スポルティーバのYouTubeチャンネル「ベースボールチャンネル」に、PL学園野球部OBの平石洋介さん、上重聡さん、今江敏晃さんが登場。甲子園という夢を追いかけた彼らが、今も冷めることのない、あの頃の「甲子園」への熱い思いや、時代とともに変わりゆく高校野球について語り合った。

そして、高校時代に出会った怪物・松坂大輔の衝撃を振り返る。

【甲子園は「特別な場所」】

上重聡(以下、上重) 甲子園という場所はどんな存在でしたか?

平石洋介(以下、平石) やっぱり特別ですよ。物心ついて初めて甲子園を見た時から、高校野球って『全国大会』って言わないで、『甲子園』って言うじゃないですか。それが当たり前のようにあったから、やっぱり甲子園は特別でしたね。

 初めて甲子園に足を踏み入れた時は感動しました。試合に出たのは3年生の春でしたけど、ボールボーイとして入ったのは1年生の夏でした。中村順二監督から「近くで雰囲気を味わっておけ」と言われたんです。

上重 将来を見据えて期待している1年生をボールボーイに置いていたんです。

今江敏晃(以下、今江)その夏、上重さんは?

平石 上重さんは、メンバーとしてベンチに入っていましたよ。

今江 それはすごいですよ。

上重 いやいや、全然すごくなくて、PL学園のピッチャーで1年生から甲子園のベンチ入りって、桑田真澄さんと僕と前田健太だけなんですよ(笑)。

平石 また言ってる(笑)。

上重 今江さんにとって、甲子園はいかがでしたか。

今江 正直、苦い思い出の方が大きいです。2年生の夏に4番ショートで出させてもらったんですけど、チームに貢献できなかった。というかむしろ足を引っ張ってしまった感じもあったんです。ベスト8を懸けた戦いで、智弁和歌山に負けました。打ち合いの展開のなかで、僕は打てなかったんですよ。あの時、「打てていたら勝てていたんじゃないか」って、今でも思います。3年生でリベンジしようと思っていましたが、甲子園に出場できなかったので、僕の甲子園は苦いまま終わりました。

【7回制議論への本音】

上重 暑さ対策で甲子園じゃなくてもいいんじゃないか、7回制を導入とか、今はいろいろと変わってきていますがどう見ていますか? でも、「甲子園に行きたい」と思っていた気持ちを考えると、変わらないでほしいという思いもありますよね。

平石 「甲子園は甲子園であってほしい」という気持ちはあります。でも、「7回制」ありきで議論が進んでいるように見えて、もっと柔軟に考えてほしいなとは思うんですよね。僕のなかで一番譲れないのは「9回制」です。

今江 僕もそういう話題が出て考えたんですけど、高校野球を7回制にするなら、最終的にプロ野球も7回制にするんですか、という話になりませんか。7回制と9回制ではそもそもやる野球が違ってくるじゃないですか。

選手も戸惑うし、見る側の感覚も変わってきますよね。プロ野球が9回制であるなら、やっぱり9回制がいいんじゃないかと思います。

平石 暑さもあるし、甲子園で9回制が厳しいなら、別の球場で9回制ならまだ......嫌ですけどね。

上重 僕らは甲子園に立たせてもらったからこそ、その思いが強いんでしょうね。

【松坂大輔という存在】

上重 高校時代に対戦して、特に衝撃を受けた選手はいますか?

平石 上重さんと僕は松坂大輔さんですよね。あの衝撃を超えるものはなかった。プロに入ってからもないですよ。

今江 平石さんは松坂さんとの対戦はあるんですか?

平石 いいかげんにせえよ(笑)。センバツもスタメンですし、夏も途中から出ているので対戦していますよ。

今江 変化球とか、どうだったんですか?

平石 スライダーがえぐかった。

上重 球が消えますよね。

平石 消えます。センバツの時は力みもなくてすごかったですよ。

上重 松坂さんのブルペンを見た時、チームメイトが青ざめていくのがわかりましたもん。「こんな球見たことない」っていう衝撃がありました。秋の大会が終わったころに、野球雑誌で「横浜に怪物現る、150キロ」という記事を見たんですよ。僕らはPLというプライドもあったし、「いやいや、言いすぎやろ」って思っていたんです。

平石 たまたま1球だけ150キロ出るピッチャーもいるから、それかなって。でも実際にセンバツで見たら、とてつもなかったんですよ。

上重 あれは本当に衝撃的でした。

今江 バッターで印象に残っている選手はいますか?

上重 高校日本代表で村田修一さんが、甲子園の右中間にホームランを打つのを見て、バッターの方がいいんじゃないかと思いましたよ(笑)。

今江 当時ピッチャーだったんですね。あの世代の選手は、みんなすごかったですよね。

上重 高校日本代表のピッチャーは、僕以外みんなプロに行きましたからね。今江さんは誰がいますか?

今江 個人ではこの人!という衝撃はなかったんですが、チームとしては智弁和歌山の打線全体が衝撃的でした。

上重 あの打線は本当にすごかった。智弁和歌山はそのまま優勝まで行きましたよね。

【高校時代のケガを経て学んだこと】

上重 今江さんは中学時代から活躍していましたが、高校のスカウトは何校くらいから来ていたんですか?

今江 ありがたいことに40、50校くらいから声をかけていただきました。

上重 その中からPL学園を選んだ理由は?

今江 中学で所属していたボーイズリーグは、毎日夜の10時まで練習していたんです。電車もないので、親が車を出してくれていましたし、部費や野球道具にもお金がかかっていました。「ここまでやってもらっていたら、絶対にプロにならないといけない」という思いが強くて、甲子園も出たいけどプロの方が優先でした。

 そう考えた時に、PL学園に入った先輩から「プロに行きたいんだったら、絶対PLに来たほうがいい」と言ってもらって、それで決めました。

平石 僕は一択に近かったですね。今江さんと同じで「甲子園には出たいけど、プロに行くならPLやな」という感じでした。当時お世話になっていた方からは猛反対されて、それでもブレずに「PL学園に行きたい」と言い続けて、最終的に認めてもらいました。

今江 プロを目指すなかで、高校、大学、社会人まで経験して、プロを諦めそうになったことはないんですか?

平石 高校1年の冬に左肩を痛めて、2年生の春に大手術したあとは、「プロに行きたい」なんて口に出すのが恥ずかしいと思うくらい投げられなくなっていました。野球選手が投げられなくなったら、本当に面白くないんですよ。

上重 その経験があったからこそ、指導者になってから控えの選手やベンチ外の選手の気持ちに向き合えていましたよね。取材をしていて選手たちからは、「平石さんは分け隔てなくコミュニケーションを取ってくれる、ちゃんと直接伝えてくれる」という声が聞こえていました。

平石 それは意識していました。「レギュラーには言えない」とか、そんなのは組織としてうまくいかないので、意識していました。

今江 みんなが気をつかうようなベテランにこそ、平石さんが「これだけはしっかりやってくれよ」と厳しく言えていたのは、高校時代のそういう経験があったからなんですね。

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