人生に迷ったとき、元気がほしいとき、あるいはただ日常を忘れて泣きたくなるとき――そのような瞬間にそっと寄り添う存在がアニメである。アニメには人生のヒントや生きる力が詰まっている。
コラム『アニメ大先生』は、「人生で大切なことはすべてアニメが教えてくれる」をテーマに、アニメを通じて得られる学びや気づきを綴る連載である。

連載第25回となる今回は、八木美佐子アナウンサー(出演20回目)が、自身の言い間違いをきっかけに痛感した「言葉という道具の難しさ」を振り返る。一語の選択が状況を根底から覆しかねない……その怖さを入り口に、知略と弁舌を武器に日本再統一を目指す『日本三國』の魅力へと迫っていく。言葉は単に感情を伝える手段にとどまらず、現実を切り拓くための強固な「技術」となりうる――その本質的な面白さを、喋りのプロである八木アナが鋭く読み解く。

◆『弁は剣よりも強し? アナウンサーも注目『日本三國』の弁舌バトル』 

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喋りを生業にしながらも、ときどき自分の言葉に足をすくわれることがあります。
先日も友人と近況を話していた際、勢い余って「それは火に水を注ぐようなものでしょ」と口走ってしまいました。
本来なら「火に油を注ぐ」と言うべき場面です。一語違えば意味は真逆で、事態を煽るつもりが一気に鎮火させてしまうという、なんとも情けない言い間違いでした。友人はあえてそこを拾わず、文字通り「油を注がず」にいてくれましたが、その優しさが身に沁みると同時に、言葉という道具の難しさを痛感しました。たった一文字、あるいは一語の選択ミスが、盤面を根底からひっくり返してしまう。
だからこそ今、私は『日本三國』に強く惹かれているのです。

本作の舞台は、文明崩壊を経て三つの国家に分かたれた近未来の日本。
主人公・三角青輝が「日本再統一」という壮大な志を掲げ、知識と弁舌を武器にのし上がっていく物語です。幕末や戦国時代を思わせる権力争いを「未来の日本」に置き換えた設定によって、近未来SFでありながら、まさに大河ドラマのような壮大な政治劇としても楽しめます。

青輝が振るう武器は、剣ではなく、徹底的に磨き上げられた言葉です。昨今のタイパ重視、倍速視聴の潮流とは逆行するかのように、一言一句を噛み締めなければ置いていかれてしまうほど、本作の台詞には濃密な情報と熱が詰まっています。アニメ史を振り返れば、シャア・アズナブルやルルーシュ・ランペルージのように、言葉と知略で人を動かしてきたカリスマがいます。けれど青輝が決定的に異なるのは、その武器が特殊能力でも戦闘兵器でもない点です。
彼はあくまで「論理」という地続きの技術で戦います。相手の前提を崩し、矛盾を突き、逃げ道を塞ぐ。その戦法は、感情任せの熱弁とは無縁で、冷徹な知性に貫かれています。私自身の子ども時代を振り返れば、親に「みんな持っているから」と訴えて「たまごっち」を買ってもらった程度の交渉術が関の山でした。あれを論破と呼んでよいのかはさておき、少なくとも青輝のように、論理だけで盤面を支配するような境地とはほど遠い気がします。
だからこそ、論理だけで世界を統治しようとする彼の境地には、凄みがあります。


また、この作品で印象的なのが、「言葉の強さ」を台詞だけでなく画面構成でも可視化していることです。オノマトペを記号的に配置することで、効果音を視覚的な情報としても意識させている。その演出が、画面に独特のリズムと緊張感を生み出しています。さらに、スタッフ欄に「筆文字」が独立してクレジットされていることからも、文字表現を画面づくりの一部として強く意識していることがうかがえます。そうした文字や記号の演出が、この作品の緊張感やシャープさをいっそう際立たせているように感じました。

第3話までの時点で、『日本三國』はまだ大きな物語の入口に立ったばかりです。山口県下関市出身の私にとって、原作で壇ノ浦が舞台になっていることも、今後の大きな楽しみのひとつです。愛媛や大阪といった土地が物語の序盤から印象的に描かれているのを見ると、実在する地名が持つリアリティが、この作品に歴史劇のような奥行きを与えているように感じます。

国の形が揺らぐとき、人を動かすのは武力だけではありません。誰が何を語り、どんな理屈で人を動かし、盤面をどう変えていくのか。そうした政治劇としての魅力を持ちながら、青輝という人物の知略の冴えまで味わえるところに、この作品の大きな面白さがあります。私たちの日常は乱世ではありません。
それでも、誰かの心を動かしたり、状況を変えたりするのが、力の強さではなく、言葉の選び方である場面は少なくないはずです。『日本三國』は、言葉が気持ちを伝えるためだけでなく、現実を切り拓くための技術にもなりうることを教えてくれる作品です。
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