていえば誰が一番お好きでしたか」と聞かれて、すかさず「僕はアグネス・チャンのファンでした」と答えていたのがいまでも印象に残っている。若い頃にアイドルに夢中になった世代が、もう還暦だと思うと感慨深い。

1954年生まれの著名人には安倍と古舘のほかにも、ミュージシャンの松任谷由実、マンガ家・映画監督の大友克洋、作家の林真理子、建築家の隈研吾、タレント・俳優の片岡鶴太郎、タレント・テレビプロデューサーのデーブ・スペクター、声優の千葉繁、ゲームシナリオライターの堀井雄二、横浜DeNAベイスターズ監督の中畑清などといった人たちがいる。大友は昨年、新作アニメ「火要鎮」(オムニバス映画「SHORT PEACE」の一編)を監督、林も新書『野心のすすめ』がベストセラーとなり、隈は歌舞伎座の新築に際して設計を手がけた。
いずれもまだ隠居するどころか、現役で活躍する人たちばかりだ。

還暦を迎える人以外にも、今年の年男・年女にはどんな人たちがいるのか、以下、ちょっと見てみたい。とりあげるのはスペースの都合でひとまず20世紀生まれ限定、原則として日本人限定とした。また、厳密にいえば、えとは旧暦で計算するので、新暦の1月生まれの人は前の年のえとに含めるのが正しいようだが、ここでは現在の暦にしたがって人選したことをお断りしておく。

■1906(明治39)年生まれ 丙午(へいご/ひのえうま)
『白痴』『堕落論』などの作品で知られる作家の坂口安吾の本名は、坂口炳五(へいご)という。これは生まれ年の干支が丙午で、五男であったことから命名された。
安吾のペンネームは、中学時代、学校をサボってばかりいたため、漢文の教師から「炳はアキラカという意味だが、おまえは己に暗いから“暗五”だ」と言われたことがきっかけでつけたといわれる。
このほか、ホンダ創業者の本田宗一郎、物理学者で日本人2人目のノーベル賞受賞者(1965年)の朝永振一郎、また俳優の杉村春子と滝沢修といった“新劇の巨人”たちも1906年の丙午の生まれ。安吾が49歳で亡くなった1955年、ホンダは創業8年目にしてオートバイ生産台数で国内1位になったばかりだった。そう考えると、安吾と本田宗一郎が同い年というのは意外な気もする。

■1918(大正7)年生まれ 戊午(ぼご/つちのえうま)
田中角栄・中曽根康弘・鳩山威一郎の3人の政治家はこの年の生まれ。このうち田中と中曽根は生まれ月も同じ5月で、同じく1947年の総選挙に当選して政治家として第一歩を踏み出した。

同じ自民党に所属しながらも、最大派閥を形成した田中に対し、中曽根は小派閥の領袖にすぎず好対照をなした。だが、1972年の自民党総裁選に田中が出馬した際、中曽根が支持に回りその勝利に大きく貢献したことから、両者の結びつきは強まった。のち1982年に中曽根が首相になれたのも、党内の最大実力者となっていた田中の支持をとりつけたことが大きかったとされる。
鳩山威一郎は、元首相の鳩山一郎の長男であり、鳩山由紀夫・邦夫の兄弟の父親である。中曽根と同じく1941年に東大を卒業した威一郎は、大蔵省に入り、主計局長や事務次官を歴任しエリートコースを歩んだ。政界入りは遅く、大蔵省退官後、田中角栄の勧めで1974年の参院選に当選してからだった。
それでも1976年に発足した福田(赳夫)内閣では、外務大臣に抜擢されている。
田中角栄は1993年12月16日に死去、鳩山威一郎が亡くなったのは奇しくもその3日後のことだった。中曽根は95歳となったいまも健在で、引退後は著作も多い。
1918年生まれにはこのほか、化学者でノーベル化学賞(1981年)を受賞した福井謙一、画家のいわさきちひろ、紙芝居「黄金バット」生みの親で評論家の加太こうじ、戦後派の作家の福永武彦・中村真一郎・堀田善衛、俳優の池部良・高峰三枝子、将棋棋士の升田幸三などがいる。以上はみな故人だが、今年で公開から60年を迎える映画「七人の侍」の脚本家の一人、橋本忍は存命である。昨年には、1967年公開の映画「上意討ち 拝領妻始末」がテレビドラマとしてリメイクされるにあたり、自作の脚本に手を加えている。


■1930(昭和5)年生まれ 庚午(こうご/かのえうま)
敗戦を満14~15歳の多感な時期に迎えた年代である。たとえば野坂昭如は、戦争末期から終戦直後にかけての実体験をもとに、小説『火垂るの墓』(1968年に直木賞受賞)を書いた。小説家になる以前は放送台本やCMソングの作詞を手がけていた野坂だが、その頃の代表作の一つに、同い年の作曲家・いずみたくと組んだ伊東のホテル・ハトヤのCMソングがある。
小説家の開高健も現在のサントリーの宣伝部出身と、広告の世界から出発した。亡くなって今年で25年が経つが、目下、サントリーのPR誌のエッセイを含む「開高健 電子全集」全20巻の配信が続けられている。
1930年生まれにはこのほか、作曲家の武満徹、ソニーの元会長でCDなどを世に送り出した大賀典雄、NHK出身の演出家の和田勉、映画監督の深作欣二・黒木和雄、歌手の三橋美智也、化学者で2010年にノーベル賞を受賞した鈴木章、作家・昭和史研究家の半藤一利、昭和の喜劇人であるハナ肇や三波伸介などがいる。びっくりしたなあ、もう!

■1942(昭和17)年生まれ 壬午(じんご/みずのえうま)
この年に生まれた著名人ではまず、小泉純一郎と小沢一郎をあげたい。両者とも慶應義塾大学卒で、亡くなった父親の跡を継ぐ形で1969年の総選挙に初出馬している。このとき小沢は当選したものの、小泉は落選し、3年後の総選挙でやっと政界入りする。入閣時期でも小泉に先んじた小沢は、1989年には47歳にして自民党幹事長となり辣腕を振るった。だが、1993年に小沢が自民党を離れて以降、形勢はじわじわと逆転し、2001年には小泉は自民党総裁・首相にまでのぼりつめた。
2009年に政界を引退した小泉だが、昨年、突如として脱原発を主張したことは記憶に新しい。一方の小沢は現在、「生活の党」の代表を務め、やはり原発ゼロを基本政策に掲げる。ひょっとすると両者が手を組むこともありうる!?
1942年生まれには小泉・小沢のほかにも、プロゴルファーの青木功、ファッションデザイナーの川久保玲、第52代横綱・北の富士、コメディアン・俳優の小松政夫、元タレントの上岡龍太郎、アナウンサーの福留功男、ジャズピアニストの山下洋輔、トランペット奏者の日野皓正、俳優の近藤正臣・地井武男・小野武彦・中尾彬・松方弘樹・江波杏子・十朱幸代・寺田農、歌手・俳優のささきいさお、歌舞伎役者の松本幸四郎・尾上菊五郎、マンガ家の谷岡ヤスジなど多士済々である。

■1966(昭和41)年生まれ 丙午
この年明けを前に発表された、午年生まれの推計人口(2014年1月1日現在、958万人)は、十二支のなかでも最少であった。その理由の一つに、丙午の年にあたる1966年生まれが133万人と少ないことがあげられる。
中国では北宋の時代より丙午は凶作の年だといわれたり、また火災が多いと信じられていた。これが日本にも伝わったのだが、なぜか「丙午の女は夫を食い殺す」、あるいは「丙午の男は女を殺す」などといった俗信が生まれ、江戸時代以降、広く流布してしまった。
それゆえ1966年は、その前の丙午である1906年と同様、出生届が急減したが、このときはとくに都市の若い母親ほど気にしていたとするデータがあり、マスコミの影響によるものと考えられている。ちなみに秋篠宮紀子妃は丙午生まれだが、25年前の婚約の際にそのことがとくに問題とされた記憶はない。このことからも、丙午をめぐる言い伝えが庶民のあいだでの俗信にすぎないことはあきらかだろう。
1966年生まれには、小泉今日子・薬丸裕英(元シブがき隊)・早見優・石川秀美と、1982年デビューのいわゆる「花の82年組」のアイドルが並ぶ。その前後にデビューした少年隊の東山紀之と植草克秀、三田寛子・川上麻衣子・大沢逸美・松本明子・森尾由美・斉藤由貴・国生さゆりなども同年生まれだ。薬丸と石川、小泉と俳優の永瀬正敏、さらにマンガ家の武内直子・冨樫義博と、同い年どうしで結婚したケースも目立つ(もっとも小泉と永瀬は離婚しているが)。
このほか、ミュージシャンの大槻ケンヂ・斉藤和義・渡辺美里・広瀬香美・吉井和哉、狂言師の野村萬斎、元シンクロナイズドスイミング選手の小谷実可子、元女子マラソン選手の有森裕子、それから女優の鈴木保奈美と安田成美も1966年生まれ。ということは、とんねるずの現夫人は2人とも同い年なのか。

■1978(昭和53)年生まれ 戊午
1978年生まれには、スポーツの各分野で活躍する(した)アスリートが目立つ。1992年のバルセロナ五輪の競泳・平泳ぎ200メートルで14歳にして優勝した岩崎恭子をはじめ、柔道の井上康生(2000年・シドニー五輪で金メダル。現在、男子柔道の日本代表監督)、マラソンの野口みずき(2004年・アテネ五輪で金メダル)、サッカーの澤穂希(2011年の女子W杯で優勝)や中村俊輔、昨年現役を引退したバレーボールの竹下佳江、バレーボールからビーチバレーに転向した菅山かおる、ウィンタースポーツではカーリングの小笠原歩(旧姓・小野寺)、ショートトラックスピードスケートの勅使川原郁恵など、まさに綺羅、星のごとくというにふさわしい。
上にあげたうち小笠原は、トリノ冬季五輪に参加(最終順位7位)した2006年にいったん現役引退したものの、2010年に復帰、かつてのチームメイトである船山弓枝(旧姓・林)などと「北海道銀行フォルティウス」を結成して活動再開しており、今年2月のソチ五輪に2大会ぶりに出場する。
午年ではもっとも人口の多い同年生まれにはこのほか、浜崎あゆみと椎名林檎の歌姫2人、TOKIOの長瀬智也、芥川賞作家の津村記久子などがいる。おっと、忘れてはいけない、2014年版のカレンダーが異例の売上を記録したテレビ東京アナウンサーの大江麻理子も年女でした。

■1990(平成2)年生まれ 庚午
この年生まれの著名人の筆頭は何といっても、4年前のバンクーバーでの銀メダルに続き、今年のソチ五輪でも期待のかかるフィギュアスケート選手の浅田真央だろう。
俳優の三浦春馬の名前に馬がつくのが干支由来とは気がつかなかった。俳優でいえば、映画「誰も知らない」に出演した柳楽優弥が、14歳にしてカンヌ国際映画祭のコンペティション部門で男優賞を受賞してから早10年が経つ。ローラと、「第二のローラ」と呼ばれる水沢アリーといずれもこの年の生まれ。ほかにも昨年、AKB48から中国・上海のSNH48への完全移籍を発表した宮澤佐江などの存在が光る。
手前味噌ながら、エキレビライター陣の最若手、青柳美帆子も1990年生まれの年女。昨年末には映画「かぐや姫の物語」のレビューで“アゴ”、「ゼロ・グラビティ」のレビューでは“ゲロ”に注目するという具合に、浅田真央の三回転アクセル並みのひねり技で度肝を抜いた。青柳さんだけでなく、ここであげた人たちが今年もますます活躍されることを期待しております!
(近藤正高)