今夜金ロー『ヱヴァンゲリヲン:破』惣流アスカと式波アスカの違いを検証「社交性が低い」など

『ヱヴァンゲリヲン:破』惣流アスカと式波アスカの違いを検証

人気アニメ『エヴァンゲリオン』シリーズの劇場版『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』。庵野秀明監督による『:序』(2007年)、『:破』(2009年)、『:Q』(2012年)が、日本テレビ『金曜ロードSHOW!』で3週連続で放送されている。

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過去に『:破』について執筆した、ライターたまごまご氏のレビューを改めてお届けする(2014年8月29日掲載時のまま再掲)。


『エヴァンゲリオン』というコンテンツのオイシイところを詰め込んだ『ヱヴァンゲリヲン:破』

今夜『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』が放映されます。ぼくはエヴァに興味があってまだ観ていない人が「どれ見たら一番楽しめる?」と聞いてきたら、迷わず『破』を薦めます。

音速を超えるスピードで走るエヴァ、ぽかぽかしちゃった綾波、シンジが綾波に手を伸ばした時の「来い!」という叫び。エヴァが画面いっぱいに動いているのを見ているだけでワクワクする。「エヴァンゲリオン」というコンテンツの、キャラ性・アクション・残酷さという、オイシイところを選んで詰め込んだ、エンタテインメント映画です。

映画上映時は、それはもう興奮して何度も観に行きました。
サハクィエル戦楽しすぎんよー。ただ、上映から5年たった今のぼくの胸に、どうも「破」は引っかかって仕方がない。「破」には式波・アスカ・ラングレーという、それはもう天使のようにかわいらしい女の子が出てきます。けれど、それはぼくが十数年愛し続けていた惣流・アスカ・ラングレーではない。今さらだけど新劇場版は、ぼくが耽溺していた昔のエヴァじゃない。まあ、予告編でアスカを出したあたり、今思えばエヴァも丸くなったんでしょうね。


惣流「あんたバカァ? あんなに上映初日に、『予告編があって救われた!』って、トイレに駆け込んで、吐きながら泣いてたくせに何言ってるのよ。気持ち悪い」

だ、だから、今なら、って言ってるだろ!?

●「惣流」と「式波」の違い
「式波」と「惣流」の違いはぜひ注目してほしいところなので、書き出してみます。

1. 加持さんに恋愛感情を抱いていない
旧エヴァでは、ミサトの昔の恋人、加持リョウジに恋愛のような憧れを抱いています。しかし式波の方は、彼に対して何の感情も抱いていませんし、ほとんど接触もありません。

2. 社交性が低い。
惣流は友達をすぐ作り、大人ともすぐ仲良くなれるキャラクターでした。
しかし式波は友達を一切つくろうとせず、詰め寄ってくる男子を蹴飛ばし、一人でワンダースワンで遊んでいます。大人とも特に接触をとらず、唯一接触したクラスメイトは洞木ヒカリだけです。

3. 他人との接触に前向きになっている。
全員が他人との接触を苦手とし、ヤマアラシのジレンマを抱えていた旧エヴァに対し、みんなそれぞれ、他人との距離感をうまく取れています。特に式波は、ミサトに「でも最近、他人といるのもいいなって思うことがあったんだ」と打ち明けたり、シンジを異性として意識したりと変わっています。

「破」を含む、一連の新劇場版のアスカは、シンジから見た「拒絶してくる他人」として描かれていません。
アスカもシンジも、お互いかなり好意的に受け入れようとしています。首もしめません。

●ツンデレ化するアスカ
竹熊「ああ、庵野さんが「『エヴァ』のキャラは全部自分自身だ」という意味はそれですね」
庵野「ノンフィクションですよね。自分が今やってるのは。これをフィクションでやれっていうのは、とても無理ですよ。そんな才能ないっス。
そういうのを簡単にやれると思ってる人達に、僕は傲慢を感じますね。傲慢、もしくは何もわかってないんだという。まあ『エヴァ』は実はドラマというより、ドキュメンタリーに近いですね」
『パラノ・エヴァンゲリオン』より)

TV版と旧劇場版のエヴァは、庵野秀明の私小説でした。

時代を越えてエヴァが愛されていくうちに、様々な二次創作・スピンアウトが行われるようになります。公式で作られた作品に、『新世紀エヴァンゲリオン鋼鉄のガールフレンド2nd』と、『新世紀エヴァンゲリオン 碇シンジ育成計画』があります。前者は純愛ストーリーで、後者はラブコメ。
『鋼鉄のガールフレンド2nd』はアスカ好きなら楽しめると思うので読んでね。

次第に、綾波レイと惣流・アスカ・ラングレーが、「属性」化します。レイは、クールにして恋愛感情を持つ「クーデレ」、アスカはシンジを突き放しながら意識してしまう「ツンデレ」の代表として頻繁にあがるようになりました。もっとも、1996年のTVアニメ放映時には、まだ「ツンデレ」という言葉はなかったので、後付けになります。

そもそも、惣流のアスカはそこまでツンデレじゃない。レイに嫉妬したり、試しにキスしたり(すぐうがいするけど)と、シンジに好意をうっすら持っているシーンはいくつかありました。でも彼女は、シンジから見た「拒絶する他人」という大事な役割を担っていました。

10年以上経つうちに、アスカはすっかり「ツンデレ」で定着。2007年のインタビューで、アスカ役の宮村優子も、アスカは「ツンデレ」であり、シンジを「異性として気になっている」と明言しています。『破』ではレイにあからさまな対抗心を燃やすほどになりました。

式波のアスカは、それはもうかわいいです。激しく劣情を抱きます。これも一種の二股でしょうか。

惣流「バーカ、知ってんのよ、あんたが私を……そして、私じゃない別の私をオカズにしてることも、テスト用プラグスーツのフィギュア集めて飾ってることも」

ご、ごめん両方のアスカ! でも仕方なかったんだ! 惣流のアスカの心かき乱す感じと違う、「萌える」感じが、式波にはあったんだ……。

●ドキュメンタリーから、フィクションへ
旧エヴァが、庵野秀明本人曰くドキュメンタリー的吐露だったのに対し、『破』は一歩引いた娯楽作品として機能させることに成功しています。

当初は『破』も総集編でした。しかし庵野秀明は『破』の意味を、今までの自分が作った「エヴァ」の破壊である、と考えました。そこで、特にマリを中心に鶴巻和哉監督のセンスにグッと任せ、今までのエヴァから脱却します。

式波がいて、惣流がいない世界。パラレルなのか、ループしているのか。いずれにせよ旧エヴァとは別世界として作られています。人に頼りたい、他人との壁がわからない……この観客と庵野秀明のモヤモヤを投影していた、逃げ続けるシンジは、『破』の世界にはいません。新劇場版に投影できる「おれ」はいるんだろうか? いない。

惣流「あんたなんて、映画の中にいらないのよ」
式波「これはドキュメンタリーじゃないの、フィクションなのよ」
惣流「ようするに、あんた、誰でもいいんでしょ。私に逃げてるだけじゃないの」

そうだったのかもしれない。『破』は本当に夢中になって観ました。でもかつて、惣流のアスカに甘えて「かまってよ!」と怒鳴り散らしていたシンジのように、エヴァに依存する感覚は、ぼくにはなくなっていました。

だからこそ『破』を、今は素直に楽しめています。ぼくが年を取ったのか、エヴァが優しくなったのか。教えてよアスカ。なんだか宗教から抜けだしたみたいだ。

これが、よもや『Q』でひっくり返されるとは、上映当時思ってもいませんでしたが。ほんと今だから言えるけどさ、早く『Q』観せて、頼むからアスカを助けて! って本気で思ったものです。続けて観られる人は幸せですよ。
(たまごまご)


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