イラストレーター&紙版画作家として活躍する坂本千明さん作のこの本は、飼い猫・楳(うめ)ちゃんとの出会いと別れを、楳ちゃんの目線からつづったものだ。楳ちゃんの“猫生”については坂本さんのブログでも詳しく説明されているが、彼女をモデルにした紙版画が2013年にある企画展用に出展され、これが2014年に私家本(いわゆる自費出版本)として1冊の本にまとめられた。長らく一般の書店には出回っていなかったこの作品だが第4刷まで版を重ね、これまでに約2000部が坂本さんの元を巣立っていったという。
本の内容に猫好きが深く共鳴
初版が出て以降、猫好きのクリエイターたちの間などでこんな感想が。
坂本千明さんの版画絵本(でいいのかな)『退屈をあげる』、初版を手にしたものの20年連れ添った先代猫を見送ったばかりの時で、泣けて泣けてしばらく最後まで到達できませんでした。でいま本をひらいても蘭丸が楳ちゃんに似てるので結局1ページ目からああっ(号泣)となります。
— 猫ラボ (@nekolabo1) 2015年7月13日
(『退屈をあげる』坂本千明・著 を読んで)…そうなのよ、ネコってさ、同居人のことなんて「ふたつの手」ぐらいにしか思ってないのよ。逝く時だって「馬鹿ね」とか言うのよ。「いままでありがとう」とか絶対言わないのよ。そこがいいのよ〜!!(下僕体質)
— 町田尚子 naoko machida (@shirakipippi) 2014年9月8日
過去にコネタでも紹介した妖怪絵師・石黒亜矢子さんも「おすすめの猫の絵本」として雑誌で紹介するなど、坂本さんのこの作品に深く共鳴した猫好きは多かった。噂を聞きつけて本を手に入れた人たちからも「猫とはいわず、ペットを飼っている人にはぜひ読んでもらいたい」「表紙を見ただけで涙腺がゆるむくらい何度も読んだ」「子どもに読んであげていたら、自分のほうが泣いてしまって……」「“悲しい”のではなく“愛おしい”という感情が浮かぶ1冊」といったさまざまな感想が、版を重ねるごとにSNSで散見されるようになったのだ。
通販でもショップでも売り切れで手に入らない……と嘆く声も多かったこの本が、10月25日に“新装版”として青土社から発売されることになった。私家本には掲載されていない、坂本さんの目線で楳ちゃんについてつづったエッセイ『幻の猫』(過去にムック本『天然ねこ生活』に掲載されたもの)も収録されていて、いきものと暮らすことについて、命について、さまざまな目線から考えるきっかけになる1冊だ。
あらためて坂本さんに、私家本や新装版の制作の裏側についてうかがった。
猫を亡くし何かを残したい気持ちから生まれた本
――楳ちゃんと過ごした日々を、最初はどんな気持ちで1冊の本にまとめようと考えられたのでしょうか。
「そもそも『退屈をあげる』は2013年に参加したグループ展のために制作した作品で、“本”という形にする予定は全くありませんでした。“物語”がテーマの展示だったので、猫を亡くしたタイミングだったこともあり、何かを残したいという100%個人的な事情から制作した連作版画です。ご覧くださった方々から『本にしてほしい』という声をいただいて、初めて書籍化を意識しましたが、何をどうしていいのかもわからず、ようやく動き出したのはそれから1年後のことでした。個人的な作品を本にして売るということに迷いもありましたが、ともかく1回作ってそれで最後にしよう! と決めていたんです」
――実際には評判が評判を呼んで、第4刷まで私家本が世に送り出されました。出版社を通さない本作りというのはかなり労力のいる作業だったのでは思いますが、それでも私家本を制作・販売されてよかったと思われたのはどんなことでしたか?
「初版時のみ、それまでつながりのあったお店での店頭販売の他に、私個人で通販もしていたんです。それなりに大変ではありましたが、1冊1冊が誰かの手に届いているという実感がありましたし、メールなどで直接ご感想をいただくこともあり、私家本ならではの手応えを感じる喜びがありました。時間的な余裕がなくなり、その後はお世話になっていたお店の方々に全ての販売をお願いすることになったんですが、それまで通販などの大変さを実感していたので、代わりに販売していただくありがたさというのは身にしみました。私個人の力では4刷までできなかったと思いますし、それがわかったということもとても良かったと思っています」
――SNSへのコメントなど、さまざまな方による『退屈をあげる』の感想をごらんになったと思います。特に印象に残っている感想はありますか?
「憧れている作家の方が『みんなこういう本を作りたいと思っている』と言ってくださったのが忘れられません。それまで『こんな個人的な本を作ってしまって……』と世間に申し訳ないような気持ちでいたので、とてもびっくりして泣くほどうれしかったです。改めて、作ってよかったと思えました」
――『退屈をあげる』には、ミニマムなページ数の中にたくさんの版画が掲載されていますね。楳ちゃんという猫を表現するのに、特にこだわられたのはどういった部分でしょうか?
「『退屈をあげる』の制作以前から楳という猫をモデルにした作品は作っていたので、何か特別にこだわってということはなかったと思います。ただ、私はもともと動物を描くことが得意ではなくて、一緒に生活して日々その姿を目にすることで描くことができていたので、楳を作品にするのはこれで最後になるかもしれないとは思っていました。だから後悔しないように、という気持ちはこもっていたと思います。結果的に今も楳をモデルにした作品は作り続けていますが、でもやはり生きていた頃の絵とは同じではないと感じています」
――今度発刊される『退屈をあげる』新装版について、特にここに注目してほしい!というポイントはどんなところでしょうか。
「新装版はすでに私家版をお持ちの方でも楽しんでいただける本になっていると思います。見本を手にした時、一番に感動したのはその手触りです。今回装丁を名久井直子さんが手がけてくださったのですが、これまでの雰囲気を尊重してくださりながらも、細部までとても美しい本に仕上げてくださいました。ぜひ実感していただきたいです。私家版は予算の都合でソフトカバーでしたが、背表紙がある! ということにも感動しました。新装版には帯もついて、松尾スズキさん、西加奈子さんという素晴らしいお二方が言葉を寄せてくださいました。なんて幸せな本だろうかと思います。あとがきの代わりに、私のエッセイも収録されていますので、合わせてお読みいただけたらうれしいです」
これからも「常に『楳に恥じないように』という気持ちで、新しいお仕事にもどんどん挑戦していきたいです」と語っていた坂本さん。過去にも何度か開催され好評だった『退屈をあげる』の原画展なども検討しているとのこと。
この本で描かれる“退屈”とはなんなのか。ぜひご自身で手に取って、切なくも気持ちが温かくなるようなその答えにふれてみてほしい。
(古知屋ジュン)