“敗者が語る”競技かるたの本が面白すぎる
著者は、公立中学校の校長もつとめ、多数の講演もおこなう人物です。
「私、伊藤孝男(以後、私と言う)は、かるた名人にはなれなかった」――そんな哀愁の一文から始まる、競技かるたの本がある。

『伊藤孝男の百人一首・競技かるた 速く・強く・そして美しく』(思文閣出版)。
2007年11月に刊行されたこの本、何が面白いって、「敗者が語る奥義」なのだ。

著者は、A級の公式戦で11回決勝戦に進み、結果は3勝8敗という人。「勝った三試合は、すべて無我夢中の試合だったので、勝因を尋ねられても、大相撲の勝ち力士のインタビューのような答えしか思いつかないが、敗れた試合からは多くのことを学んだ」とある。
よく「勉強ができた人ばかりが先生になるから、できない子の気持ちがわからないんだ」なんていう人がいるが、確かに、勝利よりも敗北からのほうが学ぶことは多い。

たとえば、弐章「初心者のための15のアドバイス」では、こんな名言が綴られている。
「その1 嫌いな札を作るな」。
当たり前のように思えることだが、そこでは、胸に突き刺さってくるような「真実」が語られる。
「嫌いな札がなくても負けるのだから、あれば問題なく負けにつながる」「嫌いな札を送られてくると、一枚なのに三枚くらいの重みを感ずるものだ。最悪なのは終盤で相手陣と自陣の合計が五枚から六枚のとき、嫌いな札があったら、絶望だ。要するに、勝負師は嫌いな札に復讐されるのである。恋愛と同じだ」
この心理の深さ、まるで福本伸幸先生の『賭博黙示録カイジ』のようではありませんか。

「その4 読みが始まる前に、必ず自陣を見よ」においても、人生に通じる重い訓戒のような語りがある。

「競技かるたは、敵陣を見て取ることがほとんどである。自陣がどうしても、おそろかになる。(中略)とにかく、読みが始まる前の数十秒を利用して、必ず自陣を見つめることだ。そして、自陣を攻めるのだと言い聞かせることだ」
「その9 運命戦の『むすめふさほせ』は大切に」。「むすめふさほせ」とは、ご存知、この文字で始まる札が一枚しかない「一枚札」のことだが、運命戦になると、どういうわけかこの「むすめふさほせ」が出るのだと、読みの職人さんが言うのだそうだ。
確率の問題では……なんて野暮なことは言うまい。
そういう不思議なことが、勝負においては起こるのだという。

もちろん精神論だけではなく、「決まり字の変化に対応すべし」「試合前の暗記の仕方は、縦横無尽に」「分かれ札の攻めは起点を定めよ」「三字決まりに強い人は大成する」「札の移動は前後だけ、横の移動は要注意」など、技術的なポイントも事細かに綴られている。

さらに、素敵なのは、四章の「愛すべき『かるた人たち』」。
「雑多な群れの中にその人はいた。濃紺のジーンズ風のロングスカートを身につけ、髪は後ろで単純に縛られていた。選手全員が札を前に相手と対峙していたが、その人は余程姿勢がよいのか、うなじから背筋にかけて鶴が座っているように見えた」
「敵陣をきれいに取る人は多いが、自陣を美しく取ることのできる人は少ない。
彼の裁きは実に正確で美しい」

その叙情的で美しい表現は、まるで文学作品のよう。かるたをよく知らない人も、ぐいぐい惹きこまれる魅力的な本です。
(田幸和歌子)

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