平成の名力士・安美錦が引退を表明した。

 右ひざの靱帯断裂やアキレス腱断裂など度重なるケガを乗り越え、20年にわたり関取の座を保持し続けた。

力士として22年目、御年なんと40歳9カ月。昭和33年に年6場所制となって以降に初土俵を踏んだ力士のうち、40歳を超えて現役を続けた力士は31名いるが、ほとんどが幕下以下。40歳で関取の座を保持したのは旭天鵬(現・友綱親方)と安美錦の2人しかいない。

 関取に昇進したのは平成12年初場所。ここから一度も幕下に陥落することなく、土俵に上がり続けた。関取在位117場所は、元大関の魁皇と並び歴代トップタイである。

“負け越し金星”の数が示す粘りの相撲

 安美錦は、まさしく「銭の取れる相撲取り」だった。多くの好角家から「不気味な力士」と言われた通り、存在感は抜群だった。

 22年間で繰り出した決まり手は45手にも及ぶ。「技のデパート」舞の海でさえ34手であり、実に多彩な相撲を見せてくれた。土俵際でもあきらめずに粘るため微妙な取組も多く、行司に「安美錦は裁きたくない」とまで言わせている。

 その場所の成績にかかわらず粘りの相撲を見せたという点も、安美錦の真骨頂である。

8個獲得した金星のうち、4分の3の6個が「負け越した場所」での獲得なのだ。安美錦と並び、現役最多の8個を獲得している逸ノ城の“負け越し金星”はわずか3個である。これは、安美錦が常に全力で横綱に向かっていった証拠であり、土俵際に押し込まれながら何度も逆転してみせた。ちなみに、全盛期の朝青龍から4個の金星を獲得しており、優勝を阻んだこともある。

 3年前、満37歳で迎えた平成28年初場所では、鶴竜を破り8個目の金星を獲得、新入幕から93場所目での金星という史上最長記録をつくった。しかし、インフルエンザで途中休場を余儀なくされ、またも負け越してしまう。

 ちなみに、史上最多となる16個の金星を獲得した元関脇安芸乃島は負け越し場所で6個。2位の元関脇高見山は12個中6個、元関脇栃乃洋も12個中7個。“負け越し金星”の割合は安美錦がダントツであり、そのため「横綱に勝つと負け越す」というジンクスもついてまわった。

 一度休場しながら再出場したことも2回あるが、これも決してあきらめない精神の表れといえる。平成28年の夏場所ではアキレス腱断裂の大ケガで2場所を棒に振り、十両に陥落。「すわ引退か」と誰もが思ったが、1年かけて幕内へ復帰すると、8勝7敗と勝ち越して12度目の三賞(敢闘賞)を受賞している。

 そんな安美錦は、引退を決意した翌日も稽古場に降りて若い衆に胸を貸した。「親方になってからも胸を出せるように」との心持ちからである。

ちびっこ大相撲では“プロレスラー”に

 安美錦はサービス精神も旺盛だった。特におもしろかったのが、一言コメントだ。

 2日連続で横綱、大関を降してインタビュールームに呼ばれた際、前日と同じインタビュアー(NHK三瓶宏志アナウンサー)に勝利の秘訣を聞かれて、「三瓶さんですね」。聞いていた筆者は、口の中のビールを吹き出してしまった。髷をつかまれて反則勝ちを拾った際には、「少ない髪の毛をつかむなよ。というか、この(髪の)量で反則勝ちとは申し訳ないな」と自虐ギャグを繰り出したこともある。

 何より人柄を感じさせたのが、巡業でのパフォーマンスだ。巡業の目玉である「ちびっこ大相撲」(小学生との稽古)での安美錦は、盛り上げ役に徹していた。

 ちびっこ大相撲の場合、関取は自分の番が来るまで土俵脇に立つが、その際の盛り上げ方が安美錦ならでは。「がんばれー」と声をかける客に対し、土俵上から「なんだって?」と聞き返し、次に「聞こえない! もっと大きな声援をよこせ!」というしぐさを見せる。

勝ったちびっこ力士の腕を上げて「よくやった!」と即席レフェリーになったかと思えば、ちびっこ力士の手に塩を思い切り盛り、対戦力士にぶちまけさせる。

 土俵上の取組そっちのけで、「安美錦」と書かれた紙を持ち「俺だ」とアピール。自分が胸を貸す番になると、わざと怖い顔をして「ウリャー!」と大声を上げて威嚇する。次にウエスタンラリアートを空振りしてみせ、最後はジャイアントスイングで子どもを回した直後、自分の目が回り土俵下まで転がり落ちる……。その姿は「客席を沸かせるプロレスラー」だった。

 多くのファンに愛された安美錦の相撲はもう見られない。お疲れさまでした、そしてありがとう。

(文=後藤豊/フリーライター)

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