いい再現と改変だった!
珍しく出てきた貴重な女性要員ジェニファは、原作では洋服をむしられ、男たちに襲われたことがほのめかされていた。ここはカットされ、性的に奪われる人間をアッシュだけに絞り込んだ。

原作には旅の途中鶏を盗む場面があった。これもアニメではカット。人気のあるシーンなので、予告編に盛り込んだ。アッシュの哀しみに焦点をあてて話をブレさせない、アニメ版の粋な計らいだ。
「バナナフィッシュ」美形であることは呪い。呪いから生まれる罪6話
吉田秋生「BANANA FISH」6巻表紙。六話はケープコッド編。アッシュの過去の話が明かされる

美人の呪い


父親がアッシュのことを「あばずれ」と呼んだのは興味深いところ。
本来は品行が悪い人間全体をさす単語だが、俗語としては大抵「不貞な女性」の蔑称。
実際、アッシュは生きるため男娼として生計を立てていた。
大人の男性でも女性でもない、性別「美少年」にはまる単語だ。

ディノやその部下、監獄の囚人にも性的に襲われていたアッシュ。
彼の描かれ方は、ゲイ文化より日本の衆道の雰囲気に近い。
衆道では、15から18歳を「盛りの花」と呼んでいた。アッシュは17歳だ。

7歳のころ、アッシュが地元の名士に虐待され犯されていたことが語られる。
警察は名士だからと、手を出さず不問にするどころかアッシュのせいにまでした。
父親は生き延びる術としてアッシュに、今後はなすがままにされろ、そのかわり金をもらえ、と言ったことを自白する。
アッシュがその男を父の銃で殺害したあと、地下室からゴロゴロ子供の骨が出てきたという。
青ひげというか、ジル・ド・レイ。

かなり際どい話だが、ここは絶対カットしてはいけない部分だ。
アッシュの抱えた呪いの始まりだからだ。


アッシュは天才的頭脳、容姿、身体能力、全てにおいて完璧な美しさを持っている存在として扱われている。
美しいということは、呪いだ。
多くの人に目をつけられ、奪わんとする人間も出てくる。美女として讃えられたマリリン・モンローも、性的な児童虐待にあっていた過去があるそうだ。

呪いを退けるために、生きるために、アッシュは人を殺した。逃げ出して自分のために戦った。

彼は絶対に罪のない人を傷つけない。敵ですら、戦う意思を失ったら解放する。闇社会では、優しすぎる行動。
とはいえアッシュの犯した殺人の数々は、どんなに自己防衛でも罪は罪だ。

美しいがゆえに幼少期から今まで大人たちの性に呪われ続け、呪いから逃げるために罪を背負い続ける。それでも決してひねくれて悪の道に進まない姿は美しくて、大人たちに追われ……という地獄のようなループ。


一瞬の幸せ


ケープ・コッド編では、今までになかった彼にとても貴重な「幸せ」の一瞬がある。
早朝の射撃訓練中、アッシュの元にエイジがやってくる。
誰にも心を許さず、絶対に自分の銃を触らせなかった彼が、エイジに撃たせたのだ。

常に気が張り詰めていてゆっくり寝る暇もない彼の心が、完全にエイジに心を開いた瞬間。
朝焼けの中、2人が銃の訓練をしている時間は、ファンの間でも人気のあるシーン。
「もっとしっかりグリップを支えて!」とエイジの肩を抑えながら指導するアッシュには、山猫の凶暴さはない、ただの1人の男の子だ。

アマデウス症候群


アッシュ「何があったのか知らないけどあんたはあいつを甘やかし過ぎる。
そんなだからいい年して自分の身一つ守れねえんだぜ」

伊部「俺たちの国では自分の身を守るために銃を持つ習慣はないんだ!」
アッシュ「あいにくここは日本じゃない。誰かがあんたに銃を突き付けたときそのセリフが通用するか試してみるんだな」

大人の伊部が来た途端、アッシュは心を閉ざしてしまう。
2人の会話は、大人と子供、アメリカ人と日本人、犯罪社会の人間と平和社会の人間、という対比がもろに出ている、この作品のテーマに通じる重要な会話。
どちらの言い分も筋は通っている。前回ディノ討伐についていったエイジに銃を渡したアッシュは、自分の身は自分で守らねばいけない、という意識が強い。
結果として、前回はエイジは引き金を引くことが出来ず、撃ったのはショーターだった。

伊部は、エイジの安全のみならず、犯罪者になってほしくないという思いが極端に強い。だから「過保護」と言われる。

マックス「お前だって分かってるはずだぜ。お前は彼になりたかったんだろ?」
伊部「ああたぶん……いやきっとそうだな」
マックス「アマデウス症候群だ。いとしくていとしくて憎い俺のアマデウス」
「バナナフィッシュ」美形であることは呪い。呪いから生まれる罪6話
映画「アマデウス」1984年公開

アマデウス症候群は、病名ではない。
シェーファーの戯曲であり、1984年(バナナフィッシュが連載開始する1年前ですね)に映画化もされた『アマデウス』の中では、宮廷音楽家サリエリが天才アマデウス・モーツァルトに対して、嫉妬と憧れを抱いて、最終的に殺してしまうねじれが描かれている。
このような、自分の抱く理想や夢を、超越した才能を持つ相手に投影し、執念のように憧れて妬み愛する思いを、ひっくるめて「アマデウス症候群」と呼ぶらしい。
もっとも伊部は、サリエリのように自己否定や相手への憎しみ・嫉妬は持っていない。

伊部は、自分がなれなかった「純粋な美しい存在」にエイジを育てたい面が強い。だからこそ、エイジに銃は持たせたくない。
この思いは、ショーターも同様のようだ。今回はエイジに、自分が殺した死体を見せないようにしている。こっちの世界に慣れるな、来るな、と言っているかのようだ。

アッシュは銃をエイジに握らせながらも、この境界線で悩んでいる。
伊部とアッシュが、生命を賭してでもエイジを守ろうとする理由は、好意以上の複雑な思いがありそうだ。

(たまごまご)