年明けより放送されてきたNHKの大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」が12月15日、ついに終わってしまった(きょう昼1時5分から再放送がある)。最終回では、1964年10月10日、前日の雨がウソのように晴れ上がり、東京オリンピックの開会式当日を迎えた。
その日早朝、国立競技場に一番乗りした田畑政治(阿部サダヲ)は、金栗四三(中村勘九郎)と顔を合わせる。本作の二人の主人公のそろい踏みだ。
最終回「いだてん」坂井義則と五りん2つの側から描かれた聖火リレー、レビューも完走、有難うございました
イラスト/まつもとりえこ

マリーの占いの秘密があきらかに


前回(第46話)、バー「ローズ」のマリー(薬師丸ひろ子)が、開会式の前夜、翌日の天気を心配する田畑のため、タロット占いをする場面があった。これまで彼女の占いはずっと外れっぱなしで、現実は占いと逆の結果になってきただけに、田畑は最初断るが、「当たったらカラーテレビを買って」と約束させられ、占ってもらうことになる。私はこのときの結果について、前回のレビューで、出たカードがじつは晴れを示していたのに、マリーは田畑のためわざと雨だとウソをついたのではないかと書いた。最終回ではそのとおりであったことが、マリーが店で客たちと開会式のテレビ中継を見ながら口にした「晴れたでしょ。占い、わざと反対を言ったの」というセリフであきらかになる。彼女は、田畑から御礼としてカラーテレビもしっかり買ってもらっていた(きのうのきょうなのに、開会式の放送にまにあうよう電器屋に急いで届けてもらったのだろう)。

しかし放送後、ドラマの公式サイトでチーフ演出の井上剛の「最終回 徹底解説!」を読んで驚いた。何と、マリーが出したカードは、彼女のほうから見ると雨を表していたが、田畑の側から見ると晴れを意味していたというのだ。

考えてみれば、『いだてん』というドラマには、マリーの占いのように、同じ物事でも、見る方向しだい(たとえば時代や立場、シチュエーションの違い)でまるで意味が変わってしまうことが何と多かったことか。最終回でいえば、開会式で日本選手団が入場行進してきた際、金栗四三(中村勘九郎)が始めたのをきっかけに観客席に万歳の声が沸き起こった場面がそうだった。ここで21年前、1943年の同じ10月、同じ神宮外苑の競技場で挙行された学徒出陣壮行式がオーバーラップする。
あの日、雨の降るなか、田畑を含め観衆はひたすら万歳を続けた。しかし同じ場所でも、戦地に向かう学生たちに対する万歳と、平和の祭典に参加する選手たちに対する万歳は、当然ながらまったく意味が異なる。

聖火最終走者となった坂井義則(井之脇海)も、田畑をはじめ選んだ大人たちには、原爆投下の日に広島で生まれた彼は「平和の象徴」であったが、当人としてみればプレッシャーでしかなかった。いよいよ本番を目前に控え、国立競技場近くの食堂に待機する坂井はなおも吹っ切れない思いを抱え、店に顔を出した金栗四三に愚痴を漏らす。それを受けて四三は何を思ったのか厨房に行くと、バケツを持って戻って来て、坂井に冷や水を浴びせかける。四三としてみれば、坂井は自分のやりたかった大役を奪った嫉妬の対象であったが、それと同時に、ランナーとしては未来を託すべき後輩であった。それだけに、いつまでもうじうじしている彼に発破をかけたかったのだろう。その行動に、当の四三が、かつて優勝を目標に練習を重ねてきた1916年のベルリンオリンピックが第一次世界大戦で中止になり、大塚の下宿に引きこもっていたところ、熊本から上京した妻・スヤ(綾瀬はるか)に冷や水を浴びせかけられたのを思い出した。あのときの四三同様、坂井は気持ちをあらためて再び走り出し、見事に大役を果たす。

このときの聖火リレーの様子もまた、坂井ともう一人、五りん(神木隆之介)と、二つの立場から描かれた。志ん生(ビートたけし)のもとを逃げ出した五りんだが、志ん生の娘・美津子(小泉今日子)からひそかに、落語協会から聖火リレーに参加するのはあんたしかいないと言われていた。迷いながらも、決心していざ集合場所に行ったのだが、五りんの役は聖火ランナーではなく、その後ろを五輪旗を持ってついていく一伴走者にすぎなかった(このときランナーたちに指示を出す係員を演じていたのが、よく見たら吹越満だったので驚いた)。
おまけに走る区間も思ったより短く、あっというまに聖火は、女子ランナー(清田みくり)から坂井に引き継がれた。それでも五りんは自分の役目をしっかり成し遂げる。

オリンピック当日の志ん生の落語会。史実との違いは?


この日、志ん生は芝での落語会に出演する予定だった。会場へタクシーで向かう途中、日本橋近くで渋滞に巻き込まれる。第1回の冒頭シーンと同じシチュエーションだ。だが、あのときの渋滞の原因は高速道路の工事だったのに対し、今回は、開会式でブルーインパルスが上空に描いた五輪を車に乗っていた人たちも一斉に見上げていたためであった(ここでは運転手の役が、作者の宮藤官九郎というサプライズが用意されていた。本当に驚かされることばかりだ)。

落語会で志ん生が披露したのは「富久」であった。このドラマにおいて、五りんと志ん生を結びつける重要な役割を担った噺だ。じつは現実にも、志ん生は東京オリンピックの開会式当日、高座でこの噺を演じていた。べつのところでも書いたのだが、おそらく宮藤官九郎は、この史実から逆算して、志ん生とオリンピックを結びつけ、物語をつくっていったのだろう(実際、チーフ演出の井上剛がほぼそのとおりのことを公式サイトの前掲ページで明かしていた)。


しかし、落語会の場所が史実とは違った。実際に開会式当日に志ん生が出演したのは三越落語会……日本橋の三越本店だったのに対し、ドラマでは芝に変わっていたのだ。そこではたと思い出した。「富久」で主人公の久蔵が走るのは、本来なら浅草と日本橋のあいだだったのに、志ん生は日本橋から芝まで延ばしたことを(ドラマではこの“改変”に、五りんの父・小松勝[仲野太賀]がかかわっていたことが描かれた)。これにならって、劇中の落語会の場所も日本橋から芝に変えたのだろう。何より、聖火リレーを終えた五りんが、志ん生にこれまでの無礼を詫びるべく芝にかけつけ、そのあとさらに知恵(川栄李奈)が自分の子を産むのに立ち会うべく、志ん生版「富久」の久蔵よろしく芝から浅草の病院へと走るためには、そうでなければならなかった。

最終回は、五りんが志ん生に詫びを入れ、浅草で産まれたばかりの子供と対面したところでクライマックスを迎える(前回に続き、クライマックスと呼べる場面はいくつも用意されていたが)。このあと、後日談的に、マラソンの円谷幸吉のゴールまぎわでのデッドヒートや、女子バレーボールの日本チームの優勝、そして各国の選手が入り乱れての閉会式と、東京オリンピックの名シーンが五りんによって語られる。さらには、その3年後、金栗四三がストックホルムに招かれ、1912年のストックホルムオリンピックのマラソンレース中に“行方不明”になって以来、じつに55年をかけてゴールしたというエピソードが描かれた。ドラマ終盤ではほとんど出番のなかったスヤがここで久々に登場、しかも四三と一緒にストックホルムに行けたことにうれしくなった。

ラストでは、四三がゴール後に語ったという「走ってる間に妻をめとり、6人の子と10人の孫が生まれました」との言葉を志ん生が高座で紹介したところで、「おしまい」と書かれた幕が下りる。最後を志ん生の語りで締めくくったところに、このドラマはあくまで志ん生が史実をもとにつくった「オリムピック噺」だったのだとあらためて思わせた。


「あとで振り返れば……」という発見に満ちていた物語


ここであらためて「いだてん」を全体を通して振り返ってみたい。本作は大河ドラマでは久々に近現代をとりあげた。明治・大正・昭和と戦争を挟んだ時代は、朝ドラではこれまでにも数多く舞台になってきた。しかし朝ドラの主人公はたいてい市井の女性で、政治家などとかかわることはほとんどない(「あさが来た」のような例外はあるが)。それが「いだてん」では、オリンピックという政治と否応なしにかかわらざるをえないものをテーマに据えただけに、嘉納治五郎(役所広司)や田畑政治は、政治家や官僚と折衝を繰り返した。高橋是清(萩原健一)、犬養毅(塩見三省)、池田勇人(立川談春)、川島正次郎(浅野忠信)といった日本の政治家だけでなく、ムッソリーニやヒトラーといった海外の首脳まで登場したのは大河のみならず日本のテレビドラマでは異例といえる。

さっき、「いだてん」では、同じ物事でも、見る方向しだいでまるで意味が変わってしまうことが多かったと書いたが、それもこれも、政治家との生々しいやりとりを含め、近現代史を真正面から描くにはどうしても避けられないことであったのだろう。

同じ物事でも違う視点から見ると別の意味が現れるといえば、ドラマの前半、ストックホルムオリンピックでのマラソンで金栗四三が二股路で間違った方向に進んで、コースから外れるくだりもそうだった。このとき、違う道に進む四三を、ポルトガル代表のラザロが止めるのだが、当のラザロはレース中に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまう。もし、あのとき四三がラザロに引き止められ、コースに戻っていたのなら、彼も死んでいたのではないか。そう思わせる展開であった。これについては、早稲田大学の細馬宏通教授が、《四三は分かれ道を無我夢中のうちに通過するんだけど、あとでもう一度違う角度で眺めたときに、初めて自分が何を体験したかが明らかになる》と語っていたのを思い出す(「週刊文春」2019年5月2・9日号)。


「あとでもう一度違う角度で眺めたときに、初めて自分が何を体験したかが明らかになる」ということは、四三だけでなく、後半の主人公である田畑にも起こった。それは、彼が東京オリンピックの大会組織委員会の事務総長だったころ、ジャカルタ・アジア大会でのボイコット騒動に端を発し、責任を激しく問われたときのこと。国会にも呼ばれて追及を受けた際、自民党の大物政治家・川島正次郎から、東京オリンピックに対し政府はカネを出すとともに口も出すと告げられる。オリンピックの主導権が政府に奪われようかという局面に陥り、田畑は「違う……こんなんじゃなかったはずだ」「どこだ、どこで間違えた?」と自問自答した末、かつて自分が新聞記者時代、アムステルダムオリンピックの派遣費を出してもらうため、時の大蔵大臣・高橋是清に直談判したときがそもそもの始まりだったと思い至る。そのとき彼は高橋に対し、「先生方もスポーツを政治に利用すりゃいいんですよ」「カネも出して、口も出したらいかがですか?」と言っていた。まさに自分のしでかしたことに、あとになって(それも30年以上もあとに!)気づくというパターンだ。

田畑は結局、事務総長を解任され、オリンピックも政府主導へと転じたわけだが、それはけっして悪いことばかりではなかった。たとえば、それまでオリンピックに向けて国民のムードはいまひとつ盛り上がらず、田畑も試行錯誤していたのが、彼の解任を境に、一気に人々の関心が集まるようになる。ドラマではそれについてもきちんと描かれていた。

考えてみれば、さっきのオリンピックと政治の関係といい、田畑政治という人は矛盾も抱えていた。彼の口癖である「違う、そう」はその表れということもできるかもしれない。矛盾を抱えていたのは田畑だけではない。
平和の祭典としてのオリンピックに生涯を捧げた嘉納治五郎からして、ナチスが主導した1936年のベルリンオリンピックに感化されて、1940年に決まった東京オリンピックも挙国一致で推し進めようと言い出し、田畑たちを戸惑わせた。田畑はこのとき、「いまの日本は、あなたが世界に見せたい日本ですか!?」と嘉納を説得していたのが印象深い。

最終回では再びこのセリフが登場する。閉会式を無事に終え、競技場に現れた嘉納の幻影から「これが君が世界に見せたかった日本かね?」と問われ、田畑は自信をもって「はい。いかがですか?」と返すのだった。

しかしオリンピックと政治の問題は、東京オリンピックのあともけっして解消されたわけではない。むしろ、オリンピックがメディアの発達にともない世界からさらに注目され、その存在がより大きくなるにともない、この問題はより複雑になったともいえる。1972年のミュンヘン大会ではパレスチナゲリラがイスラエル選手団を襲撃し、人質全員が死亡した。また1976年のモントリール大会ではアフリカ諸国、1980年のモスクワ大会では日本を含む西側諸国、1984年のロサンゼルス大会では東側諸国と、ボイコットがあいついだ。そうなる前兆は、すでに東京オリンピックでインドネシアと北朝鮮の選手団が開幕直前に不参加を決めたときに現れていたのかもしれない。「いだてん」はそうした点もしっかり物語のなかに盛り込んでいた。けっして一面的なオリンピック賛美では終わらなかったところに、このドラマが2度目の東京オリンピックの前年という時期に放送された最大の意義があったように思う。

このドラマはもともと、大河ドラマの企画としてではなく、朝ドラ「あまちゃん」が終わってまもないころ、同作でタッグを組んだ宮藤官九郎と井上剛がまた一緒にドラマをつくろうと話し合っていたところ、宮藤が志ん生で書けないかと提案したことに端を発するという。もしこれが逆に、大河ドラマを宮藤に書いてもらおうというところから始まったのなら、ひょっとすると近現代を舞台に志ん生とオリンピックしようというアイデアは出てこなかったのではないか。そもそも近現代の大河ドラマは当たらないというジンクスがあるだけに、はなからこの時代をとりあげようという話にはならなかった気がする。

まず脚本家と演出家でやりたいことが先にあって、そのあとで大河ドラマという枠に収まったのは、じつに幸福な流れだと思う。これが、枠が先ありきの企画だったのなら、先例や視聴率取りなどにとらわれて、ここまで自由にできなかったかもしれない。そうならなかったのは、私たち視聴者にも幸せなことだった。ドラマを終えたいま、しみじみそう思う。そんな感慨を抱くのは私だけではないはずだ。(近藤正高)

※「いだてん」最終回「時間よ止まれ」
作:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺・古今亭志ん生:ビートたけし
タイトルバック画:山口晃
タイトルバック製作:上田大樹
制作統括:訓覇圭、清水拓哉
演出:井上剛
※各話は総合テレビでの放送後、午後9時よりNHKオンデマンドで配信中。12月30日には総合テレビで総集編が放送予定
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