2005年に第6長篇『わたしを離さないで』を発表すると、「タイム」誌が選出したオールタイムベスト100(1923〜2005年)に選ばれたほか各文学賞の最終候補作になるなど、その年いちばんの話題を振りまくことになった。同年のうちに邦訳され、翌2006年末には「このミステリーがすごい!」(海外部門10位)、「週刊文春ミステリーベスト10」(海外部門9位)のランキングでも上位に選ばれた。純文学のみならず、ミステリーなどのジャンル文学ファンからも強い支持を集めたのだ。垣根を越えて愛される物語となった。2010年にはマーク・ロマネク監督で映画化されており、日本国内では2014年に蜷川幸雄演出で舞台化も実現している。
その『わたしを離さないで』が、連続TVドラマとして放送される。人気作品の映像化、しかも英国を舞台として描かれている物語を現代日本に移した内容ということで不安を抱いている原作ファンも多いはずだ。
そういう方を代表して、ドラマ第1回を先に見させてもらった。結論から申し上げれば、原作ファンの期待を裏切らない内容である。ドラマ化ゆえのアレンジはある。
未読の方のために、原作の冒頭を少し紹介しておきたい。物語は「わたしの名前はキャシー・H」という文章で始まる。「介護人をもう十一年以上やっています」とキャシーは語る。ここで言う介護人とは一般的なものではなく、特殊なものであることがすぐにわかる。
このエピソードが導入となって、ヘールシャム時代の思い出が綴られていく。そこで描かれるのは、寄宿舎を舞台とした学園の物語だ。しかし何かが違う。保護官と呼ばれる教師たちの態度は不可解なものだ。
小説で言うとページが3割ほど進んだ地点である。ドラマ「わたしを離さないで」の第1話は、ちょうどここまでの展開になっている。未読・未視聴の方のためにこれ以上の説明は避けておく。
ドラマ版の主人公の名は保科恭子である(成人後を綾瀬はるか、幼少期を鈴木梨央が演じる)。施設の名前はヘールシャムから陽光学苑に変わった。ドラマは成人した恭子が原作で言うところの「介護人」の務めを果たす場面から始まる。そこから小説と同様、20年前の陽光学苑の日々へと時間は移っていくのだ。最初に目撃する学園の情景が印象的である。
カズオ・イシグロは、キャシーにこう語らせている。
──田舎をあちこち移動していると、いまでもヘールシャムを思い起こさせるものを目にします。霧でかすむ野原の片隅を通り過ぎ、丘を下りながら遠くに大きな館の一部を望み、丘の中腹に立つポプラの木立を見上げて木の並び方にはっとする。そんなとき、「あっ、ここだ」と思います。「見つけた。ここがヘールシャムだ」と。(土屋政雄訳)
この情景が見事に映像として移されている。どこにでもある田舎だが、どこを見ても思い出してしまう懐かしい情景でもある。まるで心の故郷のような場所として、ヘールシャムは最初読者に紹介されるのだ。それはカズオ・イシグロが仕掛けた最初の罠でもある。この情景が生み出す感情に影響されたまま、読者は本のページを繰ることになる。それと同じことをドラマも仕掛けてくるのだ。緑深い林の情景を目に焼きつけながら物語をご覧いただきたい。
先述した2つの改変が、その後から顔を覗かせてくる。原作ではキャシー・Hに固定されている視点は、ドラマでは複数の人物へと切り替えられる。そのために、原作よりも不安な感情は増すのである。もう1つ、陽光学苑内で起きる出来事の中には、現在の日本で実際に発生している事態を写したような、いたたまれないものがある。そのことによってドラマの観客は、登場人物たちに親近感を抱くことになるだろう。それゆえに成り行きを見守る視線には熱が籠もる。第1話の結末まで、目が離せなくなることは必定だ。
ミステリー読者からも支持を受けたことからわかるとおり、『わたしを離さないで』は謎の要素が大きな意味を持つ小説である。イシグロが結末へと向けて敷いた物語のレールを、ドラマの制作者は再設し直したということになる。原作の持ち味を殺さずに続けるのであれば、この後も視聴者は転がり続ける「謎」に一喜一憂させられることになるはずだ。キャシー・Hと保科恭子に案内を受けながら、その帰趨を見守っていきたい。
(杉江松恋)