帯にはこう書いてありました。
「それは2010年代の『時をかける少女』」
嘘だっ。

いや確かに時はかけるけどさ。かけてるの時だけじゃなくて精子でしょ。
匂うのはラベンダーの香りじゃなくて、栗の花の香りでしょ。
77歳。毒っけ満載の筒井康隆節は健在でした。
星海社FICTIONS『ビアンカ・オーバースタディ』CM - YouTube
一応公式CMもありますが、これ見たって全然わかんないよ! 罠だよ!
 
『ビアンカ・オーバースタディ』は星海社から出された、筒井康隆初のライトノベルです。

SF作家として名を馳せた彼は、1993年に一度表現の問題でもめて断筆宣言をして騒ぎになりましたが、その後の復帰に伴いさらに自由に、音楽・演劇など枠を飛び越えた活動をしています。
そこにきて、まさかのライトノベル

といっても、そもそも「ライトノベル」という言葉がなかった時代に、ジュブナイル小説的なものを書いていたこともある筒井康隆。それこそ『時をかける少女』がそう。1967年なんですよね。
あれれ、それなら確かに「2010年代の『時をかける少女』」でもいいんじゃないの?っていうか元祖みたいなもんじゃないの?なんて思って読んでいたんですが、違う違う。


この小説、二重構造になっています。
ひとつは純粋にライトに読めるライトノベル。
もう一つはメタ的にライトノベルをパロディ化して取り込んでしまっている筒井康隆思考。
文体は非常に軽快でわかりやすい。ヒロインのビアンカが一人称で生物学についての興味を語ります。
なのでラノベ慣れしている人、筒井康隆を知らない人が手にとって読んでもちゃんと楽しめるはずです。

破天荒でなんでもやっちゃうヒロインビアンカのかわいさ! 一気に広がる後半のびっくり展開と、自分たちが世界を救うかもしれないというワクワク感!
いやー、実にラノベ的。

ところが素直に飲み込もうとする人も、絶対途中で引っかかるはずです。
なんせ章タイトルが、モロです。
「哀しみのスペルマ」
「喜びのスペルマ」
「怒りのスペルマ」
「愉しきスペルマ」
「戦闘のスペルマ」
隠喩でもなんでもないですよ。精子です。人間の。
ちゃんと哀しみだったり戦闘だったりしてますから、嘘偽りないです。
高校生の少女ビアンカは生殖の研究に非常に興味を持っていて、それでウニの研究をしています。でも見たいんですよ、人間の精液を。精子が泳いでるのを見たいんですよ。
それでおどおどした少年塩崎くんに声をかけて「研究材料にあなたの精子が欲しいの」とズバーンと切り出します。
このびっくり展開も、確かに今のラノベならいいそうではあります。

ありますが実際に陰茎にコンドームはめて彼女が手でしごいて射精させるシーンをちゃんと描いて(伏字はないよ)、「わあ、たくさん出たあ」なんて言われたらこっちが「えっ、そんなの書いて大丈夫なの、18禁じゃないの」って思ってしまいます。
でもドキドキしたあと冷静に考えたら、これは筒井康隆でした。
そんなの今までも一般作で、当たり前のようにたくさんやってましたね。

精子の描写に関しては一切隠したり伏せたりしません。全編に渡ってしっかり陰茎握って精子しごき出して採取します。
ビアンカに抜かれる男子のセリフがまたいい。

「何だかぞくぞくして。あ。君に恋する気持ちの、湧きあがるこの、砂漠。ずらずらと雪崩のように。跳ぶ。跳ぶ。寂しくて、侘しくて。原始的な。せつせつとぼくに訴えかけてくるこの何かの。深い深い。一瞬の花。もうあの。この開くような。け」
いいなあ。「け」。
官能小説とは違うので、ビアンカが軽くキュートなのもいいんですよ。「嫌いな男のペニスなんて、箸でつまむのもいやだもんね。」とか言っちゃうあたり、なんともライトでかわいいじゃないですか。

後半未来の地球をまもるために、彼女の生殖への興味を利用して新しい生物を開発。一気にSF展開になだれ込みます。単に奇をてらって精液を採取しているわけじゃないんです。
加えて、女の子の方のエロ描写はほとんどありません。パンツを見せたりはしますが、それはビアンカが機械的に精液を搾り取るため。まあそこに興奮するかと言われたら、ぼくはするけど。
ビアンカが、自分は生理の日だから卵子を保存しておいて、塩崎の精子とシャーレに混ぜて入れて観察しよう、なんていう発想をしちゃうのもなかなかクるものがあります。
さあ、これで萌えられるでしょうか。

メタ的にライトノベルにメスを突き刺している部分も楽しむことができます。
そもそも「ライトノベルってなんだ?」と問われると、答えがないんですよ。
『時をかける少女』だって今ならライトノベルといえるでしょうし、逆に『涼宮ハルヒの憂鬱』も時代が時代ならSFと呼ばれていたでしょう。受け皿としてのライトノベルって一体なんなのかを、いとうのいぢのかわいらしい絵でコーティングしながら筒井康隆は問いかけます。
自分が面白いなあと感じたのは、キャラクターの構造です。ヒロインのビアンカは確かに突拍子がなく一本気な理系少女というはっきりしたキャラクター性があります。
塩崎哲也はよくいるへたれ系少年。彼と親しい元暴走族のヤンキーっ子沼田耀子もかわいらしい。しっかりした真面目なノブは未来から来た少年(精子は弱い)。ビアンカの妹ロッサは絵に描いたような美少女。
配置は完璧です。ライトノベル「っぽい」です。多分わざと。

ところがキャラの言動がおかしい。塩崎はビアンカのそばにいることが多いのでへたれ系からがんばる主人公になるのかとおもいきや一切ならないどころか、ビアンカをいつもこっそり覗き見ていて、彼女にしごかれると「ビアンカ様。AH!」と言って射精するくらいのダメっぷり。しかもロッサの尻をこっそり撫で回すというしょうもない男。ビアンカの卵子と自分の精子をシャーレで泳がせてできた受精卵を盗もうとするシーンなんかはちょっと狂気的。全然草食系じゃない、隠れ肉食系男子です。
ヤンキーっ子沼田がまた行動のタガが外れています。途中まではツンデレっぽいキャラに思わせておいて、途中でとんでもない痛い行動に出ます。この痛いは物理的なほうです。度肝抜かれましたよ。それライトじゃないよ。思いっきりアウトだよ。
また、ロッサが珍妙。すさまじくかわいい中学生女子、というのは読んでいてわかるんですが、それ以外が一切わからないし、意図的に描かれていない。ほんとハリボテみたいな子なんです。途中でさらわれるんですが、さらった相手も彼女にいたずらするでもなく、服を着せたまま寝かせて、それを眺めながらオナニーをするというシーンがあります。なんとも皮肉的な。
ロッサや塩崎などは、できる限り現存のライトノベルに似せたキャラ設定にしておいて、二次元を見る三次元男子の視点を隠喩的に描く、メタキャラになっているんです。言うなれば、塩崎はラノベ風にした実際の読者。ロッサは毒気と棘を抜いて極端に2次元化して美化した少女像。
ラノベで萌えるぼくらは造られた少女に触れることも出来ずジロジロ眺めながらオナニーして「AH!」ってわけかあ。うーん手厳しい。

ラストでは、なぜ未来の地球が荒廃しているかについて、原子力発電所の問題、資本主義の破綻の話などがダイレクトに絡められています。
作品全体がマクロな視点を持っていて、決してセカイ系的視野になりません。「僕と彼女の物語」みたいなラノベを読み慣れていると、あれれっとなるシーンが多々あります。
読み終わって「ライトノベルってなんだっけ?」となったら、筒井康隆の術の内。
でもそういうの全く感じずに「あーおもしろかった」でも全く問題ないのがこの作品のいいところでしょうか。なんだかんだでビアンカめちゃくちゃかわいいですしね。
できれば、一回は何も考えずにはちゃめちゃSFコメディとして楽しみ、もう一回は「あえてライトノベルにしたのはなぜなんだろう?」という視点で読んで頂きたい。
そこまでメタ臭いわけではないんですが、ところどころ隠喩もあるので、じっくり楽しんでみてください。
深読みもできるし、ライトな読みもできます。どっちでもいいんです。なにかしら心に引っかかるものはギミックとして組み込まれています。

出版している星海社は、ジュブナイルでも、純文学でも、大衆文学でも、ライトノベルでもない、なんて表現すればいいかわからないジャンルのラインを、あえて狙っているレーベル。
その中でSFの大御所筒井康隆が書いた、ということは大きな意義があると感じました。
少なくともぼくは、かわいいかわいいロッサちゃんのせいで、自分の二次元ロリコンと向き合うはめになりましたとも、ええ。痛い痛い。

さて、この作品で一番面白いのはどこかと聞かれたら、あとがきです。

「この「ビアンカ・オーバースタディ」は最初「ファウスト」用に三分の一を渡してから二年も経ってからやっと出た。 これは編集者の太田が悪い。さらに次の三分の一を渡してから『ファウスト」が出るまでに二年かかった。太田が悪い。最後の部分を渡してから、これはいとうのいぢの絵を待つために一年足らずの時間が経った。太田が悪い。」

太田が悪いそうです。相変わらず筒井康隆節ですね。

「この作品も続篇を書きたいところだが、あいにくわしはもう七十七歳でこれを喜寿というのだが、 喜ばしくないことにはもう根気がなくなってきている。 「ビアンカ・オーバーステップ」というタイトルのアイディアがあるから、誰か続篇を書いてはくれまいか。 」

ちょっとー! 続き書いてくださいよ頼みますよ! 
でもそんなに時間かかったら、確かにそう言っちゃうか。太田が悪い……の?
なんにせよ、文で書いているほど弱っておらず、元気満々の筒井康隆でした。なにより。

そんなわけで、ラノベとは一体なんなのかを考えなおしながら、かわいらしいビアンカに精子搾り取られる夢を見ようと思います。
ビアンカ様、AH!


筒井康隆 『ビアンカ・オーバースタディ』  (星海社FICTIONS)

(たまごまご)