2015年が明けて約20分後、私は初詣もそこそこに近所のセブン・イレブンに駆け込んだ。目的はただひとつ、セブン・イレブン限定発売の「週刊文春」の「お正月スペシャル号 丸ごと1冊タンマ君!」を買うためだ。
ひょっとすると日付が変わったばかりではまだ入荷されていないかも……と一瞬不安もよぎったが、ちゃんと店頭に並んでいて、無事に入手することができた(なお、同号はセブンネットショッピングでの通信販売も行なっている)。

今回の文春の特別号は、タイトルにもあるとおり、同誌で1969年から連載されている東海林さだおの漫画「タンマ君」から、作者自ら選りすぐった傑作68本をまとめたものである。ただし、前半では「週刊文春」の昨年のスクープ記事にまつわる裏話の特集に誌面が割かれている。本音を申せば(by.小林信彦)、正真正銘「タンマ君」だけで「丸ごと1冊!」にしてほしかったところだが。まあ、ごちそうには前菜がつきものだし、ムニャムニャ……。 

「タンマ君」は、たまーに「週刊文春」を買ったときに読むぐらいだった私だが、こうしてまとめて読むと、主人公のタンマ君のキャラクターがよくわかる。
タンマ君が万年ヒラ社員で、スケベだということは、国民周知の事実だけれども、スケベはスケベでも想像力豊かなスケベであることに今回気づいた。たとえば、「週刊文春」1996年3月21日号(114ページに再録)では、春になり発情したタンマ君が、コンビニで買った梅おにぎりから女体を連想して興奮が止まらなくなる。と、文章で書いても何のこっちゃだが、絵を見れば納得し、そして良識ある人間ならばあきれ返ることだろう。でも、私はこういうのキライじゃない。むしろ好きである。ついでにいえば、同じ回で、コマを追うごとに高まっていくタンマ君の興奮度合を、最初「ムラムラ~」、次に「マチマチ~(ムラが発展して)」、さらには「シーシー(市)」と段階的に表現していたのにも思わず吹いてしまった。


この回ひとつとっても「タンマ君」は、まったくもってしょうもない。だけど面白い。いや、「だけど」ではなく、しょうもない「ところも含め」面白い、と言ったほうが正しいか。このあたりともおそらくつながると思うのだが、今回の特別号では、東海林と同年代(1937年生まれ)の同業者を代表して山藤章二がこんなメッセージを寄せている。

《東海林漫画の見開き頁をひらくと、人はみなほっとする。その秘密は「時代とズレている」ことだ。
「少し古びている」ことだ。それを若い連中は「時代おくれだ」「オヤジギャグだ」と一見、さげすみの目で見るようだが、心の中では尊敬しているのだ。(中略)いまの世の中、心に悪いことばかりが起こっている。そんなとき、東海林漫画の頁をひらくと、一瞬にして非日常の世界に連れて行ってくれる。そのことに気づけば、東海林さだおのすごさと売れている理由に納得がいくだろう》


山藤以外にも、今号には「週刊文春」の連載陣であるみうらじゅん、伊藤理佐、近田春夫、ブルボン小林などといった人たちがリスペクトあふれるメッセージを寄せている。みうらのメッセージが、東海林のエッセイを模倣したような文体かと思えば、近田のその結びは《もし週刊文春からタンマ君が消えてしまったら! ひょっとして週刊新潮と同じぐらい記事が不気味にみえちゃうって、ちょっとみなさんそう思いません?(笑)》とミもフタもない。
まあたしかに、「タンマ君」が消えたら、文春はかなり愛嬌のない雑誌になっているような気もしなくはないが。

このようにいろんな人が語る「タンマ君」の真髄とは、マンネリの魅力とでも要約できるだろうか。主人公のタンマ君は、連載当初から非モテキャラを貫き、連載46年が経ったいまも独身だ(ま、連載開始から年もとっていないのでしょうが)。世のカップルに対しても異常なまでに嫉妬を抱き、その矛先は人間ばかりか、蝶チョや猫のつがい、あげくには花のオシベとメシベ(!)にまで向けられる(72ページ)。あるいはべつの回(62ページ)では、ホテルに入っていくカップルたちを眺めては、同僚と一緒に地団太を踏む。なお、この同僚とタンマ君は、またべつの回(64ページ)では料金不払いで仲良くガスと電気を止められるなど、本当に似たものどうしだった。


だが、その良き友人も、いつしか常連から外れるようになる。作者の東海林によれば、この友人については単に忘れて、ある時期から出さなくなってしまったらしい。ただし、長期連載になるにしたがい、意識的に定番キャラを外して、新しいキャラを出すようにはしているという(今回の特別号に再録された東海林のインタビュー〈初出は1999年刊の『なんたって「ショージ君」』〉を参照)。

新キャラには、そのときどきの流行なども反映されているようだ。たとえば、104ページに出てくるタンマ君の後輩社員は、顔つきといい性格といい、発表(「週刊文春」1992年10月1日号)当時、テレビドラマで話題を呼んでいた「冬彦さん」にそっくり。また、1994年6月9日号掲載の回(112ページ)に出てくる上司の一人は、たぶん時の首相・羽田孜がモデルだろう。
キャラだけでなくタイトルの書き文字も、ある時期から毎回のように替わっている。このように「タンマ君」はマンネリのなかにも、細かいところでは手を変え品を変え、読者を飽きさせない工夫をしていたのだ。

じつのところ私は、「タンマ君」にかぎらず東海林さだおの作品を、漫画も文章もそんなに読んできたわけではない。そのため今回の特別号の予習というか、免疫をつけておくため、この年末からいくつか作品を読んでみた。なかでも『ショージ君の漫画文学全集110選』は予想以上に面白かった。この本に収録された短編はいずれも、古今東西の文学の名作からタイトルを拝借しながら、東海林がパロディでも何でもなく、まったくべつの作品に仕立てたものだ。そこには毎回、さまざまな人たちが登場しては、トンチンカンなやりとりを繰り広げ、ときに不条理ですらある。たとえば「不思議の国のアリス」と題する一編では、犬ではなく、骨をつけたヒモを引きずりながら散歩するおじいさんが現れ、目撃した主婦2人組がその真意をあれこれと憶測する。おじいさんはさらに缶、靴、トンカチなどと日ごとに引きずるものを変え、そのたびに主婦たちは推理を働かせるのだが、ラストには思いがけない結末が待っていた。本作で主婦2人が交わすセリフの間合いのよさは、東海林のエッセイでのテンポのいい文章にも通じるものを感じる。ちなみに東海林は、一文ごとに改行するという文体の“発明者”でもある。

この大晦日には、やはり東海林が長らく続けてきた「毎日新聞」の連載漫画「アサッテ君」が最終回を迎えた。「アサッテ君」の連載は1974年に始まって以来、40年間、1万3749回続いた。年数でいえば同じ毎日新聞に1954年から2001年まで続いた加藤芳郎の「まっぴら君」のほうが長いものの、途中で休載を挟んだので、回数では「アサッテ君」のほうが149回分多い。この間、東海林は一度も病気で休載したことがなかったとか。現在も週刊誌3誌、月刊誌1誌の連載があり、飛び込みの原稿も合わせると月に約50本の締め切りを抱えているという。それをこなすため、1日のスケジュールは5分刻みで考えなければいけないらしい。作風はユルいが、作者の生活はちっともユルくなかったのだ。

ただし、仕事は日曜は休み、平日もだいたい夜6時か7時には終わらせ、仕事場でビールを飲んだり居酒屋に行ったりしているというから、いまどきのサラリーマンよりよっぽどメリハリのある生活を送っているようにも思える。今回特別号に再録された1999年のインタビューでは、《仕事がなくなったと同時に、死んじゃうというのがいちばんいいですね》と語っていた東海林(当時62歳)だが、「アサッテ君」連載終了にあたっては、こんな告白をしていた。

《前からやりたいことがあって時間的に無理だと思っていたんですが、2年計画で手をつけ始めました。年が年なので間に合うかどうか》(「毎日新聞」2014年12月31日付)

文春の特別号の巻末には、仕事場でマシンを使ってトレーニングに励む東海林の近影が載っている。さすがに昔の童顔とくらべれば老けたけれども、腕の筋肉の付き方などちょっと77歳の人間とは思えない。この分なら彼の言う「2年計画」も無事に成し遂げられるのではないだろうか。
(近藤正高)