ポケベル、カセット、ビデオ、etc...歌詞にみる時代性
今うちでは聴けないカセットテープ。そういえばA面・B面というのもなくなりましたね
徳永英明が女性ボーカリストたちの曲をカバーしたアルバム『VOCALIST』シリーズが大ヒットしているが、『恋におちて』を久々に聴いて、やっぱり名曲だな〜なんて思っていた。

語り継がれるべき曲。
でも懐かしいというか、やっぱり時代を感じさせる独特のなにかがある。メロディもそうかもしれないが、歌詞の中で今は使わない表現が出てくるというのも、ひとつあるかもしれない。

例えば、最後に「ダイヤルまわして」というが、今はほとんどの電話がプッシュ式だから、ダイヤルをまわすという感覚はうすれている。そういえば、昔大好きだったチェッカーズの名曲『涙のリクエスト』にも、「ダイヤルまわす」という表現が出てくるっけ。

今はまだダイヤル式の電話も存在するだろうし、ずっと使っているという人もいるだろうけど、これからずーっと先には、どうなっているのだろう? ダイヤル式で代表的な黒電話、見かけなくなってきたもの。そう思うと、こんなふうに歌詞の中に残っていくことにちょっと感慨深くなったりして。


そこで、他にもそういう時代をうつすような表現のある曲を思い出してみた。

「ブラウン管の向こう側」ではじまるブルーハーツのこれまた名曲『青空』。プリンセスプリンセスの『Diamonds』でも「ブラウン管じゃわからない」と歌ってるが、ブラウン管も徐々に消えていく運命。うちにあるのはまだブラウン管のテレビだが、これからは薄型のテレビのしか売られないだろう。

そうそう、テレビ関連でいうと、チャンネルも。チャンネル自体はこれからもあるし、「チャンネルを変える」「チャンネルを取り合う」という表現はあるものの「チャンネルをひねる」となると、やっぱり時代感が。
これもチェッカーズの『今夜はCまでRock'n Roll』という曲に出てくるんですが。

あと『ポケベルが鳴らなくて』。これはポケベル自体がもうほとんど普及してないから、当時を知らない若者にとってはなんのこと? ってなりそうだ。でもやっぱりすごく売れた曲だし、決して廃れない曲なんだろうなと思う。これに関していえば、ポケベルは時代の象徴ともいえるし。

ビデオはどうだろう。
バンドブーム時代、人気だったバンドのひとつ、カステラの曲に『ビデオ買ってよ』というタイトルの曲があったのだけど、やっぱりビデオもそのうちなくなっていくのだろうか。うちではまだまだビデオが大活躍しているが、先日友人に「うちにはもうビデオなんてないよ〜」といわれてちょっとショックだった。まあ、そういう時代なのでしょう。

あとはカセットテープ。松任谷由実の『リフレインが叫んでる』にも「すりきれたカセットを」という表現が出てくる。これがまたすごくいいんだけど、カセットは自分ももう聞けない状態にある。
カセット自体は残っていても、それを聞ける機械が少なくなってきているのは事実。レコードはDJが使うし、逆にレコード好きというのはいると思うので、レコードはまだ廃れることはないと思うのだが。

ほかに「公衆電話」とか「ディスコ」などもさまざまな曲で歌詞には多く使われているもの。これらは完全になくなることはないと思うけど、だんだん少なくなってきているから、歌詞としてもなかなか登場しにくいかも? とはいえ、パフュームの「チョコレイト・ディスコ」にもあるように、今でもあえて使う場合だってある。上記であげたものでこれから失われるものがあったとしても、もしかしたら歌詞としてあえて使うことは十分あるのかも。

私はよく、歌によってその当時自分が何をしていたか、思い出したりすることが多い。
その時代を反映する曲というのはいつの時代にも存在するけれど、そんな中に文明の発達とか、時代の変化で変わっていくものや言葉の表現というのを感じることもあるのだな、と改めて考えたのでした。
(田辺 香)

※1月19日に掲載いたしました上記記事に誤りがございました。
『VOCALIST3』に収録されている楽曲を『恋に落ちたら』と記載させていただきましたが、正しくは『恋におちて』であり、誤りでした。記事を一部修正させていただきました。

読者の皆様および関係各位にご迷惑をお掛けしましたことを深くお詫びいたします。