小池百合子都知事

「ロシアのプーチン大統領とお親しい総理、そして森会長でいらっしゃいますから、平和の祭典を北方領土でどうだと呼びかけてみるのはありかと思います」

 10月17日、連合東京の大会で、小池百合子東京都知事が失言気味のスピーチをしたくなるのも無理からぬことだった。

開催都市トップへの伝達が最後の最後に

 前日夜、国際オリンピック委員会(IOC)が突然、東京五輪のマラソンと競歩の競技会場を、東京から札幌市に変更するとの計画を発表したのだ。

IOCはその1週間以上前に森喜朗・大会組織委員会会長に伝え、それを受けて森氏は安倍晋三総理、橋本聖子五輪相、秋元克広・札幌市長らに根回しを済ませていた。

 小池氏が初めて札幌開催を聞いたのは3連休が明けた10月15日、組織委の武藤敏郎事務総長の訪問を受けてだが、IOCのジョン・コーツ調整委員長と直接話したのは、翌16日のことである。

 開催都市トップへの伝達が最後の最後とあっては同情を禁じ得ないが、これは3年越しの大ブーメランに他ならなかった。

 IOCが懸念したのは9月27日、中東のカタールで開かれた世界陸上女子マラソンで、スタート時刻を深夜にしたにも関わらず、気温30℃、湿度70%の劣悪な条件となり、68選手中28人が途中棄権という惨事を招いたことだった。

「東京五輪では、スタート時刻を午前6時に繰り上げ、東京都が300億円を投じ、マラソンコースなど約136キロを路面温度抑制の舗装を施すなど、暑さ対策を講じてきた。しかしIOCはそれも文字通り”焼石に水”と危機感を募らせ、夏の気温が5~6℃涼しい札幌市へと舵を切ったIOC発表では『plan』として、10月30日からのIOC調整委員会で正式決定するはずが、トーマス・バッハ会長は17日のIOC関連の総会のスピーチで『decided(決めた)』と断言。

トップダウンで有無を言わせぬやり方でした」(五輪担当記者)

 それなら初めから言えよ……と言いたいところだが、そもそも日本側には、五輪招致の段階で夏の暑さを隠してきた後ろめたさがあった。

 2013年1月、日本の五輪招致委員会がIOCに提出した「立候補ファイル」にはヌケヌケとこう書いてある。

「この時期(7月24日~9月6日)の天候は晴れる日が多く、且つ温暖であるため、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」

 皮肉にも、その年9月2日には気象庁が「2013年夏の日本の極端な天候について」と題し、夏の平均気温が西日本で統計開始以降1位、東日本で同3位タイという記録的な暑さだったことを発表。そして9月8日(日本時間)、ブエノスアイレスのIOC総会で東京開催が決まるのだ。

 札幌開催を受けて小池氏は、10月18日の定例会見で「ご承知のように私が知事に就任する前ですけれども」とあえて前置きしつつ、招致の際の「ウソ」を指摘した。

 これは大目に見るとして、小池氏が「会場の移転が突如提案されたことについては驚きでございます」と語ったのには、関係者からすると「おまいう」だろう。

 ”小池印”の民間有識者でつくる「都政改革本部」が、作り込んだ計画をちゃぶ台返しにし、五輪3会場の変更に着手したのは、小池氏が知事に就任して2カ月後の2016年9月下旬のことだった。

「悲惨だったのは、ボート会場変更でさんざん振り回された宮城県の長沼ボート場。当時、人気絶頂だった小池氏が『復興五輪』を掲げ、マスコミを大勢引き連れて現地視察を行ったものだから、地元住民は涙ながらに期待し歓迎したものです。ところがバッハ会長が会場変更を認めなかったため、あっけなく頓挫しています」(前出の記者)

 あれから3年ーー。

 森氏だけでなく、そのバッハ会長も小池氏を”蚊帳の外”に置いて会場変更を断行した。あの当時の身勝手な”小池劇場”が国際的な信用も失わせていたことに、小池氏はようやく気づいたに違いない。