第160回の予想、芥川賞に続き、直木賞もお届けする。候補の五作は、作者五十音順で以下の通り。

今村翔吾『童の神』(角川春樹事務所)
垣根涼介『信長の原理』(KADOKAWA)
真藤順丈『宝島』(KADOKAWA)
深緑野分『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)
森見登美彦『熱帯』(文藝春秋)
それぞれの作品について簡単にレビューした後に、私の予想を書いてみたい。すでにあちこちで予想は行われていると思うが、もののついでにご覧ください。

芥川賞予想はこちら

今村翔吾『童の神』(角川春樹事務所)


森見登美彦『熱帯』にあの謎ルールが影響するかどうか…第160回直木賞を書評家・杉江松恋がズバリ予想

今村翔吾は文庫オリジナルの長篇が最初の著作になった作家だ。2017年刊行の『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』がそれで、破天荒な火消しの一家を主役にした同作は話題になり、現在まで続く人気シリーズに成長した。その今村が、すでに著作のある職業作家として活動し続けるかたわら第10回角川春樹小説賞に応募して見事に栄冠を勝ち取ったのが本作『童の神』だ。著者にとって初の単行本著書というだけではなく、本気の勝負作なのである。もちろん直木賞候補になるのも初めてだ。

江戸時代の話だった過去作と異なり、本書は平安の御世に時代が設定されている。中央の政府による統治は、都の住人だけを市民権として認め、後は「まつらわぬ者」として徹底的に差別、弾圧することで秩序を維持しようとするものだった。実際に起きた政変、969年の安和の変が物語の出発点になっている。左大臣源高明が藤原氏によって失脚させられたものだが、作者はこれを「まつろわぬ者」と京人が手を取りあおうとする融和派が、弾圧派によって滅ぼされた民族戦争として位置付けるのだ。このときに壊滅的な被害を受けた者たちの末裔が本書の主役である。異人(おそらく白人)の母から生まれ、他とは異なる風貌を持つ青年、桜曉丸が散り散りになった人々の間を歩き、その代弁者となっていく。

同じ人間なのに流れる血に違いがあるのかという基本的な人権思想や民族融和という理想の描き方など、明らかに古代のものではない現代人の視点が導入されている。それが平安という時代設定に新風を吹き込んでいるのだ。ただし、ここで書かれる民族の権利闘争は戯画化・簡略化されたもので、実際の政治の世界では経済や文化などの面でもっとえげつないことが行われるだろうし、闘って勝てば自由を勝ち取れる、というような単純な世界でもないはずである。そうした意味では深度はない作品だ。ただしエンターテインメントとして見た場合は、安倍晴明に始まって平安期のスターが総出演する華やかさがあり、それらの人物がどういうタイミング、役割で顔を出すかという伝奇小説ならではの楽しみもある。冒険活劇としては充実した作品である。


垣根涼介『信長の原理』(KADOKAWA)


森見登美彦『熱帯』にあの謎ルールが影響するかどうか…第160回直木賞を書評家・杉江松恋がズバリ予想

二十年近い筆歴の作家だが、垣根が直木賞候補になったのはこれが二回目である。サントリーミステリー大賞(終了)出身であり、2013年の『光秀の定理』で初めての歴史小説を手掛けた。同じ歴史小説路線の『室町無頼』で、一回目の直木賞候補になったのである。安土桃山時代を舞台にした歴史小説には数多く、特に織田信長とその家臣を主人公にしたものは枚挙に暇がない。後発作家である垣根が『光秀の定理』でこのジャンルに参入する際に行ったのはアナクロニズム、すなわち時代錯誤の命題を当時の社会に持ち込むという実験だった。『光秀の定理』では確率論のモンティ・ホール問題が明智光秀に絡めて登場する。
その姉妹篇である『信長の原理』では、パレートの法則が織田信長の人生を支配する問題として取り上げられるのである。
どんなに働きアリがたくさんいても成果を上げるのはその中の二割しかいない、という働きアリの法則として理解されることも多いものだが、本書では信長がその原理に気づいたことから、家臣団を運用する原則を決定するのである。若いころはうつけ者として疎まれていた信長が、なぜ人心掌握をしてピラミッド型の組織を築くことができたのか。その組織に綻びが生じ、重用していたはずの明智光秀に殺害されたのはなぜか。時として異常なほどの残忍な顔を見せたのは、その性格によるものなのか。そうした疑問が、作中ではこのパレートの法則一つで解明されてしまう。歴史的な真偽はともかく、物語としてはこの白黒の付け方はおもしろく、読めば大きなカタルシスが得られる。
そういう意味では実によくできたエンターテインメントである。
垣根は一つの対象を深く掘り下げていく洞察力の作家ではなく、いくつかのパターンやストックキャラクターを当てはめて物語の流れに適した場面を作っていく、職人肌の書き手である。優れているのは人間観察とデッサンの能力なのだ。そうした点がやや軽く見られたのが、直木賞候補になるのが遅れた理由ではないかと思われる。本書も言ってしまえばワンアイデア・ストーリーであり、その点が選考では減点対象になりそうにも思われる。この作家にはこれしかない、というような切実な作品には見えないからだ。


真藤順丈『宝島』(講談社)


森見登美彦『熱帯』にあの謎ルールが影響するかどうか…第160回直木賞を書評家・杉江松恋がズバリ予想

今回初めて組のもう一人。真藤順丈は2008年に四つの新人賞を獲得するという華々しいデビューを飾った作家で、寡作ではあるが意欲作を世に送り出し続けている。年代記やピカレスク・ロマンへの志向があり、デビュー作の『地図男』『墓頭』などでは、個性的な主人公が動き回ることにより、背景に時代が浮かび上がる仕掛けだった。本作はその本領発揮と言ってもいい作品だ。琉球他の南西諸島がアメリカの信託統治下に入った1952年から、施政権が日本に返還された1972年まで、二十年間のいわゆる〈アメリカ世〉が描かれる。
英雄の漂泊の日々を描いたホメーロスの叙事詩『オデュッセイア』を裏返したような構造になっている。1952年、コザのオンちゃんと仲間たちは米軍からの物資強奪を繰り返し、島の貧しい人々にそれを分け与えていた。〈戦果アギヤー〉と呼ばれる彼らは自分を盗人とは考えていない。これはまだ終わっていないアメリカとの戦争なのだ。ある日、倉庫ではなくついに嘉手納空軍基地に潜入した一行だったが、壮絶な迎撃を受けてしまう。散り散りになって逃げる中でオンちゃんは行方不明になってしまう。その弟・レイ、親友のグスク、オンちゃんに恋する少女ヤマコの三人は、英雄の期間を待ち続けるが、歳月が彼らの関係自体を変えていく。別れた道の向こうで、新たな事件が彼らを待つのだ。
 物語を牽引するのは一つの謎と二つの闘争である。謎とは嘉手納襲撃の晩にオンちゃんの身に何があったのかということで、これが物語牽引の原動力となる。二つの闘争とは、オンちゃんに代わる英雄はグスクとレイのどちらなのかという意地の張り合い、そしてアメリカを追い払って祖先の地を取り戻さなければならないという故郷回復の運動だ。この三つの主題が絡み合うようにして物語は進んでいく。真藤は饒舌な作家でしばしば語り過ぎと感じることがあるが、本書に限ってはその余剰もリズムをとるための程良い余裕と感じられる。難を言うならば、二十年の歳月が流れるにもかかわらず、各人に年輪を重ねたなりの成長があまり感じられない点か。饒舌な語りが登場人物の先回りをして心情を説明するので、人物造形の深さがないのだ。その意味では、本作の主人公は不在のオンちゃんであり、彼らが愛する島自体である。

深緑野分『ベルリンは晴れているか』(筑摩書房)


森見登美彦『熱帯』にあの謎ルールが影響するかどうか…第160回直木賞を書評家・杉江松恋がズバリ予想

前々作の『戦場のコックたち』に続く二回目の直木賞候補だ。東京創元社の短篇賞であるミステリーズ!新人賞でデビューした深緑だが、すでにその活動はミステリーというジャンル一つには収まらないものになっている。『戦場のコックたち』は各章で小さな謎を解きながら、ノルマンディー上陸作戦に参加したアメリカ兵が実際の戦場を見ることで内面を変化させていくという教養小説だった。デビュー作となった短篇集『オーブランの少女』のころから感じていたが、深緑には強者が弱者を押し潰そうとする力の論理や、善を望むはずの人間の営みが時に残酷な結果をもたらすといった運命の皮肉など、社会的存在としての人間を描きたいという志向があるはずである。だから毎回登場人物も多く、背景を丹念に書き込んで、どんな基盤の上にその人々が生きているのかを明確にしようとする。
あえて分類するとしたら、本書はロード・ノヴェルの棚に入れるのがいいと思う。主人公のアウグステ・ニッケルはベルリンで生まれた少女である。敗戦後、彼女はアメリカ軍の食堂で働いていたが、突如ソ連軍から呼び出され、ある男を探し出して連行してこいという命令を受ける。アウグステの旧知の人間が殺された。ソ連軍の人間によれば、探索の対象となるのは殺人事件の容疑者なのである。少女は、戦火の爪痕がまだ深く残っているベルリンを徒歩で移動し、面倒な任務をこなさなければならなくなる。物語の骨子はこれだけで、移動の途中に彼女が見聞したもの、出会った人々の証言から、戦火で国が焼かれる、占領によって主権を失うといったことが何をもたらすのかが見えてくる。幕間としてナチの支配下にドイツが入っていくでの過去の時間に何が起きたのかが綴られるが、これによって自由を失う前と後の世界とが対比して眺められるようになるのである。
 前述したように、作者の関心は登場人物の心理を掘り下げることと背景描写の密度を上げることにあり、物語の流れも独特のものがある。作者は、ミステリーならばここで手がかりを残すだろう、といったような決まり事には必ずしも従わないのである。そういった独自の技法が成功している部分と失敗しているように見える部分が混在しており、それが作品の個性にもなっている。誤解を恐れずに言えば発展途上の作品だと思う。だが、もともと直木賞とはそうした未来ある新しい才能に授与されるものだったのではないか。

森見登美彦『熱帯』(文藝春秋)


森見登美彦『熱帯』にあの謎ルールが影響するかどうか…第160回直木賞を書評家・杉江松恋がズバリ予想

今回の候補作中では頭抜けている。日本ファンタジーノベル大賞出身の森見は、四畳半的幻想小説とでも言うべき、新しい個人ジャンルを創り上げた。極めて狭い個人の世界が、奇妙な形で世界の神秘に結びつくのである。その叙述は繊細さと野放図さを渾然とし、ユーモアでその継ぎ目を見えなくすることによって読者に興味を抱かせるという技法を用いる。森見がまだ直木賞を獲っていないこと、これが三度目の候補にすぎないという事実が驚きだが、その通りなのである。なんと、まだ三度目か。いや、三度も候補にしておいて、まだ授賞していないのか、と嘆くべきなのか。
『熱帯』は、過去二回の候補作をいずれも凌駕するほどの質量を兼ね備えた大作である(同じ版元で同題の小説が刊行されているのだから、題名は『熱帯』でなくてもよかったような気はするのだが)。読んでいくうちにわかるが、これは物語が生成されること、それ自体を題材とした物語の物語、本の小説なのだ。冒頭に導入として準備されるのは、作者と同じ名前の小説家・森見登美彦の物語だ。森見は書こうとしている小説がなかなか進まず、『千一夜物語』を読んで語り手の先達であるシャハラザードの偉大さに簡単したりしている。そのうちにある読書会に参加することになった森見は、参加者の一人が、自分がかつて読みかけのまま紛失してしまった『熱帯』という小説を持っていることに気づく。その本を読ませてくれと頼む彼に対して、その参加者は驚くべきことを言い放つのである。
 ここまでが五章と後記から成る小説の一章にあたる部分だ。以降は語り手が交替し、その『熱帯』という本の謎を追っていくことになる。詳細は省くが、『熱帯』は森見の読んでいた『千一夜物語』の構造や道具立てなどが本歌取りの形で取り入れられた作品になっている。『千一夜物語』には数多くの物語りをする人物が登場するのだが、各自の物語の中でまた物語りをする人物が現れるなど重層構造になっており、乱暴な言い方をすると物語が物語を生むような一面があるのだ。そうした性格を本書も継承している、とだけ書いておこう。そんな形で物語生成が行われるので、本書は閉じないプロットを持っている。そうした開いた物語に直木賞が授与された前例はあっただろうか。選考で気になるのはその点だ。幻想小説やSFも不利な要素があるし。

直木賞の偏狭さが発揮されるとこういう結果になる


芥川賞と同じように好みの順に並べると、『熱帯』『ベルリンは晴れているか』『宝島』『信長の原理』『童の神』ということになる。個人的希望では森見か深緑に獲ってもらいたいのだが、『熱帯』は直木賞にとっては鬼門の幻想小説(純粋なものでは、過去に受賞歴はなかったような)、『ベルリンは晴れているか』は『戦場のコックたち』に続いて日本人が出てこない、登場人物全員が外国人の物語である。この謎ルールが正当な評価を妨げるのではないか。
残る三作でいえば『童の神』が初めての候補作であり、伝奇小説ということからまず落ちるように思う。同様の単行本作品で内容の重いものが出て来るまで様子を見ようというパターン。残る二作には両方目がある。『宝島』はなんといっても沖縄の基地問題という焦眉の課題を扱った作品で2019年の現在に授賞する意味が大いにある。『信長の原理』はベテランの作品であり、安定もしている。それぞれの欠点は作品レビューに書いた通りだが、並んで評価されるとしたら、贅肉の少ない『信長の原理』が勝つのではないだろうか。よって本命『信長の原理』、対抗『宝島』とする。穴はなし。もしもこの予想が外れて『熱帯』か『ベルリンは晴れているか』が受賞した場合は、その慧眼ぶりを大いに讃えつつ、自分の考えの浅はかさを土下座してお詫びするつもりである。
(杉江松恋)