ーーストーリーではぞんびは直接描かれなくて、ぞんびを報道したテレビが流れますね。ぞんびは青い顔をしているからブルーマスクと呼ばれていて「ブルーマスクが街を襲いにきた!」とか「ブルーマスクビールを出しました!」とか人間が大騒ぎするニュースが流れる。
伊東 牧場にいるぞんびたちは極力描かないようにしているんです。主人公としてぞんびはいるけど、ニュースを通じて周囲をとりまく人間たちを描いています。ゾンビ映画ってそういうところありません?
ーー確かにそうですね。ゾンビに対するリアクションで人間を描く、というか。
伊東 これってね、文学でも映画でもドラマでも意外とやってないと思うんですよ。主人公を人間にして人間を描くっていうのはあるんだけど、主人公をゾンビにしてとりまく周りの人間を描くっていう。ゲームでしかできない手法だと思いますね。
ーー逆に人間側の立場で孤独にぞんびとたたかうのも面白そうかなあ、と思いました。
伊東 それはねえ……。あとで気づいたんですよ。
ーー確かにそういうゾンビいますね。あと、すごく頭かゆそうにかいてたりとか。
伊東 ぞんびももともと人間だったんだなと思うとそういうところに目がいくようになって、より楽しいじゃないですか。だからほんとにゾンビが好きなら、普通のゾンビゲームをやりながら「ぞんびだいすき」をやってもらえるとゾンビの見方も深くなるんじゃないかな。
ーー人間側からゾンビ側から。表から裏から楽しめると。
伊東 そうですね。
ーー戦国の合戦みたいになりそうです。そういえば、開発のメンバーはゾンビ好きな人ばかりなんですか?
伊東 いやー……チームのメンバーでゾンビが好きなのは、ぼくぐらいじゃないかな。
ーーそうすると、開発スタッフの方に「ゾンビってこういうかんじで」っていっても通じないときがあると思うんですけど。
伊東 ええ!ええ!ええ!ええ!
ーーそういうときにはやっぱり開発スタッフの方にゾンビ映画をみてもらったりするんですか?
伊東 そうですね。ただみんなも仕事があってそれほどたくさんは見せられないから、少なくてもロメロの「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」と「ゾンビ」の二本だけは観てもらいました。あとはゾンビのwikipediaを見ておいてくれと。ただ、ぼくがディレクターとして伝えたかった部分は、ゾンビのピュアさと周りでエスカレートしていく人間なので、正直どこまで伝わったのかは分からないですね。
ーー「ゾンビ」はぴったりじゃないですか? テレビ局で報道するシーンから始まりますし。
伊東 あ、でも確かにうまく伝わったなというところはありますね。街のステージで車がバンバンぞんびを轢いていったりするところ。
ーーぞんびだったら?
伊東 容赦なくはねます。
ーーでも私がプレイしたときは、ボスのマクウェポンが車で轢かれて死んでましたよ。ぞんびがどんどんやられていって「これはもう倒せないかな」と思っていたらやってきた車がバーン!とはねて、それでクリアできました。
伊東 ハハハ! そんなアクシデントが!
ーーラッキーでした(笑)。街以外のステージに、ショッピングモールや映画スタジオなどもありますね。
伊東 映画スタジオはこれを参考にしました。『ゾンビ映画大事典』。
ーーホセはプロフィールも好きです。歳を取って体重も増えたので寝技中心にしようとしたけど、往年のファンが認めないからやむなくフライングクロスチョップやムーンサルトプレスをサービスで繰り出す、というところが切ない。
伊東 ストーリー上、ボスは一番狡猾なキャラクターとして出てるんですよね。人間側でたたかうけども、別に街を助けることが目的じゃない。賞金目当て、売名行為が多い。そういう自己中心的なキャラが多かったので、裏設定としてプロフィールではセンチメンタルな部分もまぜこんでます。他にも、マッドサイエンティストのソヴェツキーがロシアで開発していたレーザー核兵器がスーパーヒーローのアタックメンに活かされ、そのアタックメンがソヴェツキーの研究所から逃げ出したからレーザー技術が流出してアメリカ政府の兵器に転用されている。ぞんびにも人間関係があるように、ボスもゆるやかな一連のつながりを意識して作っていました。
ーーぞんびやボスのプロフィールは全部伊東プロデューサーが書いたんですか?
伊東 はい。
ーーぞんびに食べさせるアイテムにも説明がついているんですが、こちらも?
伊東 全部書きました。
ーーすごいですね! アイテムの解説も普通よりもひねってますよね。「悪魔の事典」みたいというか。
伊東 まさにそれです。ぼくは中学生時代に読んだんで、20年以上前の記憶なんですけど。普通に書くのもなあと思って、「スキーいた」が出てきたら「くるまのやねに そうちゃくして オシャレを えんしゅつする カーアクセサリー」にしたりして。
ーーサンドバッグの「だれにも うらまれていないのに だれかの うらみを ぶつけられる」とかも好きでした。ちなみにアイテムには「こわれたビニールがさ」や「かちかちヨーグルト」など一見するとゴミみたいなものが多いですね。
伊東 ほんのちょっと変化しただけで見向きもされなくなって捨てられる、というのが、ぼくの考えるゾンビに通じるところがあってですね。ゾンビも見た目は傷だらけでうろうろ動くけど、もともとは人間。かちかちになったヨーグルトもヨーグルト。同じものじゃないですか。ちょっと変わっただけなのに、人間はまったく違うものと見てしまう。
ーー実際にはそれほど差が無いのに、人間がその差を生み出している。
伊東 まさにそうですね。カナダの映画で「ゾンビーノ」ってあったじゃないですか。ゾンビをペットのように飼い慣らせるけども、怖がるから怖くなる。現実のシェパードと同じで、ほったらかしで野良犬にしたら怖いけど、ちゃんと飼い慣らせばいいわけです。人間側が怖い怖いというから、エスカレートしていくんじゃないかな、と思いますね。
ーー最近韓国のゾンビ映画で「隣りのゾンビ」を観たんですが、肉親や恋人がゾンビになったり自分がゾンビになって治る話で、やっつける敵というよりも自分の延長線上として見ていました。「ぞんびだいすき」もゾンビを敵ではなく人間に近いものとして見ていて、共通するものを感じました。
伊東 やっつけるんじゃなくて仲良くしましょう、という精神がアジアにはあるのかな。ぼくの場合は水木しげる大先生も好きで、その影響もちょっとあるのかもしれない。荒俣さんもいってますけど、江戸時代は妖怪と人間が折り合いをつけて共存していた。それが近代化が進むと妖怪を排除していくわけです。どんどん電気がついて暗がりがなくなって、妖怪の居場所は時代の流れと共に無くなっていく。そうすると妖怪って怖いもの、敵対するものというイメージだけが残ってしまう。だけど、昔は一緒に暮らしていたものだったわけで。異形のモノでも仲良くしましょう、というのがぼくの中には脈々とあるのかもしれないです。
ーーアイテムにある「こわれたビニールがさ」とかは妖怪になりそうです。
伊東 物の怪的な考えなんですね。なんかそういう古いモノとか使われなくなったモノ、ゴミとして破棄されているモノに霊魂が宿るっていうのがまさに日本的な発想ですよね。もしかしたらゾンビの中にもそういうものを見ているのかもしれないです。
伊東プロデューサーの深いゾンビ愛がたっぷり注ぎ込まれた「ぞんびだいすき」。かわいいぞんびの世話を焼いてもよし、ゾンビ映画のテイストあふれるストーリーやシニカルで切ないジョーク満載のテキストを楽しむもよし。いろいろな楽しみ方ができるので、かわいいモノ好きや世話好きな方、そしてもちろんゾンビ好きの方は特にオススメです!(tk_zombie)