ドラマの舞台となるのは元禄16年(1703)の大坂、近松が数えで51歳のときだ。徳川幕府成立からちょうど100年、いわゆる元禄文化の時代だが、同時代の文人として近松とともによく名前をあげられる井原西鶴(1642~93)も松尾芭蕉(1644~94)も当時すでにこの世にいない。しかし彼らより10歳ほど年下の近松は50歳を越えてなお、いやむしろこのあとにこそ多くの傑作を残している。まさにこの年、近松は大坂の竹本座のために書いた浄瑠璃『曾根崎心中』で大当たりをとり、浄瑠璃作者として全盛期を迎えようとしていた。

今回のドラマでは、この『曾根崎心中』を書く直前、極度のスランプに陥っていた近松が、万吉という謎の渡世人(青木崇高)との出会いを機に状況を打開していくという。万吉とのかかわりはもちろんフィクションだが、じつのところ、この時期を含め近松の前半生には不明なところが少なくない。だからこそ想像の余地があるといえるが、ドラマ開始にあたって、現実の近松門左衛門をめぐる謎をいくつか紹介してみたい。
歌舞伎作者が人形浄瑠璃の座付作家に転身した理由
近松には、その生い立ちからして謎がつきまとう。出生地は父親が越前・吉江藩の藩士であったことから福井とほぼ確定しているものの、これまで長門(山口)・山城(京都)・近江(滋賀)などさまざまな説が伝えられてきた。ちなみに本名は杉森信盛という。筆名である近松門左衛門の由来をめぐっても諸説あり、いまだに定説はない。
藩士だった父だが、その後近松が10代半ばのころ、吉江藩を去って浪人となり、一家ともども当時の都である京に移り住む。
近松の名が世に知られるようになったのは天和3年(1683)、31歳のときに京・宇治座で初演された『世継曾我』という作品によってだった。翌年には、大坂・道頓堀に竹本座を興した竹本義太夫(1651~1714。ドラマで演じるのは北村有起哉)がその旗揚げ興行でこの作品を上演して大ヒットとなる。義太夫節による人形浄瑠璃という、現在の文楽にまで連なる様式はこの竹本座によってつくられた。近松はその後、『出世景清』を皮切りに竹本座のために続々と新作を書き下ろしていく。
ただし、近松は40代に入ると浄瑠璃よりもむしろ歌舞伎作者として活躍するようになる。これには元禄歌舞伎の名優・坂田藤十郎(初代。1647~1709)の存在が大きい。
それが50代以降は前出の『曾根崎心中』のヒットを契機にふたたび浄瑠璃に比重を移した。宝永2年(1705)からは竹本座の座付作者として浄瑠璃制作に専念、翌年には京から大坂に移住する。
この転身の背景には一体なにがあったのか。これについては下記のように、いくつかの事情が想定されている(原道生・橋本治『新潮古典文学アルバム 近松門左衛門』新潮社)。
・歌舞伎役者たちとの折り合いの問題
・藤十郎の衰えにより沈滞ムードが漂い始めた歌舞伎界に対し、大坂の人形浄瑠璃界が上昇の兆しを見せていたこと
・浄瑠璃のほうが作者の自主性が重んじられること
・竹本座で厚遇を得て物心両面の安定が保証されたこと
理由はどうあれ、青年時代より長らく住み続けた京を離れたことからいっても、並々ならぬ決意をもっての転身であったはずだ。
現実の事件をリアルタイムで物語化した『曾根崎心中』
近松の転機をつくった『曾根崎心中』は、現実に大坂・曾根崎天神の森で起こった心中事件を題材としている。事件はちょうど近松が大坂に滞在していた元禄16年4月に起こり、その翌月には竹本座で上演されたというから、かなりのスピードだ。
それまで浄瑠璃ではもっぱら歴史・伝説上の事件や人物がとりあげられてきたが、『曾根崎心中』では同時代の事件がリアルタイムで物語化された。すでに歌舞伎では心中や殺人など種々のニュースが盛んにとりあげられ、それらは「世話物」と呼ばれて流行していた。近松は浄瑠璃の世界にこれを採り入れ、かつ芸術として高めたのである。芸の真実は虚構と現実の微妙なはざまにあるとした「虚実皮膜」という彼の有名な芸術論もここから生まれていく。
今回のドラマでは、『曾根崎心中』の事件の当事者であるお初や徳兵衛も登場するという。

それでも藤本はこれまで朝ドラ「ちりとてちん」で落語、時代劇「咲くやこの花」では百人一首と、古典芸能・文学を巧みにドラマに織り込んできただけに、本作にも期待が高まる。そういえば、劇中で山崎銀之丞が謎の油問屋・黒田屋九平次を演じるというが、この人物はひょっとして近松の後年の代表作『女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)』に何らかのヒントを与えたりするのだろうか。そんなふうに見る側でも想像をふくらませつつ、全8話を楽しみにしたい。
(近藤正高)