だが、深沢七郎ほど、人生の悩みを相談するのに恐ろしい相手はいない。
なにしろ、名うてのひねくれ者だ。ことごとく常識と逆のことを言ってくる。自分が音痴であると悩む相手に「音痴は美しい」と答え、自分は嘘つきだと懺悔をすれば「嘘をつくことはステキ」だと誉め称える。夢のような恋を追い求める青年には「恋などというものはない」とミもフタもない言葉を突きつける。単なる読者のこちらは痛快だが、言われた相談者はたまったもんじゃないだろう。
自分が安っぽい人間に思えて毎日がイヤで仕方ない、本物になるためにはどうすればいいのか、と嘆く18歳の男子学生からの相談に、深沢は次のように答える。
「なんというアキレタ考えでしょう。人生や日常生活その他全てに本物でありたいと思っているとはなんとアサマシイ考えでしょう。あなたのいう本物とはなんでしょう。人間には本物なんかありません。みんなニセモノです。
痺れる……。元版を読んだときに膝をポンと打った箇所は、この度の復刻版でも健在だ。人間なんて安っぽくて当たり前。この考えを知ったときから、ワタシはずいぶん生きるのがラクになった。
深沢の“安さの肯定”は、『生は放屁の如く』という言葉で自身の人生訓にもなっている。その思想に通底するのは「人間はもともと団体の生きものではない」「孤独であることが当たり前」ということだ。
やれ「会社でうまくいかない」だの「義母と折り合いが悪い」だの「町内の人間関係に困っている」だの、一般的な人生相談に寄せられる悩み事の大半は、集団における自身の立場や人との距離感のはかり方が原因だ。それは、団体に属さなければいけないと考えるからこそ生まれる悩みでもある。
けれども、深沢のように「孤独であることが当たり前」だと思っていれば、そんなことは悩みでもなんでもなくなる。他人とうまくやれなくたって、そんなの当たり前。
深沢七郎自身は、子供の頃からギター演奏に熱中し、プロのギタリストとして日劇の舞台にも立った。42歳のときに『楢山節考』で小説家へ転向しベストセラーに。1960年刊行の『風流夢譚』で筆禍事件を起こしたあとは筆を折って放浪し、やがて埼玉県に「ラブミー農場」をひらいて農業生活に入る。その後、心臓発作で死にかけたり、畑に飽きて今川焼屋を始めたり、傷害罪で逮捕されたりというわけのわかんない老後を過ごした末、73歳でこの世を去った。見事な屁だ。
(とみさわ昭仁)