5月9日に告示された静岡県知事選挙がにわかに注目を集めている。
4月、不適切発言を機に突然辞意を表明した川勝平太前知事は「(リニア新幹線の)2027年の開業の断念は重要な、爆弾的なニュース」と言い放ち、私利私欲のためにリニア開業に反対していたともとれるこの発言が波紋を呼んでいた。
今回の知事選でもリニア問題は大きな争点となっており、候補予定者はそれぞれ持論を主張している。
前浜松市長鈴木康友氏と元副知事の大村慎一氏は、リニア自体は「推進」の立場を表明。鈴木氏は「環境との両立を図る」と川勝氏と同じ問題意識を持ち、大村氏は「対話」による解決を訴えるも具体策は示していない。また、共産党県委員長の森大介氏はリニア整備自体に「反対」の立場だ。どの候補予定者も、リニア問題への取り組みが投票行動に影響を与える可能性があるため発言は慎重になっている。
川勝前知事時代は、知事の存在自体がリニア開通の最大の障害であるかのような論調が目立っていた。
◾️①県外にも悪影響「水問題」の解決策見い出せず
川勝前知事がリニア反対として掲げていた理由の一つが「水問題」である。
リニアが通る南アルプストンネルは山梨県内の富士川水系、静岡県内の大井川水系、長野県内の天竜川水系という三つの異なる大きな水系を貫いている。トンネル建設によって湧き出た大井川水系の水が出てしまう。
しかし、当時の金子慎JR東海社長と川勝知事とのトップ会談が決裂。そこから川勝前知事が「リニア開通最大の障害」というイメージがついてしまった。
ところが川勝前知事が懸念したことが、静岡県以外でも起きている。
トンネル工事の際、水脈にぶつかると、トンネル内に水が溢れてくる。その水は別の場所に移すのだが、そうなると別の場所で水涸れが起きてしまう。なんとトンネル掘削工事の現場周辺では、井戸水や河川の渇水・減水が起きてしまった。
山梨県御坂町を通る一級河川「天川」は、そのせいで水が枯渇したそうだ。同県八代町竹居の門林地区九世でも、使っている井戸水が明らかに減っているという。
代替の水は遠くからポンプで配送されているが、エネルギーコストが余分にかかってしまう。しかも生活水の補償は、国土交通省の通達で「最長30年間」という期限が設けられており、その後は住民負担となる。30年後、必要以上に高い水道代を負担しなくてはならない町に未来を見出だせるだろうか。
長野県下伊那郡大鹿村大河原の釜沢集落の水源も、リニアのトンネルが通過する予定だ。また同県木曽郡南木曽町妻籠は、県の水環境保全条例で「水道水源保全地区」に指定されて、360世帯が利用している水源地と路線が重なっている。
静岡県で流出が懸念されている大井川は、大井川の流域には14カ所のダムと20カ所の水力発電所があり、生活用水や工業用水としても活用されている。島田、焼津、藤枝、吉田の3市1町に地下水を採取する井戸が約千本あり、人々の生活を支えている。その大切な川が、近年は渇水が頻発し、節水期間が長期化している。1994年には節水率が50%に達し、牧之原台地の茶が枯れてしまった。工業用水もあるため節水は工場の稼働にも影響を及ぼす。
これらの問題は未だに解決していない。強引に工事を進めてしまえば住民の生活インフラや生業を破壊してしまいかねない状況なのだ。
◾️杜撰なJR東海の環境アセスメントに日本野鳥の会も動いた
水問題の影響は自然の生態系にも及ぶ。
JR東海は、2021年に「自然環境の保全に向けた取組み」と題する資料を示し、地下水位低下による植生への影響について説明。地下水が山深い場所にある尾根部と、浅い場所にある沢部に分けて検討したという。尾根部では土壌に含まれる水分量は雨により左右され、山の深いところにある地下水から土壌が水を吸い上げる現象はほとんどないため「地下水位低下による地表面付近の土壌水分量への影響は極めてわずかであると考えられる」と結論付けた。
地下水位が山の浅い位置にある沢部では、地下水位が低下した場合でも、地表面の土壌が含む水分量は雨水によって保たれ、「多くの植物に影響は生じないと考えられる」が、湿地に繁殖する植物などについては、「影響が生じる可能性がある」とした。さらに過去に行われた長いトンネルの工事により植生への影響があったかどうかを文献調査した結果、「沢部に生息する一部の種において限定的に影響が生じる可能性がある」とした。
しかしJR東海の見解は、生物多様性部会専門部会の委員を務める増澤武弘・静岡大学客員教授が「納得できない」と否定するほど、現実性に乏しい内容であった。
日本野鳥の会によると、リニアが通る全ての県でオオタカの営巣が確認されている。他にも山梨県、長野県でクマタカの営巣が、岐阜県でサシバの営巣があるそうだ。その後、JR東海が行った追加調査でも、ミゾゴイ、サンショウクイ、ブッポウソウ、イヌワシ、クマタカ、オオタカ、ノスリといった絶滅危惧種や、ミサゴ等環境の変化に敏感な猛禽類が見つかった。
これまでのリニアのアセスメントは杜撰と言っていい。評価は、工事の直接的な環境への影響に限定されており、工事現場への道路や土砂の仮置き場は含まれていない。10年スパンの長期的な影響は検証されていないのだ。
日本野鳥の会は「リニア開発は、国民が環境問題や地球温暖化に関心を持つ現代では、時代錯誤の感が否めません」と述べ、「環境や生活への影響は少ないと考える」と述べるのみのJR東海の対応を批判。「地元の支部やNGOと連携して、自然環境や鳥類への影響を回避できるように取り組んでいきたい」と見解を発表。2023年には計画変更を求める要望書をJR東海や岐阜県などに提出している。
◾️②「残土処理」も地域の合意が得られていない
トンネルを掘り続けることで起きる問題は他にもある。それは残土処理だ。長野県下伊那郡阿智村は、リニアのトンネル工事で発生する残土を活用して開発を検討する上中関地区の「七久里候補地」を巡り、住民の生活に支障が出ているという。
昼神温泉郷を通る国道256号線を南木曽町や清内路地区から残土を搬入したダンプが通るため智昼神観光局の白沢裕次社長は「観光地に多くのダンプカーが通るリスクをどう軽減するのか議論する必要がある」と指摘した。
長野県では974万立方メートルの残土が排出される予定で、処分には数十の候補地があがっている。豊丘村の小園地区、松川町の生田区でも反対の声が起こっている。
豊丘村には1961年6月(昭和36年)に発生した集中豪雨災害の「三六災害」での被害が記憶に残っている。当時の災害では、豊丘村を含む伊那谷全体で犠牲者136人を出した。遺族はJR東海の「安全に管理する」との説明に違和感を覚えたという。その後、住民は土砂災害の勉強を重ね、「上流での残土埋め立ては危険」との認識で一致。反対になったという。
松川地区もそうだ。松川町の生田区は、2014年に約30万立方メートルの残土埋立てが可能な谷あいの土地「丸ボッキ」が候補地としてあがった。しかし住民は「三六災害」を覚えており、「福与地区リニア工事対策委員会」を結成。2016年に受け入れ反対の意見書を提出した。そのため「丸ボッキ」の埋め立ては止まったままなのだ。
残土処理問題は隣の岐阜県でも発生している。岐阜県御嵩町では、土処分場受け入れの是非をめぐり審議会が開かれている。当初は「健全土」だけの計画だったが、JR東海は「有害残土」持ち込みを打診した。当時の渡邊公夫町長は一旦拒否したが「受け入れを前提として協議に入りたい」と態度を一転させ、混乱が起きてしまった。最終的には審議会が自然由来の有害な重金属が含まれる残土は町有地への搬入を認めず、それ以外の残土の受け入れはやむをえないとする意見と反対の意見を併記して町長の判断に委ねることになった。JR東海側が、残土処理要請の内容を変更しなければ起きなかった問題であろう。
◾️③「2027年開通」最大の障壁はシールドマシンの性能
リニア開通で駅周辺が再開発されている神奈川や東京でも問題が起きていた。今年4月、品川駅と相模原市の「神奈川県駅」(仮称)を結ぶ第1首都圏トンネル(約37キロ)のうち、川崎市麻生区の東百合丘工区(約4.2キロ)の一部が取材陣に公開された地域で開発も順調だが、工事の前段階である調査採掘で遅れが出ていたのだ。
調査採掘は、東京都調布市の東京外郭環状道路(外環道)トンネル工事での陥没や空洞の発生を受けて行われている。外環道と同様に地下40メートル以下の大深度を掘る同トンネルの工事の影響を調べて陥没や空洞が発生しないかの調査である。
しかし北品川工区の調査は掘削機の不調で2度にわたり中断し、小野路工区(東京都町田市など)では機器交換で開始が延期された。愛知県内では調査掘進の準備中に掘削機が破損するなど、他の工事での不調も相次いでいる。
リニア離発着駅の品川では、名古屋方面へ向かう北品川工区で、調査掘進が今年4月に再開された。シールドマシン(掘削機)の損傷で、掘削予定の300メートルのうち124メートルを掘って中断していた。今年夏ごろの完了を見込んでいるという。
そこで気になるのは、地下トンネルを掘る際に広く用いられるシールドマシンの性能である。シールドマシンは、筒状の先端のカッターが回転しながら掘削し、同時に掘った部分を押さえつけ、後方でセグメントと呼ばれる輪切りの筒状の部材を構築してトンネルとして仕上げる機械だ。一度に複数の役割を自動的に行い、掘削後はトンネルがほぼでき上がっているため地質に問題がなければ工期は早く進むという。
このシールドマシンは1日平均10メートルのペースで掘り進めているという。2024年の年頭から1日平均10メートル掘ることができるシールドマシンを用いて、第一首都圏トンネルの工事が本格的に開始されると、トンネルの貫通は2034年1月。その後、線路を敷いて営業可能な状態に整えるには少なくとも1年が必要となるため開通は2035年が現実的だ。しかも1日平均10メートルのペースで掘り進めたのは、土が柔らかい首都高速中央環状線のトンネルである。
岐阜・愛知の両県をまたぐ形で設けられる「第一中京圏トンネル」だとペースはもっと遅くなるだろう。ここでは地層の硬さがネックになっている。
第一中京圏トンネル坂下西工区の坂下非常口(愛知県春日井市)から21年度中にシールドマシンを用いて調査掘進を行う予定だったが、シールドマシン先端部のカッター部分に損傷が見つかり、中止となった。今年4月にようやく掘進が再開したという。
ここから見えてくるのは、元々2027年に品川-名古屋間の開通は無理があったということだ。JR東海は、ゴールありきで周辺エリアの環境アセスメントの調査も甘く、シールドマシンの負担についても検証が不足していた。しかも残土処理もおざなりだったと言わざるを得ない。リニアは国策でもあるのだから、政府が積極的に開通エリアに対して調査をすべきであった。入音に事前準備をしてから計画を立てれば、こうした問題が起きる可能性は低かったであろう。
大手マスメディアが、リニア問題を報じてこなかったのも問題である。これまで挙げた点を地元メディア以外が取り上げていれば、リニア計画の見直しも起きた可能性があったかもしれない。しかし、川勝前知事が指摘した水問題のみ取り上げ、前知事を反リニアの急先鋒のような扱いをしてきた。
しかしながら川勝前知事以外にも反対をしてきた人々がいたのだ。彼らはリニアによって、自分の生活が侵害される恐れがある。しかも生態系を破壊するのであれば、早く取り上げることで絶滅危惧種に影響が少ない計画に変更できたかもしれない。しかし大手マスメディアは、大広告主であるJR東海に物申すことができないのだろう。これが現代日本のジャーナリズムである。もはや大手マスメディアはグルメとインバウンドと芸能を取り上げるだけ。実に嘆かわしい限りである。
文:篁五郎