第21週「ちっちゃな恋の物語」第116回 2月19日(月)放送より。
脚本:吉田智子 演出:東山充裕

115話はこんな話
北村笑店25周年に東西対抗大漫才大会をやる企画が立ち上がる。栞(高橋一生)はそれに加えて、ホンモノのマーチン・ショウを、北村笑店と栞の会社との共同企画として招聘しようと提案。
最近「わろてんか」すこし変わってきた気がする
わーびっくり。
隼也(成田凌)を騙した詐欺師が捕まった。と、栞がセリフで説明した。
ではお金が戻ってきたのだろうか、と思ったら、「まだお父ちゃんにお金返してない」とあとでてん(葵わかな)が言うので、戻ってきてないようだ。残念ですね・・・。
「わろてんか」は、人生に起こるいろんないやなことをさくっと済ませる。
物語をいやなこともいいことも含めてじっくり楽しみたいひともいれば、いやなことは見たくないひともいて。
死や戦争や詐欺などのディテールは見たくもないひとには「わろてんか」は程よい湯加減なのだと思う。
冷水とか熱湯とか味わいたいひとばかりではないのだ。
それにしてもディテールが書けてないとお嘆きのあなた。
お仕事に関しては、隼也を通して、すこしだけディテール増えてきているような気がしませんか。
改めて、てん(葵わかな)が最初にやっていた下足磨きを隼也がやったり、めくりを書いたり、めくりは藤吉(松坂桃李)が一枚一枚書いていたという話が出たり。
いまなら、パワハラにもとられかねない、師匠へのお茶の出し方に気を配らないとどやされるのも、アサリ(前野朋哉)が風太(濱田岳)とてんに頼まれてわざと怒っていたことにされていた。ぬくい日は小梅、雨の日は干し梅と入れ替えないといけない。紙くずのなかにご祝儀が入っているかもしれないから中身を確かめなくてはいけない。などなど、徒弟制度の大変さをちょっとだけ描く。
ていねいに芸事を書いた秀作ながら、なぜか視聴率が振るわなかった過去(「ちりとてちん」)を踏まえて、最初から芸ごと全開にしないように気をつけていたのかもしれない。
「世界中の誰もが言葉つうじんでもわろて感動できる それがマーチン・ショウや」
隼也は、マーチン・ショウの魅力をそう語る。
ものを作る人は、誰もがこういうものを作りたいと願って、試行錯誤しているのだと思う。
てんが厳しいお母さんに
せっかく、みんなが、マーチン・ショウ企画に隼也(成田凌)を参加させようとしているにもかかわらず、
てんだけが首を縦に振らない。
そんなんだったら、もっと前から厳しく教育していたら良かったのにと思ってしまうが、反省したのだろう。
笑うことが好きなおっとりお嬢さんだったてん。藤吉に惚れ込み、彼を支えることに一生懸命になっていた彼女が、今度は息子のために、厳しいお母さんに。なんだか大変です。
「吉本興業百五年史」を買ってみた
「広辞苑」第七版を買うか、「吉本興業百五年史」を買うか迷って、まず後者を買ってみた。
1万円以上するので悩みに悩んだのだが、「わろてんか」を見ているとどうしても吉本のことが気になって。思う壺という気もしないでないが、でも、これ、面白かった。
6センチ以上の厚さ、800ページもの中身に、105年の歴史がみっちりで、社内資料から、さまざまな関係者の寄稿、年表、タレント名鑑など、多角的で読み応えがあった。

エヴァンゲリオンの全記録集にはかなわないが、ずしりと重い。50円玉は比較のためです。
これを読むと、「わろてんか」の登場人物が、このひとがモチーフとひとりに絞ることはできず、いろいろな人物のハイブリッドなのだと痛感する。例えば、団真(北村有起哉)と団吾(波岡一喜)は、初代・桂春団治をふたりに分けたと後藤高広プロデューサーが語っているが、彼の本名は“藤吉”であるなど、一筋縄ではいかない。
マーチン・ショウのモデル・マーカス・ショウを率先してやった林弘高が風太のモチーフであると言われていると以前のレビューで書いたが、風太には、吉本せいのもうひとりの弟・林正之助の要素も入っているだろう。風太のみならず、隼也、栞は、実在の人物の要素を解体・再構築してできたキャラクターで、このひと!と特定できない、逆に、あの人かもこの人かもと話題が広がるところが魅力となっているともいえるのだ。
「吉本興業百五年史」は、写真などの図版も豊富で、よく記録してあったのだなあと感心する。戦前の寄せ小屋の平面図などもあって興味深い。ただ、「女興行師吉本せい」著者の矢野誠一の寄稿によると、戦前戦中の東京吉本の資料はあまり残っていないらしい。
それもこれも、1922年に「演芸タイムス」、1926年の「笑売往来」、それが廃刊すると「吉本演芸通信」、1935年「ヨシモト」と広報誌を出し続けていた成果であろう。
それらの表紙や中身もいくつか載っているし、「わろてんか」で盛り上がっている「マーチン・ショウ」の元ネタになっているマーカス・ショウ(1934年に招聘された)の写真も載っている。
そこには “警視庁の検閲によって胸やへそなどが隠されることになるが、かえって反響を呼び”とある。
漫才の構成台本をつくるだけでなく、記録を残し伝える、吉本興業の文芸部はすばらしい。188ページには気になる記述が。
“文芸部は、特にNHKとの関係を深め、ラジオ放送にも出演させるべく努力した”とさらっと書いてある。昭和初期、漫才に知的な内容が好まれるようになって、エンタツ・アチャコ(「わろてんか」だと、キース・アサリ)が人気になってきたときの活動のひとつのようだ。その頃から、深まったNHKと吉本興業の関係が、いやがおうにも吉本の歴史を振り返らせることになるドラマ「わろてんか」で結実したと思うと、感慨深いものがある。「あさイチ」の司会も4月から吉本興業の博多華丸・大吉になると思うと、余計に。
(木俣冬)