中国歴代最後の皇帝になった愛新覚羅溥儀の、1960年に作成された住民登録カードがインターネットで物議を呼んでいる。特に学歴欄が「中卒」と記入されていることに「あまりにもひどい」と、当時の扱いを批判する声が集中した。
中国新聞社が報じた。

 溥儀(1906-1967年)は、1908年から1912年まで清朝皇帝として在位。1932年-34年には満州国執政となり、34-45年8月18日まで満州国皇帝になった。日本の敗戦にともないソ連抑留され、1950年に中国に身柄を引き渡され、政治犯収容所に収監された。1959年に特赦され、1960年から北京植物園に庭師として勤務。その後、史料の研究・整理を行う一方で、中国人民協商会議の全国委員にもなった。

 溥儀の住民登録カードは北京市公安局(警察)が公式ミニブログで公開した。中国では公安が住民の戸籍管理などを行っている。溥儀の住民登録カードは、溥儀自身が「一般人民」として警察署を訪れ、申告にもとづいて警察官が記入したという。記入の日付けは1960年8月12日だ。学歴は「中卒」、勤務先と職種は「北京植物園 下放労働」と書かれている。

 学歴が「中卒」と書かれていることについては「あまりにも哀れ。
溥儀の教師を見たら、君たちは驚くよ。荘士敦、陸潤琛、羅振玉、王国威など、最高の知識人。書道の第一人者もいた」など、溥儀に対する扱いが不当だったと主張の書き込みが相次いだ。

 溥儀は前年の1959年に釈放された直後にも住民登録を行っていた。カードに書き込んだ警察官の証言も残っている。「学歴については、溥儀の申告どおりに『私塾』と書こうとしたが、(相手が元皇帝だったため)緊張して、『私書』と書いたという。1960年の登録で、「中卒」とされた理由は不明だ。

 1960年の住民登録では、「結婚状況」の欄に「離婚」と記入されていた。警察官の質問に対して「死んだ妻もおり、別れた妻もいる」と答えたので、警察官が「最後の奥さんとは、どうなりました」と尋ねなおした結果、「離婚」と記入したという。

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◆解説◆
 溥儀は清朝皇帝時代と満州国皇帝時代に、正妻及び側室を計4人持ったが、すべて死別・離婚した。1962年に看護婦をしていた李淑賢と結婚して、生涯添い遂げた。1959年と60年の住民登録カードは、「独身時代」に作成された。
なお、子どもはいなかった。

 溥儀の姓である「愛新覚羅」は満州語で、本来の発音は「アイシンギョロ」に近い。「アイシン」は「金」を意味し、「ギョロ」は地名。清朝滅亡後、愛新覚羅氏の多くは姓を中国語に意訳して「金」とした。(編集担当:如月隼人)

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