NHK大河ドラマには、まだ主役になっていない魅力的な人物が数多くいる。そこで、大河を愛するルポライターの昼間たかしさんが、独断と偏見で「大河にしてほしい人物」を勝手に推薦する。
今回取り上げるのは、かつて“残忍な悪役”として語られながら、近年その人物像が大きく見直されている戦国武将。地元・岡山では約9万人が大河化を求め、岡山市長までNHKを訪問している。なぜ、この武将はいま“岡山の英雄”になったのか。史料や最新研究から紐解く――。
■「宇喜多直家」の大河ドラマが見たい
毎年必ず放送されるNHK大河ドラマ。井伊直弼を描いた1963年の「花の生涯」以来、60年以上にわたって放送が続いている。戦国や幕末を中心に、日本史の様々な人物を描き、時に通説をひっくり返す新たな解釈も提供してきた。
しかし、まだまだ取り上げられていない人物は多い。教科書には載っているのに大河にならない人、教科書にすら載っていないのに面白い人、そして「なぜこいつがまだ大河にならないんだ」と叫びたくなる人が、日本史にはごろごろしている。
そして、全国津々浦々で民間はもとより行政も巻き込んで、NHKに「ぜひ、我が故郷の人物を大河ドラマに」という運動が繰り広げられている。
それだけ、まだ取り上げて欲しい魅力的な人物は多いのだ。そこで、筆者が勝手に推薦する。
NHKには一切関係なく、忖度もなく、ただ「見たい」という欲望だけで選んだ、大河ドラマにしてほしい人物たちである。
第1回は、宇喜多直家。
現在放送中の「豊臣兄弟!」には登場を果たした直家。しかし、その扱いはあくまで状況の説明。毛利輝元に「大義はあるのか」と詰め寄り毛利勢のどうしようもなさを知らしめるのが、その役割であった。
■覆されようとしている「戦国三大梟雄」イメージ
宇喜多直家(1529~1582年)は、備前国(現在の岡山県南部)の戦国大名である。祖父の代に没落した宇喜多家に生まれ、幼少期を豪商の家に身を寄せながら過ごした。成人後は浦上氏に仕えて頭角を現し、謀略と外交を駆使して備前・美作・備中に及ぶ大名へと成長。最終的には主家・浦上氏をも追放して独立を果たし、後に織田信長の傘下に入った。
その後を継いだ嫡男・秀家は豊臣政権の五大老にまで上り詰めたが、関ヶ原の戦いで西軍についたために敗れ、八丈島に流されて宇喜多家は事実上滅んだ。岡山城と城下町の基礎を作った人物として、現在の岡山市の礎を築いた。
一方で「戦国三大梟雄」のひとりとして知られ、謀殺・暗殺を繰り返した残忍な武将というイメージが長く定着してきた。
そのイメージが、いま覆されようとしている。
いや、少なくとも地元・岡山人は、覆されようとしているという前提で盛り上がっている。
今年2月には、柴田勝家役の山口馬木也が隣の総社市出身ということで、岡山城で豆まきを実施。7月5日には秀吉役の池松壮亮ほか、蜂須賀正勝役の高橋努、黒田官兵衛役の倉悠貴を招いてトークショーも開催された。どういう人選かと思いきや「備中高松城の水攻めにゆかりのある役を演じる番組出演者」だという。
無理矢理感は否めないが、確かに盛り上がっている。県内市町村で構成する戦国宇喜多家の大河ドラマ誘致を応援する自治体の会には、直家の版図とまったく関係なさそうなところまで入っている。
■岡山が求める“先見性のある英傑”
岡山が求めているのは、直家と秀家の二代にわたる物語。確かに、秀家の代には備前美作備中半国の大名だったわけだから、岡山県の市町村ならどこでもという理屈はわかる。が、県北の直家も秀家も縁がなさそうな地域まで盛り上がっているのはどういうことか。
ともあれ、盛り上がりの中心はやはり岡山市である。1966年に復元された現在の天守は、2021年から2022年にかけて「令和の大改修」でリニューアル。
以来、岡山市は観光スポットとしての岡山城に、なりふり構わない努力を重ねている。なにせ、昨年の夏に天神そばで三玉を食べてから訪れてみたところ、ポケモンコラボで来場者を集めていたくらいだ。
そんな岡山人の主張する大河ドラマのイメージは、「梟雄」「暗殺魔」のイメージが強い直家のイメージを覆し、先見性のある英傑として描くこと。そして、秀家は豊臣家への忠義から西軍についた人物となる。なにより八丈島に流された後も離縁しなかった妻・豪姫との夫婦愛も見どころになるようだ。
そのためにか内部が博物館となっている岡山城では、直家の「梟雄」のイメージを覆す展示が繰り広げられている。
いやいや、これは無茶ではないかと筆者も思っていた。出身者の立場からいえるのは、岡山人というのは、だいたいろくでもない奇人変人の類いと相場が決まっている。それでいて、儲かると思えばなりふり構わない。
「改修にもカネがかかったし、ここは大河ドラマにしてもらって大儲けじゃ‼ 両備は乗客倍増、天満屋は売り上げ倍増……」
しかし、これは大いなる誤解だった。
■「岡山市史」に残る、容赦ない批判
そもそも直家の「梟雄」こそが後世の創作。2026年の今、その実像が初めて明らかにされようとしているのだ。

なにせ今でこそ「梟雄じゃないんじゃ」と必死な岡山人。でも、非道なイメージを作ってきたのは岡山人である。昭和11年に編纂された『岡山市史』では、直家の項目で、わざわざ「権謀術数」という項目を設けて「直家の計略一に術数に依り。悪辣なる手段又多し」と書いている。この『岡山市史』直家のみならず宇喜多家そのものを容赦なく批判し、ついにはこう記している。
宇喜多に至りては一貫の大義なく唯々乱世に処し、徒に世と推移して名分を誤り、順逆に迷ふのみ。何等存在の意義を有せざるものなり[『岡山市史』第2,明治文献,1975.国立国会図書館デジタルコレクション(参照 2026年7月31日)]。

いくらなんでも酷い評価である。なのに今になって大河ドラマにしようと盛り上がっている岡山人こそ、徒に世と推移して名分を誤っている……。
石畑匡基「梟雄ではない? 宇喜多直家の実像――浦上宗景VS宇喜多直家」(『歴史研究』719号)は、こうした見方に再考を促す論考だ。ここで、石畑は直家が梟雄と呼ばれた理由を、前述の通り、主家である浦上家を乗っ取り備前の領主に成り上がったとする『備前軍記』が源泉だとしている。これは、江戸時代後期に岡山藩士の土肥経平が編纂したもので1774年に完成したものとされる。
三宅克広「中世文書と近世の編纂物:岡山の戦国史研究の現状と課題」(『法政史学』58号)はこの書物の評価を、こう記す。
■軍記物が“史実”として叙述されてきた
(『備前軍記』は)従来岡山県の中世史に大きな影響を与えてきた。その所以は、主に記述される年代の長さ、記述される地域的範囲の広さ、活字として入手しやすいことなどがある。そのため、かつて岡山の中世後期を概説する際には、大げさにいえば根幹資料として用いられてきた感がある。

実のところ、岡山の戦国時代は、こうした軍記物をそのまま史実として叙述されてきた。ところが、2001年に森俊弘「岡山藩士馬場家の宇喜多氏関連伝承について――「備前軍記」出典史料の再検討――」(『岡山地方史研究』95)を契機として、再検討が行われるようになり記述自体が疑問視されるようになってきた。
とりわけ再検討が広がったのは、宇喜多家と浦上家の主従関係である。近年の研究では、両家はほぼ対等な関係にあったという見方が有力になっている。つまり、直家は謀略を駆使して主家を乗っ取ったのではなく、多くの戦国大名と同じく数多の抗争をへて地位を確立したのである。
この新たな直家像が一躍知られるきっかけとなったのが、垣根涼介の歴史小説『涅槃』(朝日新聞出版、2021年)である。垣根は、様々な資料をもとに直家の素顔を物語にしようと試みている。
■関ヶ原“後”に廃棄されてしまった史料
垣根が、これまで直家が悪し様に語られてきた理由として、史料がほとんど残っていないことを挙げる。
関ヶ原の戦いの後、秀家が八丈島に流されると、後に入った小早川秀秋は資料を廃棄してしまった。毛利家などは江戸時代にも武士として命脈を保ったが、宇喜多家はそうではなかったのだ。
歴史は常に勝者の都合によって解釈され、喧伝されるものです。後継者が残っていれば誰かが擁護する目も出てくる可能性がありますが、武家としての宇喜多家が途絶えてしまっている。太平の世を迎え、「忠節」を第一義とした徳川家の意向もあり、「悪人」のイメージは意図的に作り出されたものなのでしょう。
(垣根涼介「信長をも翻意させた生き残り戦略、そして家臣との絆」『歴史街道』2019年12月号)

こうした再評価には様々な研究者も言及している。「真田丸」などの時代考証にあたった平山優は地元紙山陽新聞の取材に次のようにコメントしている。
■「乱世で生き残るためにはやむを得ない」
宇喜多氏、とりわけ直家が置かれていた状況は、現代の日本に通じるところがある。大国や、不穏な動きをみせる周辺国を相手に、うまく泳ぎ切らねばならない。そこは、今の視聴者も意識していると思う。
真田丸で昌幸がクローズアップされたのも、優れた脚本や俳優の演技だけでなく、地方の小勢力が知略を尽くして大国を翻弄するという構図が魅力的に映ったというのもあるだろう。
宇喜多氏も同じで、裏切りや暗殺といった負の部分があったとしても、乱世で生き残るためにはやむを得ないことだと共感を得られるはずだ(「戦国岡山 宇喜多氏を語る (6)」「山陽新聞」2025年3月25日付朝刊)。

さらにこの記事で、平山は、関ヶ原で西軍についた秀家を大坂夏の陣の真田信繁(幸村)になぞらえ「圧倒的に有利だった家康に命を懸けて立ち向かった彼の姿は、判官贔屓もあって今もなお日本人の琴線に触れるのだろう」と絶賛。
さらに、戦国史の大家である小和田哲男も直家を同じ岡山にゆかりのある北条早雲とならぶ人物だとし、直家、秀家父子の功績として、岡山城と城下町の建設を挙げ、次のように語っている。
■“天下人・信長と同じ発想”を実行した人物
実は、直家のようにたびたび拠点を移し、城下町を一からつくっていった武将は少ない。代表的なところでは信長が挙げられるが、後の天下人と同じ発想を実行した点においても、やはり大した人物だと思う。秀家にしても、城下町で武士と町民を分けて住まわせる、いわゆる「士庶別居住区分」を設けたさきがけ。情報伝達などで効率的なのに加え、秀吉の進めた兵農分離の施策にも適合している(「戦国岡山 宇喜多氏を語る (1)」「山陽新聞」2024年10月29日付朝刊)。

地元紙が、大河ドラマ誘致の機運を盛り上げるという意図でやっている連載ということを割り引いても、直家が再評価に値する人物なのは確かだろう。
そして、なにより岡山が盛り上がるのは、2000年に及ぶ積年の中央の権力者に対する恨みである。
岡山県南部には、日本第4位の大きさを誇る造山古墳をはじめ、弥生時代の墳丘墓である楯築遺跡など、かつての繁栄を示す多くの遺跡が残る。古墳時代には、巨大な権力を持つ吉備国が誕生するが、それはヤマト王権の警戒を招き数々の陰謀によって衰亡させられた。各地に事蹟の残る桃太郎伝説もいうなれば、ヤマト王権による在地権力の征服である。
■約9万人の署名、市長のNHK訪問…盛り上がる誘致活動
要するに岡山は、古代から中央にやられ続けてきた土地なのだ。直家もまた、勝者の歴史に500年間消され続けた男だった。その怒りが、ドラマ化を求める約9万人の署名に、誘致に向けた岡山城活用のための1億7400万円の予算に、市長のNHK乗り込み(訪問)に結晶している。
山陽新聞の報道によれば、2024年12月には大森雅夫岡山市長らが東京・渋谷のNHK放送センターを訪れ、藤澤浩一コンテンツ制作局長と直接面会。要望書を手渡した。その後、大森市長は手応えを語っている。また「戦国宇喜多家を顕彰する会」のチーフアドバイザーには、岡山市出身の歴史学者・磯田道史が就任し、全国的な知名度を持つ顔ぶれで誘致活動を支えている。

(参考:山陽新聞「宇喜多父子題材の大河ドラマを 顕彰する会、NHKに要望」2024年12月25日)

(参考:「宇喜多直家・宇喜多秀家―― | さぁ、大河ドラマ実現へ - 岡山城」)

(参考:読売新聞「岡山市予算案4298億円 新年度10年連続最大 ごみ施設整備など」2026年2月11日)

(参考:岡山市「市長の大盛コラム(第16回)令和8年3月 みんなで呼び込もう! 戦国宇喜多家大河ドラマ実現への道」)
そして実利も見逃せない。大河ドラマになれば、岡山城と後楽園だけでは終わらない。直家が生まれた砥石城跡(瀬戸内市)、最初の居城・乙子城跡(岡山市東区)、次の拠点・亀山城跡(同)、そして岡山城……直家が拠点を移すたびに城下町を一から作り上げた足跡が、そのまま観光ルートになる。秀家が流された八丈島まで含めれば、岡山から東京まで聖地が連なる。造山古墳も楯築遺跡も「吉備の怨念の地」として脚光を浴びる。岡山がいかにスゴい土地であるかの歴史が、全部観光客で埋まる。
■“敗北の前史”が終わる
2000年越しの雪辱。今までの岡山の歴史は大都会岡山が真の日本の中心になるための前史みたいなものである。吉備国から宇喜多氏まで、敗北を記憶し続けることで純粋な郷土愛を育んできた岡山の前史は、ようやく終わる。
……実際、現在岡山駅前はバス路線の再編でターミナルをリニューアル。JR駅とは道路を挟んで離れていた路面電車の停留所もJR駅と直結工事が開始されるなど「街が変わっている」感が半端ない。宇喜多氏が大河ドラマとなれば、現在は人口約70万人の岡山市が、昭和以来の悲願である100万都市になることも夢ではない。
直家は天下を取らなかった。しかし岡山という都市として500年間生き続けた。大河ドラマになれば、それはもはや雪辱ではなく、証明である。大河ドラマで目指せ、100万都市‼

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昼間 たかし(ひるま・たかし)

ルポライター

1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。

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(ルポライター 昼間 たかし)

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