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 日本人が「死刑制度をどう考えているのか」が、国際問題として取り上げられる可能性があることをご存じだろうか――?

 2020年に京都で第14回国連犯罪防止刑事司法会議(コングレス)が開催される。コングレスとは、5年に一度開催される犯罪防止・刑事司法分野の国連では最大規模の国際会議で、犯罪防止・刑事司法について勧告や提言を行う。

 国際社会では“死刑廃止”が主流だ。国連では「死刑廃止を目指す市民的及び政治的権利に関する国際的規約第2選択議定書」(死刑廃止条約)を1991年7月に発効しているが、日本は未批准のままとなっている。

死刑制度がある国は56カ国、死刑廃止国は106カ国

 2017年12月31日までで、死刑制度がある国は56カ国。死刑廃止国は106カ国となっている。死刑制度のある国でも、過去10年間執行がされていない国が29カ国、軍法下の犯罪や特異な状況における犯罪のような例外的な犯罪にのみ、死刑を規定している国が7カ国ある。

 OECD(経済協力開発機構)加盟国36カ国のうち、死刑制度があるのは日本、米国、韓国の3カ国のみ。

韓国は通常犯罪に対して死刑制度はあるものの、過去10年間に執行はされていない。EU(欧州連合)は、「いかなる罪を犯したとしても、すべての人間には生来尊厳が備わっており、その人格は不可侵である」との考え方をしている。

 一方で、米国司法省は7月25日、16年ぶりに連邦レベルでの死刑執行を再開すると発表した。今年末から来年初めにかけ、死刑囚5人の刑を執行する方針だ。アメリカには連邦(国)と州レベルの2種類の法体系と司法制度があり、事件の形態や影響などをもとに、犯罪の容疑者は、連邦法と州法のどちらに違反したのかにもとづき訴追される。

 米民間団体・死刑情報センターによると、全米50州のうち29州で死刑があるが、このうち4州では、州知事の指示で死刑の執行が停止されている。

しかし18年、全米では州レベルで25人の死刑が執行されている。

 今回の連邦レベルでの死刑執行再開について米国では、「犯罪に厳しい姿勢で臨むトランプ政権の政策をアピールする狙いがある」(BBCニュース)との見方が多い。

 日本でも8月2日、法務省が2名の死刑囚の死刑を執行したと発表した。死刑執行は、18年12月27日に執行されて以来、元号が令和に変わって初の執行だが、第2次安倍政権以降、計38人の死刑が執行されている。

 16年12月には、国連で6回目となる「死刑廃止を視野に入れた死刑執行停止を求める決議」が採択され、日本を含めた死刑廃止条約に加わっていない国に対して、批准を検討することが求められた。また、18年3月には、国連人権理事会が「人権状況の対日審査」の勧告を出しているが、日本政府は死刑制度の廃止や一時停止を求める勧告の受け入れを拒否した。

その理由は、「死刑制度を容認する国内世論」というものだった。

 確かに、日本では死刑制度を容認する世論が根強い。直近の調査となるd14年度に内閣府が全国の3000名を対象に実施した世論調査では、「死刑は廃止すべきである」9.7%、「わからない・一概に言えない」9.9%に対して、「死刑もやむを得ない」80.3%と8割を超える人が死刑制度を容認している。

 内閣府の世論調査による死刑制度に対する考え方の推移は以下の通りとなっており、大きな変化がないことが見て取れる。

 調査年  死刑廃止  死刑もやむを得ない わからない・一概に言えない
 2014年  9.7%      80.3%        9.9%
 2009年  5.4%      85.6%        8.6%
 2004年  6.0%      81.4%        12.5%
 1999年  8.8%      79.3%        11.9%
 1994年  13.6%      73.8%        12.6%

 死刑制度を容認する理由としては、
「死刑を廃止すれば、被害を受けた人やその家族の気持ちがおさまらない」53.4%
「凶悪な犯罪は命をもって償うべきだ」52.9%
「凶悪な犯罪を犯す人は生かしておくと、また同じような犯罪を犯す危険がある」47.4%
「死刑を廃止すれば、凶悪な犯罪が増える」47.2%
となっており、この比率はこれまでの世論調査でも、ほぼ同じだ。

 つまり、死刑制度容認の主な理由は、被害者(遺族)感情に対する配慮、国民感情、犯罪抑止力ということになろう。

特に、犯罪抑止力では、「死刑がなくなった場合、凶悪な犯罪は増えるか、増えないか」との質問に対して、57.7%の人が「増える」と回答している。

 だが、日本国憲法では第36条で「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」と定めている。つまり、政府(公務員)による死刑執行が残虐な刑罰に当たるとの考え方から、憲法学者の中には“死刑は憲法違反”との説もある。

 また、誤審や冤罪の場合には、死刑を執行してしまえば取り返しのつかない事態になるため、死刑制度を廃止して、欧米で採用されている仮釈放のない「終身刑」を導入すべきとの意見もあるが、前述の世論調査では、「仮釈放のない終身刑が新たに導入された場合、死刑を廃止する方がよいか」との質問に対して、「廃止しない方がよい」と回答した人が51.5%に上っている。

 それでも、誤審や冤罪を防ぐために、従来は再審請求中の死刑囚に対する刑の執行は行わない傾向にあったのだが、17年7月に結局、再審請求中の死刑囚に対する死刑が執行された。この時の政府見解は、「死刑確定者が再審請求中であったとしても、当然に棄却されることを予想せざるを得ないような場合」(当時の金田勝年法務大臣)は死刑が執行されるというものだった。

 その後も、同年12月に2人の再審請求中の死刑囚に対する死刑が執行された。また、18年7月に13人の死刑が執行され話題となったオウム真理教事件の死刑囚のうち10人は再審請求中だった。このように、日本においては誤審や冤罪防止という面でも、人権・人道という面からも「死刑廃止の必要はない」との考え方が主流となっている。

 だが、死刑制度を存続させていることのデメリットもある。

 例えば、日本人犯罪者が死刑制度を廃止している国に逃亡して捉えられ、日本で死刑になる可能性がある場合に、逃亡先の政府が犯人の引き渡しを拒否するケースもあり得るし、捜査協力や司法協力を拒まれる可能性もある。

 また、国連犯罪防止刑事司法会議のような司法・刑事制度を検討する国際会議などで、日本の国際的な発言力に悪い影響を与えるといったデメリットも出てくるだろう。

 日本国民の多くは「平和憲法」を支持している。広島・長崎への原爆投下という悲惨な体験と多くの犠牲者を出した敗戦が、日本人の平和を望む気持ちの根底にあるのだろう。だが、戦争も死刑も「他人を殺す」行為という点では同じ。戦争には反対だが、死刑には賛成という考え方は、必ずしも「他人を殺す」行為を否定しているわけではないのかも知れない。

 安倍晋三首相の政治的信念は「憲法改正」にあり、今後、憲法改正に向けた議論が進む可能性がある。この時にもう一度原点に戻って、「平和憲法」とは何を意味しているのか、戦争の否定は「他人を殺す行為」の否定を意味するのかについて考えてみる必要がありそうだ。その上で、日本として「死刑」をどのように考え、位置付けていくのかも、今一度、国民的な議論を行うべきではないだろうか。