グラドル2人 突然B’zのカバーでデビュー


ふりかえれば「なぜこのメンバーで?」というユニットは少なくありません。90年代初頭に活躍していたグラビアアイドルの飯島直子、網浜直子の2人によるWーNAOもそのひとつ。同じ事務所に所属し、プライベートでも仲のよかった二人は、1992年3月18日、なぜかB’zの「孤独のRunaway」のカバーでCDデビューします。


飯島は当時デビュー5年目、前年に深夜番組「DAISUKI!」のレギュラーに抜擢されたばかりで、「スーパーJOCKEY」の司会を務めるのはまだ先の話。
その一方、網浜はデビュー8年目。ミス・セブンティーンコンテストでグランプリを獲得し、アイドルとしてデビューしましたが、80年代終盤には映画「ビー・バップ・ハイスクール」シリーズの常連としてのイメージが定着。
二人ともそれなりに芸能界でキャリアを積んでいましたが、決して大メジャーと呼べる存在ではありませんでした。ユニット名はもちろん二人の名前が由来でしょうが、80年代終盤に一世を風靡した「W浅野」のニオイもプンプンです。

ビーイング総帥・長戸氏がプロデュースした“女性版B’z”


WーNAOの結成の背景には、オトナになった二人の新たな魅力を発掘してあげよう、という事務所側の“テコ入れ”の狙いが透けて見えます。プロデュースを任されたのは、B’zの育ての親でもある音楽制作会社ビーイングの総帥、長戸大幸氏。
つまりWーNAOは(当たり前ですが)オフィシャルな“女性版B’z”です。元レースクイーンだった坂井泉水をプロデュースし、ZARDのボーカルとしてデビューさせた手腕に期待がかかりました。
「孤独のRunaway」に続く5月には「太陽のKomachi Angel」、7月には「君の中で踊りたい」、そして全曲B’zのカバーで構成されたアルバム「WーNAO」の発売という怒涛のラッシュを見せます。

アルバムのオビには
『ふたりの直子ー網浜直子、飯島直子によるパフォーマンス・ユニット~WーNAO は BEAT を EAT するーWーNAO Version of B'zー』
のコピーが躍りました。

大黒摩季がバックコーラスに参加!


ビーイングが手掛けるだけあって、音楽スタッフは豪華そのもの。中でもバックコーラスには、BBクイーンズのボーカルだった坪倉唯子や、のちに作詞家に転身し酒井法子の「碧いうさぎ」を手掛ける牧穂エミ、そして当時まだCDデビュー前の大黒摩季がいました。

大黒はこの年の5月にCDデビューを果たしますが、2007年、TV番組「ウチくる!?」で下積み時代をふりかえり、「なんでアンタの気持ち悪い音程に合わせて私が歌わねばならないのだ! カワイイってこうゆう(人前で歌える)ことか!」と発言。

当時これを坂井泉水のことだと誤解したZARDファンによる炎上騒ぎもあったのですが、時代背景を考えると、どうやらWーNAOのことを指しているのではないか、というのが90年代マニアの定説です。

1995年に最初で最後のオリジナルシングルをリリース


WーNAOとしての活動がきっかけとなったかどうか、飯島直子はこの年、前述の「熱湯コマーシャル」コーナーMCに抜擢され、セクシーな姉御としてのキャラを確立します。WーNAOとして3年ぶり4枚目のシングル「Rescue me」が発売されたのは1995年6月のこと。自身がMCの「スーパーJOCKEY」エンディングテーマにW-NAOとして曲をもってくるあたり、飯島のこのユニットに対する愛情が感じられます。
現時点ではこれがW-NAO名義では最後のシングルですが、はたして復活はあるのでしょうか。
(DJDB)
 NAOの方舟―飯島直子写真集