連載:40代現役アスリートの矜持
越川優インタビュー(前編)

「常に挑戦し続けてきたバレーボール人生でした」

 2022年5月8日、越川優は自身の現役引退会見でそう語った。

 小学4年生から姉の影響でバレーボールを始め、高校は長野県の名門・岡谷工業高校へ進学したのち、サントリーサンバーズに入団。

高卒での決断は、当時では異例とも言える選択だった。

 その後はイタリア・セリエA、さらにはビーチバレーボールの世界にも身を投じたのち、37歳でプレーヤーとしてのキャリアに終止符を打つ。言葉どおり、チャレンジの連続だった。

【男子バレー】元日本代表のエース・越川優が41歳で現役復帰 ...の画像はこちら >>
 現役生活最後に所属したチームは、当時Vリーグ・ディビジョン2(国内2部相当)のヴォレアス北海道。引退後も北海道で生活を送っていたという。やがて拠点を神奈川県に移し、横浜市の地域クラブで指導に関わった。

 越川自身、北海道に在住時から外部指導者を務めたこともある。そうした経験からコーチング業への興味や関心は高まっていた。そして地域クラブが中学生世代の「部活の地域移行・地域展開」を受けてチームを発足するにあたり、白羽の矢が立ったというわけだ。

「中学生たちへの指導に加えて、クラブのチーム運営そのものにも関わっていました。そちらがなかなか大変でしたね。昼間はチーム運営で、平日の夜と土日は指導にあたる、という具合でした」

 そこでは、チーム運営の難しさや課題を目の当たりにした。

と同時に、「指導者としてもっともっと自分が成長したい。高いレベルでのコーチングを経験したい」という思いが強くなった。

「ただ、その頃は日本でも大同生命SVリーグが始まったばかりで、チームを見渡してもOBや外国籍監督がスタッフに就くケースが見られました。それに僕自身も取得していたコーチ資格の等級の問題もあったので、指導者1本でプロとしてやっていくのは正直、難しいと感じていました。

 ならば、海外へ。まずはアジア圏に目を向けて各国のリーグをいろいろと見て、自分の経験値を高めたいなと思いました」

 エージェントがいたわけではない。だが、交流のあった面々や、つながりのなかでチームを探していく。そうして41歳の時、巡ってきたのが、モンゴルだった。

【渡航直前で予想外のトラブル】

 女子選手で言えば、2024-25シーズンに大元朱菜(当時・ハッシュハン/現・アランマーレ秋田庄内)がモンゴルでプレーしていた。とはいえ、越川自身はまるで接点のない国だった。

「まったくなかったです。自分が生きているうちにモンゴルに行くこと自体、思ってもいませんでした。

日本人選手が過去にプレーしていたとは耳にしていましたが、それ以上の情報はなかったので、『どんなところなんだろうな』と。ですが、どんな場所であろうと、まずは味わってみようという思いで決断しました」

 入団先はモンゴル・プレミアリーグの「アルタイ・バルス」。11月初旬からのシーズン開幕へ向けて、コーチとしてチーム作りに着手するべく、9月末に海を渡ることに。だが......。

「最終的にシーズンのスケジュールが確定したのが、開幕の1週間前だったんです。まだまだ日程が決まらないなかで、チームからは『渡航する日を、うしろ倒しにできないか』と言われました。要は、少しでもサラリーの支払いを抑えたかったという。年俸ではなく、チームに携わった期間に対して給料が支払われるというかたちだったので」

 プロのトップリーグでは、まずありえないであろう粗末な実状とはいえ、こちらもそれを易々と受け入れるわけにはいかない。

「チームの事情も行ってみないことにはわからないわけですし、事前に聞いた話だと(アルタイ・バルスは)リーグ内でも弱小のチームだったので、強化するにも1カ月は必要だろうと踏んでいました。それにまずは、コーチとしての自分を知ってもらうことから始めなければいけませんでしたから。

『合流を遅らせられないか』という話も出国予定日の数日前だったので、もう本当にバタバタでしたけれど(笑)、なんとか自分が想定していたタイミングでモンゴルに行くことができました」

 チームの拠点は、モンゴルの首都ウランバートル。この場所で、新たな挑戦が始まった。

(つづく/文中敬称略)

◆越川優・中編>>コートで弱音連発「なんでユニフォームを着ているんだ?」


【profile】
越川優(こしかわ・ゆう)
1984年6月30日生まれ、石川県出身。189cm。ポジションはアウトサイドヒッター。元日本代表。2003年に岡谷工業高からサントリーサンバーズに入団。高い得点能力と破壊力抜群のジャンプサーブを武器に、長年にわたり日本代表のエースとして活躍した。2008年の北京オリンピック出場やイタリア・セリエAでのプレーを経て、2022年に一度現役を引退。しかし2025年、モンゴル・プレミアリーグのアルタイ・バルスでプレーイングコーチとして電撃復帰を果たし、チームを準優勝に導く。今後もさらなる高みを目指し続けるレジェンドアタッカー。

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