AV女優「渡辺まお」としてデビューし、人気を博すも早大卒業とともに現役を引退。その後、文筆家「神野藍」として活動し、著書『私をほどく~ AV女優「渡辺まお」回顧録~』を上梓した。
【ただの身分証だった一枚】
ハンドルを握り、車通りが疎(まばら)な246号線を南下していく。少し空いた窓からは温度が上がりきっていない空気が入り込んでくるが、出がけに無造作に掴んだ上着のおかげで心地よく感じる。所狭しと並んだビルから住宅街へと景色が変わり、しばらくすると東名の入り口が見えてきた。手元の音量ボタンを上げると同時に、右足を踏み込んだ。
少し前は高速道路の合流時に同乗者にも見てもらわないといけなかったのに、今では道路の整然さを乱すことなく進んでいける。そういえば、初めて関東の高速道路を運転したとき、カーナビが指示する泣きたくなるほどの車線変更と合流に、同乗者2人と馬鹿みたいに騒いでいた。途中で立ち寄った海老名で食べたソフトクリームはいつにも増して、擦り減らした神経に溶け込んだ記憶がある。
あたふたしていた自分に思わず笑いそうになる。
そんな昔の自分と比べると、ちゃんと過度に意識を傾けなくても、勝手に体が反応してくれる。あの頃とは遠いところにきた。
誰かとの約束も、向かわないといけない目的地もない。ただ、一人になるために小さな箱を前へと走らせ続けている。日常的に私に構う相手は小さな生き物しかいないのに、無性に一人になりたくなる瞬間がある。家で過ごそうが、行き先もなく街を歩こうが、その気持ちは簡単には消えてくれない。
気がつけば、画面に表示された通知に視線を向けてしまう。そのまま小さな板に吸い込まれてしまい、その先にいる誰か、何かと繋がってしまう。仕事だからと割り切りつつも、どこかでため息が漏れ出していた。
【不自由さが自由を運ぶ】
小さな箱に押し込められているうちは、不自由さがかえって自由を運んできてくれる。ある程度感覚が縛り付けられているから、頭の中が喧騒に包まれることもない。
私の世界は他の誰にも侵されず、私だけのものになってくれる。私の見える世界は、ちゃんと私の意思で動かせる。
車窓に海岸線が広がったころ、目に入った駐車場に止めて外に出た。
湿気を含んだ潮風が肌に張り付いて、体温が徐々に上がっていく。人影が疎な海を歩いていると、隙間から侵入してくる砂の熱を足裏に感じた。頭上から降り注ぐ光に目を細め、片手に抱えていたペットボトルに口をつけた。
地図上に大きな円を描くように、自宅へと向かう道を進んでいく。
朝起きた瞬間に飛び出してしまったので、飼い主の帰りを不機嫌そうに待っている姿が浮かんできた。助手席に置いたペットショップの袋を一瞥して、日常が恋しくなっている私を許してくれるか考えていた。
文:神野藍
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