多彩な批評性を盛り込みつつ、トータルで見ると真っ当なヒーロー誕生の物語になっている。バランスの取れた傑作が『ワンダーウーマン』である。

「ワンダーウーマン」決して天然ボケヒロインではない。女性「ヒーロー」である必然にうなる映画

世間知らずで純真なヒーロー誕生の物語


これまで『マン・オブ・スティール』、『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』、『スーサイド・スクワッド』と3作を発表して来たDCエクステンデッド・ユニバース(以下DCEU)。スーパーマンやバットマンといったヒーローを擁するDCコミックスが仕掛ける連作映画シリーズで、今年はもう一本、11月にヒーローたちが集結する『ジャスティス・リーグ』が控えている。この『ワンダーウーマン』はDCEUの第4作目にあたる。

物語は温暖な気候に守られた絶海の孤島、セミッシラ島から始まる。神話の時代、主神ゼウスの息子である軍神アレスの暴走で、ゼウスが生み出した人類は戦争へと導かれる。アレスに対抗するため、ゼウスが生んだのが女王ヒッポリタを中心とする女戦士アマゾネスだった。セミッシラ島はこのアマゾネスが住む島であり、そこにはヒッポリタの娘でありセミッシラのプリンセスであるダイアナも住んでいた。

厳しい訓練を受けつつも平和に暮らしていたダイアナだったが、ある日空から見たこともない飛行機が墜落するのを目撃する。パイロットを助け出すダイアナ。だが飛行機を追って次々に謎の軍隊がセミッシラに上陸してくる。犠牲を払いつつ敵を撃退したアマゾネスたちに、救出されたアメリカ人パイロットであるトレバー大尉は「外の世界では大戦争が起こっており、自分はそれを止めなくてはならない」と告げる。

宿敵である軍神アレスの存在を確信したダイアナは、母ヒッポリタの制止を振り切り、セミッシラに伝わる武具を身につけてトレバーと共に外の世界に飛び出す。そこは1918年、第一次世界大戦が大詰めを迎えている時期だった。


過酷な第一次大戦のど真ん中に神話の世界のプリンセスが単身殴り込みをかけるという、一歩間違えば非常にしょっぱいことになりそうなネタ。しかし『ワンダーウーマン』はダイアナのキャラクターを丁寧に描写し、また当時の社会状況を盛り込むことでその違和感をうまく払拭している。

「美女戦士は天然系?」というキャッチがついた本作だが、ダイアナは天然というより異なる常識の下で生きてきただけであり、決してボケているわけではない。というか、何ヶ国語も話せて頭も切れ、戦車を投げ飛ばすほどの戦闘能力を持つ誇り高い女王なのだ。そんな彼女が外の世界に触れ異なる常識との軋轢に苦しみながらも、地獄の西部戦線で兵士たちの先頭に立って戦う様は胸を打つ。

ダイアナの行動原理は「アレスを倒し戦争を終わらせる」というものであると同時に、「弱者を守る」というものである。だから彼女は苦しんでいる難民を見ると放っておけない。「そんな難民はいくらでもいる、いちいち取り合っていたらキリがない」と周囲が言っても聞かず、一人でも多くの人々を救おうと悪戦苦闘する。苦い現実を前にしてあくまでもがき続け、己が信じた正義を実行しようとするダイアナの姿は、若く純真なヒーローのそれだ。

なぜ舞台が第一次世界大戦だったのか?


『ワンダーウーマン』で取り上げられたのは第一次世界大戦。この戦争は人類史上初の大量破壊が遂行された戦争だった。本作でも題材になった毒ガスを使った攻撃や、戦車や飛行機といった新兵器が投入され、劇中にも登場した機関銃によって1日に数万人単位で兵士たちが死ぬことも珍しくなかった。

セミッシラ島でダイアナが受けていた「戦争」の訓練は、こういった大量破壊とは全く逆だ。
戦士が武器をとって1対1で戦い、指揮官は前線で剣を振るうのが誉とされる、神話の時代の戦いである。ダイアナが持っている神話的な常識と大きく異なる戦闘、個人の力ではどうにもならない戦闘が超大規模に行われた戦いと言えるのが第一次世界大戦なのだ。

つまり、ダイアナと世界とのギャップを表現するのに一番適した舞台が第一次大戦だったわけで、この選択は極めて意図的なものだったろう。例えば中世のヨーロッパが舞台であれば、ダイアナの戦いはもっと容易で効果的だったはずだ。しかしダイアナが対峙するのは機関銃の猛攻であり、ドイツ軍の新型兵器である。このギャップにスーパーパワーと度胸で挑むも、ダイアナ1人の力では大局はどうにもならない。この事実が純真な理想主義者である彼女を成長させていくことになる。

「スパイもの」である必然


もうひとつ意図的に設定されたであろう要素が、ダイアナと行動を共にするトレバー大尉が「スパイ」である点だ。彼はドイツ軍の新兵器を追ってオスマントルコに潜入。物証を掴んで敵の航空機を奪い、命からがら脱出してきたというアメリカ軍航空部隊の将校である。そしてドイツ軍の野望を阻止するため、トレバーは仲間を集めダイアナと共に最前線に潜入する。

トレバーを演じるクリス・パインは、そのまま主役を張れそうな出で立ちだ。
顔も体も良く、度胸もあって頭も切れて腕っ節もあり、ユーモアのセンスも備えるブロンドのタフガイ。第一次大戦を舞台にした諜報ものであれば、彼がそのまま主人公で間違いない。「主役スパイのピンチを救うエキゾチックな美女」と捉えればダイアナの立ち位置もボンドガールっぽいと言える。しかしこの映画は『ワンダーウーマン』なのである。

『007』シリーズを筆頭に、長らくスパイ映画は男性観客の欲望に応え続けてきた。ダンディでスマートな身のこなしで女にはモテモテ、高級車や最新メカを使いこなして戦い、最後にはその活躍で世界を救う。だいたい、ダイアナを演じているガル・ガドット自体が次のボンドガールでも全然おかしくない。『ワンダーウーマン』はそういった土壌を持つ題材を意図的に採用し、なおかつ根底からひっくり返している。

なんせ『ワンダーウーマン』は、007的スパイであるトレバーがダイアナのために協力し、前線でド派手に活躍するのは本来ボンドガール的なポジションのはずのダイアナだ。トレバーにも見せ場はあるが、ダイアナには普通の人間をはるかに超えたパワーがあるので太刀打ちはできない。そしてトレバーはダイアナをできるだけ理解し、彼女と世界とのギャップをなんとかして埋めようとする。彼はダイアナのよき協力者なのだ。


007的スパイ映画のフォーマットを採用しつつ、男女2人のヒーローが相互に協力して互いの目的のために戦う。この批評的なバランス感覚はまさしく2017年の映画と言えるだろう。全体ではド正面からのヒーロー誕生の物語でありながら、女性ヒーローが主人公であることをうまく使った社会への批評的態度も感じられる。そんな豊かな映画が『ワンダーウーマン』なのだ。
(しげる)
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