総務省消防庁によると、7月13日からの1週間、熱中症の疑いで搬送された人は全国で1万857人。その半数以上を65歳以上の高齢者が占めた。
在宅で最期を迎える人をサポートしている医師の萬田緑平さんは「高齢者の熱中症は、認知の衰えから起こりがちで、自分では対処できない場合が多い」という――。
■酷暑の中、熱中症で亡くなる人は…
7月から各地で猛暑が続き、熱中症のニュースが連日流れています。「80代の女性が熱中症の疑いで自宅から救急搬送された。そのときエアコンは作動していなかった」などと、報道されます。お年寄りにはクーラーの冷風が苦手だという人も多いので、離れて暮らすお子さんたちは、実家でお父さんやお母さんがちゃんとエアコンのスイッチを入れているか、「熱中症になっていないかな」と心配になるでしょう。
しかし、「熱中症」というのは、本当に暑さ自体が原因でなるものでしょうか。住み慣れた家の室内にいるのに体温調節や水分補給ができないというのは、それだけ判断能力が落ちているということ。つまり、高齢になって、のどが渇いていることや、体感温度がわからない。そして、水を飲もうとするとかエアコンをつけるという対策ができないのなら、もはや認知症に近いわけです。
■暑さ対策ができないのは認知の衰え
認知症について、僕はこう考えています。人間は歳をとると、ある日突然、認知症になるわけではなく、ほかの臓器と同じように、徐々に脳の機能は低下していきます。体のさまざまな臓器の中で、脳が先行して老化していくのが認知症で、多くの人は短期記憶から弱り始めます。

その後、長い時間をかけてゆっくりと老化が進み、そのうち着替え方も、トイレの仕方も、家族の顔もわからなくなって、誰が見てもわかる認知症になっていきます。料理の仕方も忘れますから、自分で食事を用意することもできなくなります。
■自分で食事も用意できない
野生の動物は、自分で狩りをして食べ、獲物がとれなくなって敵から逃げられなくなったら死んでいきます。動物は本来、自分でごはんが用意できなくなったら死ぬ時。認知症の人は自分でごはんが用意できなくなるけれど、その家族は死んでほしくないからごはんを食べさせ、施設に入れたりします。そして、胃ろうになっても、心臓マッサージをしても「生きている」と言います。
極端な話、他の病気にならずに生き続けていれば、いつかは認知症になるのですが、元気な時と、認知症になるまでには年単位の時間がかかるわけで、熱中症になるのはその“間”の状態といえるかもしれません。
■熱中症は一種の「延命治療」?
僕は「患者さん本人の好きなようにするのが一番」という考え方なので、僕の診療所には基本、認知症の人は来ない。来るのは、「延命治療はしたくない」という本人の明確な意思がある人です。ときどき認知症の人もいますが、それは認知症になる前から診ていて、家族が本人の意思を尊重するとわかっている場合だけ。だから、僕の患者さんやその家族からは「熱中症で困った」という話も聞きません。
■現代の医療が作り出した認知症
認知症の人も、最初から本人の好きなようにしていたら、認知症が完成する前に死を迎えるのではないでしょうか。
というのも、認知症は怖い病気ではなく、医療によって“つくられた”、一人では生きていけない状態だとも思うからです。
現代医療は、病気を治して治して老化をごまかし、とうとう治せない「認知症という状態」まで生きられるように発展してきました。けれども、ケースによっては、そこに至るまでのどこかの段階で、つらい治療や通院を選ばないことができていたら、より自然な形で逝けたかもしれないなぁと思うのです。
■認知症の人はある意味「勝ち組」
もしも本人が望んで認知症になるまで生きられたのなら、皮肉ではなく、それはそれでめでたいこと。認知症になることは、死にたくない人と、死なせたくない家族にとっては、むしろ望むところで“勝ち組”の形なんです。
「とにかく長生きしたい、死にたくない」と考える人は、完全に認知症になる前の4、5年間、認知機能がしだいに衰えることを自覚しながら「この先、自分はどうなってしまうのか」という恐怖を感じると思います。家族に「あれしちゃダメ、これもダメ」と行動を制限されて好きなようにさせてもらえないようなら、なおつらいですよね。
でも、その途中の苦しい時期を乗り越えて、完全に認知症になってしまえば、死のことを考えずに済むようになります。もはや、「自分が死ぬかもしれない」ということすらもわからない。死にたくない人は、頑張って完全な認知症になって、死のことがわからなくなるのも、幸せかもしれません。
僕は「本人の好きなようにさせるのが一番」というスタンスなので、もし自分なら、たとえ認知が衰えていたとしても、「熱中症になっちゃうからこうしなさい、ああしなさい」なんて言われたくないなと思います。恐ろしい病気にかかっているわけでも、恐ろしいものが迫りくるわけでもない。
親に死んでほしくない子どもにとっては恐ろしいものかもしれません。でも、それを乗り越えたら親が死なずに済むか? と言うとそうではないのです。
■熱中症になるのを避けられても…
結局は「自分や家族をどこまで生かすのか」という問題です。のどが渇いていることに自分で気づかなくても「水分補給をして」と言われたり、自分で食べられなくなっても食べさせてもらえたり、胃ろうや心臓マッサージも本人が希望するなら、全て延命治療じゃなくて“必要な治療”です。とにかく死にたくないという人にとっては、家族や病院が手伝ってくれるいい方法なわけです。
けれども、人は必ず老いて、弱って死にます。ひと昔前は熱中症という呼び名がなかったから、“お年寄りが老いて亡くなりました”という状態に病名をつけて、死を先送りにしようとしているだけではないかと思います。
認知症が原因で死にそうな高齢者を病院に連れていって助けたら、その人はその後10年も長生きするわけではないでしょう?
本来、亡くなる時期を、ほんの数年間、死なないように延ばしたぐらい。そうやって日本人の平均寿命は延び、日本は世界で最も医療が優れているなどと言われているけれど、実は世界で最も“死にそうな人”を生かしているから平均寿命が長いだけなのかもしれません。
■本来の寿命を受け入れられるか
認知症は老化の段階に名前をつけただけのもの。遅かれ早かれ死ぬのなら、しょうがないと思って、開き直ってしまえばいいのです。むしろ、認知症になるまで生きられたので、喜ぶべきものではないでしょうか。

そうして本人が納得し、家族も「しょうがないこと」と思えたら、家族みんなが開き直って、患者さんも病院ではなく家にいられるようになります。僕のところには、開き直って楽しそうに死んでいった患者さんと、その死を明るく見送ったご家族が大勢います。
人はいつか死ぬということを、本当はみんな知っています。でも、いざ大切な家族が亡くなると、「死んじゃうとは思わなかった」と嘆く。人は、がんが大きくなったり、病気になって死ぬのではなく、誰もが老いて、弱って死にます。そのことを頭だけでなく“心で理解”するのは難しいかもしれません。
寿命を迎えることに開き直れなければ、死はつらいけれど、開き直るほど楽しく死ねる。遺書を書いておくとか、いつ死んでもいいように楽しむとか、親や子などの大切な家族に「これまでありがとう」と伝えるとか、行動に移すことができる。その方がきっと人生の終わりに納得した時間を過ごせるのではないか。僕はそう思います。

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萬田 緑平(まんだ・りょくへい)

医師

「緩和ケア 萬田診療所」院長。1964年生まれ。
群馬大学医学部卒業後、群馬大学医学部附属病院第一外科に勤務。手術、抗がん剤治療、胃ろう造設などを行う中で、医療のあり方に疑問を持つ。2008年から緩和ケア診療所に勤務し、在宅緩和ケア医として2000人以上の看取りに関わる。著書に『穏やかな死に医療はいらない』(河出書房新社)、『家で死のう! 緩和ケア医による「死に方」の教科書』(三五館シンシャ)など。

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(医師 萬田 緑平 取材・構成=浜野雪江)
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