メインになるアッシュの仲間大集合。散々痛めつけられてきたアッシュ反撃の始まりだ。

アニメ『BANANA FISH』(→公式サイト)。
「第六話 マイ・ロスト・シティ」が今日8月9日(木)25:05より、フジテレビ”ノイタミナ”ほかで放送。Amazon Prime Videoで毎話フジテレビ放送開始1時間後より配信予定。
「バナナフィッシュ」アッシュの暴走トラックどうしちゃったの?5話
吉田秋生「BANANA FISH」5巻表紙。アニメ五話はついにアッシュ反撃回

暴走しちゃったアッシュのトラック


Twitterで多く見かけた感想に「トラックで突っ込んだところ、ムービーや写真が撮られてSNSにアップされまくりそう」というものがあった。
アニメだけ見ると、そのくらいアッシュの行動が雑に見えて仕方ない。いくらなんでも目立ち過ぎだ。

これは、アニメ版は時代が80年代から現在に変更されており、原作にあったアッシュのディノ殺害計画の概要がざっくりカットされているのが主な原因。

原作ではディノがいたのは「魚市場のそばにある、会員制の魚料理店」という設定。
魚市場に出入りする中国人の車は李の権力でフリーパス。なので李にわざわざ「出入り可能なトレーラー」を借りて突っ込む、という作戦だった。
店の周りはセキュリティの男たちだけ。オーサーたちのスナイプさえなければ、大成功に近い割としっかりした策だった。

アニメ版は「町中にある魚料理店、秘密クラブがある」と設定が変更されている。

店の前には一般人がいっぱいいるような町のど真ん中。暴走トラックが突っ込んで、街中大騒ぎ、という強引なアッシュの力押しシーンになっている。

さすがにこれは通報されまくり、ネットで拡散されまくりなんじゃないの、と思ってしまう。
アッシュは天才だ。原作のアッシュなら、人目につくような真似はしないだろう。たとえ自分が刺し違えて死んでも、ショーターとエイジがいるわけだし。


ただアニメ版のアッシュは、原作に比べてはるかに感情的なキャラクターとして表現されているところに注目したい。ところどころ、子供っぽさが見えると言ってもいいくらい。
ギャングのヘッドとしてのカリスマ性はあるものの、兄のこと、エイジやショーターやスキップのことになると、冷静さを原作以上に欠いているように見える。

アッシュを「むちゃをする少年」だと考えると、彼の強引な突撃によって「不良少年の若気の至り」的なシーンになった、とも取れる。
激情の演出にするために改変されたのだとしたら、ここから先のアッシュの描写は、どんどん変わっていく可能性が高い。
時代の変化に伴った細かい変更点で、アッシュのキャラクター性が掘り下げられていくのだとしたら、それもワクワクする。


アッシュが跳んだ日


五話はエイジがかつて棒高跳びの選手だった回想シーンが入っている。伊部が撮影したいと思った、まだ高く跳んでいたころのエイジの姿は「BANANA FISH ANOTHER STORY」に収録されている「Fly boy,in the sky」で描かれている。その後の、怪我をして跳べなくなってからの話だ。
「バナナフィッシュ」アッシュの暴走トラックどうしちゃったの?5話
吉田秋生「BANANA FISH ANOTHER STORY」
「Fly boy,in the sky」収録

しかしアッシュは、エイジが二話で跳んでいたのを、ものすごく高く評価している。
アッシュ自身の運動神経なら、練習すれば棒高跳びで跳ぶのは、わけないだろう。
技術面だけじゃない、エイジはアッシュにない、自由に向かって跳ぶことができる純真さがあるのだ。だから伊部もアッシュも、エイジの姿に惹かれる。


今回、ディノの殺害失敗の際に川にみんなが一斉に飛び込むシーンがある。
原作では2コマの、そこまで重要ではないシーン。
しかしアニメでは、彼がものすごく高く、力強く跳んでいる。スローモーションで、スニーカーを履いた足の力みが丁寧に表現されている。

エイジほどじゃないけれども、自由への逃走のために、アッシュも跳べるようになったのだ。
そもそもアッシュは、マックスに言われなければ川に飛び込むという発想がなかった。
下手したら全員を殺すくらいの勢いだ。

アッシュとエイジは住む世界が違う。けれどもどこかでシンクロしあえる、というのがこの作品のテーマのひとつ。
ジャンプ1つの表現をとっても、アニメ版ではアッシュはエイジの自由さに引っ張られている。

優しい大人


今回アニメならではの改変が入ったのは、マックスだ。
コミカルな、おっちょこちょい元軍人ジャーナリストな彼。アッシュへの思い入れがものすごく強くなっている。
「ふざけた野郎だぜ、たった1人でマフィアの親分に喧嘩吹っ掛けようだなんて。だがだからこそ俺はお前をほっておけん。これは俺の戦いでもあるんだ。あいつの敵は俺の敵でもあるからだ」

マックスはアッシュにとっての「信頼しきったわけじゃないけど、わりと近い距離の大人」という独特の存在。
そもそもアッシュは大人全てを憎む少年だ。彼の心の扉をこじ開けようとし続ける、マックスの熱いおせっかいが、アニメではより強調されている。

マックスや伊部という大人が「いいやつ」度を強調されているのは、ディノや李のような残虐な大人たちとの対比をしておく必要があるからだろう。
今回はディノがやっている少年人身売買が、はっきりと表現された。少年だけなのは、ディノの趣味だろう。
麻薬漬けにして使い捨てる大人たちを見てきたアッシュが、大人に心を閉ざすのは当たり前の話。
エイジによって彼の心は氷解してはいくものの、「大人」像を少しずつ変えているのがマックスなのも間違いないはずだ。

ここから先は、アッシュ、エイジ、マックス、伊部、ショーターというチームの、反撃のための短い旅のはじまり。ジョジョ三部序盤の花京院たちみたいで、ちょっとだけ楽しい。ちょっとだけ。

(たまごまご)