サイホージョシという本が出た。入力するたんびに「再幇助し」って誤変換するのが効率悪くてしゃーないので、正しい表記を辞書登録してやった。
ワタナベ・コウの新刊『裁縫女子』だ。
どんな本かというと、裁縫する女子について書かれたものだ。そんなことはわかってるって? まあ、そういきり立たずに落ち着いてください。モノを作るときに大切なのは「冷静さ」と「効率のよさ」だから。

うちは母が洋裁をやっていた関係で、子供の頃から身近に裁縫の現場があった。わたしは男子ながらにして、母が洋服を縫っている様子を見るのが大好きだった。図面みたいなもの(型紙)を描いて、でかいハサミ(裁ち鋏)で布を切り出し、足踏みミシン(そういう時代だった)でギッコンギッコン縫う。一枚の布地から立体的な服が生み出される様子は、まるで魔法だった。

子供の頃住んでいた家には、母の読んでいる婦人誌がたくさんあった。満賀道雄がシュークリーム食べながら「コリアーズ」を眺めてうっとりしていたように、子供時代のわたしもタイヤキ食べながら「ミセス」とか「主婦の友」を眺めてうっとりしていた。大人の女の人の服って、デコボコしていておもしろかったんだよね。

そういう環境で育ったもんだから、いまでも「前身頃」「チャコペン」「くけ台」といった裁縫用語はちゃんと覚えていたりする。
かといって、自分でも裁縫をやってみようとまでは思わなかった。「裁縫なんて男子のやるものではない!」と言えたら立派なもんだけど、実際には「男が裁縫やってたら笑われちゃうかも」なんて、意気地のない理由だ。
その反動かどうかわからないけど、模型やプラモ作りには夢中になった。女子にとって裁縫があるように、男子にはプラモがあるんだよ。

小学生の頃は「月刊ジャンプ」に連載されていた「少年プラ模型新聞」に夢中になり、中学生になってからはプラモ専門誌の「ホビージャパン」を読みふけっていた。「おれの教科書はこれだ!」とか思ってたな。
プラモを作ることよりも、プラモについて書かれたものを読むのが好きだった。趣味のこと(なかでもモノ作りの趣味)についての本を読むのは至福の時間だ。だから書店でこの『裁縫女子』を見つけた瞬間も、ピクピクッと来たね。「これは楽しい本に違いない!」と。たとえ自分が裁縫をやっていなくても“モノ作り心”のある本は楽しいに決まっているのだ。

本書は、20年ほど前から裁縫教室の講師をしてきたワタナベ・コウ氏(韻を踏んでみた)が、教室で出会った生徒さんたちのおかしな生態を紹介しつつ、裁縫のおもしろさを世の中に伝授しようとしている本である。
表面的には人物のおもしろさを描いているように見えて、実はそれが裁縫という趣味の本質を言い当てることにもなっていて、そこが非常にいい。

たとえば、これから作る服のために先生が採寸しようとすると、「いーですっ、私Mサイズですからっ」と突っぱねる生徒さん。見てみれば、ワンサイズ下(M)のブラウスを無理矢理に着込んでパッツンパッツンになっている。少しでもスリムでありたいという女心はわからないでもないが、そんな自尊心を型紙にしたところで、気持ちよく着られる服など出来るはずがない。

よく、ファッションについて語るときに「好きな服を着るのではなく、自分に似合う服を着よう」と言われるが、サイズについても同じことが言える。どんなに気に入ったデザインでも、サイズが合わなければ意味がない。ブカブカでもキツキツでもダメなんだ。本書の中でも、ワタナベ氏は「『入る』と『着こなす』は違う」と言っている。自分のサイズにあった服を着る(作る)のは、お洒落の基本。いうなれば、「裁縫を覚える」ということは「お洒落を知る」ことでもあるのだ。

たぶん、裁縫学校に限らないと思うけど、こういうスクールに習いに来る生徒さんって、総じてテンション高いよね。憧れの技術が手に入れられる! というよろこびにテンパッちゃってるのかもしれない。
そのせいか、先生の言うことをあんまり聞かない。矛盾してるけど、そういうもんだ。だからモノを作るときに必要な「効率のよさ」を忘れ、「冷静さ」を失う。この本を読んでいると、学校の先生というのは、そのテンションを下げてあげる役割なんだなー、というのもよくわかる。

ワタナベ・コウのソーイング教室には、男性たちも裁縫を習いに来る。ある生徒さんは過剰に道具の種類にこだわり、「できるだけたくさんの道具を持つほうが合理的だ!」などと言う。でも、講師のワタナベ先生は、道具なんて有り合わせのものでいいじゃないの、と言う。このへんの食い違いもまたおもしろい。

工作男子的な視点で考えると、道具の種類は多けりゃ多いほどいい。アメリカのホームセンターなんかに行くと、ものすごくデカくて引き出しだらけのツールボックスとかを売っている。
一方、裁縫女子的な視点になると、道具はあんまり増やさないほうがいいということになる。そういえば、女性は調理道具もけっこう数少ないなかでやりくりしたりしているもんね。

女性は、サイズの違う鍋を何種類も壁にぶら下げてキッチンがテリー・ボジオのドラムセットみたいになったりはしない。そういうのは男の料理人のやることなのだ。

女性の代表的なである趣味「裁縫」と、男の代表的な趣味である「模型」には、決定的な違いがある。それは、裁縫には出来上がった服を着ることのできる“実用性”があるけど、模型にはそういった実用的がないことだ。どんなに模型を作るのが上手でも、模型の車には乗れないし、模型の飛行機では飛べないんだよ。

この裁縫の実用性は、実は昔からずーっとうらやましかった。もう自分もいい歳になって、ことさら男の子であることを主張する意味もない。なんだかこの本を読んで、いよいよ裁縫をやってみようかなあ、なーんて考えている自分がいるのだった。(とみさわ昭仁)
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