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なぜ、日本人女性はキャミソールを着ないのか?【勝部元気のウェブ時評】

映画「ハリー・ポッター」シリーズに出演し、国連UNwomen親善大使も務める女優のエマ・ワトソン氏が、胸の一部を露出したセミヌード写真を雑誌に掲載したことに対して、「フェミニストなのに胸を見せて良いのか?」「偽善者だ!」という批判が噴出するという事態が起こっているようです。

これに対してエマは、「フェミニストの本質をはき違えている」「フェミニズムとは女性に選択肢を認めること、(中略)自由、解放、平等に関すること」という反論を展開しました。まさに指摘する通りで、「肌や胸を見せるな」という選択肢を削る“呪い”の言葉もまた、フェミニズムが問題視している女性に対する抑圧の一つです。




本来、女性も男性もいかなるジェンダーの人々も、自分のファッションに関してどうするかは本人の自由のはずです。ところが現実はそれに対する偏見や抑圧や強制があって、とりわけ日本ではそれが強いと感じています。一般的な日本人女性が、キャミソールのような体のラインが出るファッションを避ける傾向にあることはまさにその証左と言えるでしょう。


いけないのは裸ではなく男社会が絡むこと


まず、簡単にフェミニズムの視点について触れておきたいと思います。多くのフェミニストがエマに賛意を示す一方、確かに企業等が女性の裸を広告に掲載することにフェミニストが抗議の声をあげることもあり、「女性が肌を見せることに対して一貫性が無いのでは?」と感じる人がいるのかもしれません。

ですが、必要な一貫性とは「女性の裸に対する態度」ではなく、「女性自身の選択によるものか否か」です。だから同じ裸であっても、自身の選択によって出したエマはOK、男社会の文脈に則ったポルノのような広告はNGとなるわけです。

もう少し細かく論点を整理すれば、大切なのは、女性の裸を「(1)誰が、(2)何の目的で、(3)誰に見せるか」です。今回のエマのケースは、目的がいわゆる「エロ目的」ではないからOK。もちろんエロ目的の場合であっても全てがNGとなるわけではないですが、対象が「ゾーニングされた人々(当然子供は除く)」かつ「女性性の性的消費を社会的に促さない範囲の狭い世界」に限定される必要があるでしょう。

また、たとえ裸を見せる女性本人の意志による場合であっても、社会全体を俯瞰して見れば、男社会の影響によって「女性の選択がフェアな状態で行われていない」という社会構造的な問題があることも忘れてはなりません。

「他の仕事で十分に所得があればやりますか?」「承認欲求が既に十分満たされていたらやりますか?」「仮に自分が男性だったらやりますか?」そのような条件を満たした時に選択が変わるのならば、アンフェアな環境下で選択されたということの証左であり、本当の意味での女性自身の選択とは言えないわけです。


注目したい「Desexualize(非エロ化)」という概念


おそらくエマを批判する人々の中には、「女性の裸=わいせつ物」という認識であり、「裸を見せる人は悪い人」という偏見があるのだと考えられます。もしくは、そのような社会だからこそ肌を見せてはならないと考えているのかもしれません。

ですが、男性が生活する上で自分の裸が「Sexualize(エロ化)」されたものとして認識する瞬間は性行為等のごく僅かな時間であるのと同様に、女性自身にとっても自分の裸が「Sexualize(エロ化)」される瞬間はごく一部に過ぎません。にもかかわらず、勝手に社会によって「Sexualize(エロ化)」されるから問題なのです。

これに関連したことで近年話題となったのは、「Free The Nipple」運動でしょう。SNSに投稿する際、男性の上半身裸の写真を掲載しても問題とならないのに、女性の上半身裸の写真を掲載すると「Sexualize(エロ化)」されたものとして自動的に認定されてしまうことに対して異議を唱える声が噴出し、ナオミ・キャンベル氏等の著名人も参加したことが日本でも話題になりました。

また、近年様々な国や地域で公共の場での授乳を禁止してはならないという法律や取り組みが広がっています。たとえ授乳ケープをしていなくとも、その時の女性の乳房は決して「Sexualize(エロ化)」されるべきものではないから問題無いというわけです。これらの共通するのは、「Desexualize(非エロ化)」という概念です。

エマが「フェミニズムとは女性に選択肢を認めること」と言いましたが、この選択肢の中には当然自分の体を「Sexualize(エロ化)」するか、「Desexualize(非エロ化)」するかの自由も含まるということを忘れてはなりません。人間の身体は「Sexualize(エロ化)」される場合もあれば、「Desexualize(非エロ化)」される場合もあって、その切り替えは基本的に身体の持ち主によって選択・決定されるべきだと思うのです。


日本人女性がキャミソールを着ない理由


では翻って日本の事情はどうでしょうか? 日本においてはこの「Desexualize(非エロ化)」という概念が他国に比して圧倒的に欠けていると思います。

それを最も如実に表しているのが、冒頭でも触れた日本人女性のファッションです。海外にいた後に帰国した人ならば気が付く人も多いと思いますが、一般的な日本人女性は、温暖な気候のわりに体のラインを隠すファッションを選ぶ傾向にあります。

これは単なるファッションの好みの問題だけではありません。先日知り合ったアメリカ在住の日本人の友人は、「アメリカではノーブラでも平気だけれど、日本に着たら必ずブラジャーを着けている」と言っていました。また、「留学中は普通にキャミソールを着ていたけれど、日本では絶対に着られない」と言っている人もいました。つまり、同じ日本人でも日本という環境だから露出度の高い服を避ける傾向にあるのです。

なぜ、日本人女性はキャミソールを着ないのか?【勝部元気のウェブ時評】
画像はイメージ


これは、日本社会では女性が自分の体を「Desexualize(非エロ化)」する自由があまりに未発達で、男社会によって自分の体が勝手にかつ常に「Sexualize(エロ化)」されるからであり、それに対する自己防衛を迫られているという面が非常に大きいと考えられます。

もちろん、体のラインを隠すファッションがダメというつもりは毛頭ありません。ただ、日本人女性がそれを選ぶ理由の多くが、「そのようなファッションが大好きだから!」という積極的かつ能動的なものではなく、「いやらしい目で見られるから」「はしたないから」「恥ずかしいから」「みっともないから」という消極的かつ受動的なものです。

つまり、日本は「自重ファッションの国」。一見、ファッション文化が発達している国のように見えて、実は抑圧によって選択肢を狭められている社会だということがお分かり頂けますでしょうか?


男性も常に女性の体に興奮するわけではない


先述の「Free The Nipple」を報じるニュースが日本でも流れ始めた頃、インターネット上では「エロ満載でアメリカは良いな~」という日本人男性の反応が散見されました。Free The Nipple の趣旨である「Desexualize(非エロ化)」の概念を何一つ分かっていませんね。ヌーディストビーチに関しても度々同じような発言を目にします。

もちろん異性愛の男性が女性の身体に対してエロ的視点で見ることは十分ありえることでしょう。別にそれ自体を否定しているわけではありません。ただ、それは「相手の女性が抑圧の無い環境下で心から同意を表明した場合のみ」にして、かつ「自己決定を歪めるような社会的圧力に繋がらない程度に抑える必要がある」と思うのです。

また、異性愛の男性が女性の身体に対して「Sexualize(エロ化)」した視点で見るか否かは十分に切り替え可能なことです。分かりやすい例をあげれば、異性愛者の男性産婦人科医が執務中に診た女性器に性的興奮を覚えないのが大半でしょう。江戸時代は当たり前のように母親が道端で乳房をさらけ出して授乳をしていました。

にもかかわらず、現状は「Sexualize(エロ化)」した視点でしか女性の身体を捉えることができず、「女体=エロ」という認識の男性も多いわけです。拙著『恋愛氷河期』ではそのような男性を「肉メガネ男子」と呼んでいるのですが、このあまりに「Sexualize(エロ化)」され過ぎた女性観を「Desexualize(非エロ化)」する必要があるのではないでしょうか?

これは性欲の強いか弱いかということとは一切関係がありません。あくまでTPOによってスイッチを切り替えられるか否かの問題です。何かつけて、女性の身体に対して「はしたない!」「いやらしい!」「みっともない!」「エロい!」「セクシー!」「色っぽい!」というパブロフの犬的な反応しかできないのは滑稽であると同時に、その「不自由な姿」に男性自身の選択も狭めていることなのだとさえ思えてきます。


日本人よ、もっとセクシーになろう!


ちなみに私は「(健康的に)華奢であり続けたい」という少し変わった美意識を幼い頃から持っています。それゆえ今でもそのような体型の維持を心掛けているわけですが、これまで「男はもっと筋肉(速筋)をつけたほうが良いよ!」「華奢なのは男として全然セクシーじゃないから!」という呪いの言葉をかけてくる人が本当にたくさんいました。

そのようなマンスプレイニグ(求めてもいない指摘)に対して私がいつも思うのは、「私には私だけの美学と美的感覚がある」「あなたの美的基準には一切興味が無い」「(言ってきた人が女性の場合)価値観の違うあなたにモテるつもりは一切ない」ということであり、「そういう呪いをかける人は人としてナンセンス」ということです。そしてもちろん、身体に関する呪いを女性にかける男性もナンセンスだと思います。

日本では「セクシー」という概念がまだ希薄です。それは単にエロいという意味ではないですし、いわゆる「セクシーな格好や仕草」のように記号的な意味でもありません。本来は、「人としての意志の強さと、創造性豊かなセンスと、漲る”生”の強さが現れた美しさ」のことです。残念ながら社会による「Sexualize(エロ化)」から自己防衛を迫られているような状況では芽生えにくいのも当然でしょう。

折しも本日3月8日は「国際女性デー」です。男性も女性も全てのジェンダーの人々が、他人が求める色に染まらず、「かくあるべき」という呪いから解放された環境下で自由に選択をして、自分が好きなファッションで自分の体を色鮮やかに着飾り、自分なりのセクシーさを追求して、笑顔溢れる自己表現をして欲しいと思います。
(勝部元気)

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