『おちょやん』第18週「うちの原点だす」
第88回〈4月7日(水)放送 作:八津弘幸、演出:小谷高義 〉

セリフを忘れる千代
3月13日深夜の大阪大空襲以降、なおも空襲は続く。千代(杉咲花)はたったひとり芝居を続ける。夜、月明かりの下で猫を観客に、これまで演じた芝居のセリフを諳んじ続ける千代の姿は哀しみに満ちている。【前話レビュー】寛治、満洲でまさかのテルヲ化 お給金を送る約束はどうした
やがて、福助(井上拓哉)と百久利(坂口涼太郎)の戦死の報が入り、哀しみが募る。千代のひとり芝居はますます悲愴さを帯びていく。
戦争で被った喪失感の表現にオリジナリティーがあった。千代は演劇を取り上げられ、でもほかに何もできないからセリフを言い続けるしかない。もともと現実で良いことがなく、演劇の世界で現実を忘れてきた千代だったから、現実逃避の魔法のようなもの。
千代が月を見上げ、その光の下で行われるものだから、「ルナティック」という一種の病のようなものに取り憑かれているようにも見える。千代にとっては病(虚構に逃れる)が癒やしや治療であるという逆説性がそこにある。
ところが、その唯一の治療である演劇が、現実から否定される。戦時に演劇は不要と、演劇に逃げ込むことすらできなくなった千代はいつしかセリフを忘れてしまう。それだけ現実(戦争)の力が大きくなって、もしかしたら、演劇は必要ないのかもしれないと信じる気持ちが揺らぎはじめたのであろう。
「なんやったっけな」「え〜…出えへん」と泣き崩れる千代。好きを通り越して厳しい現実を忘れるおまじないである演劇すら失う絶望の残酷さ。
千代の浮気疑惑
88回はこのように深刻な話なのだが、はじまり方は浮気疑惑。千代が夜中にこっそり家を抜け出してひとり芝居をやっているのを「密会やな」とみつえ(東野絢香)が心配し、そうなったのも一平(成田凌)のせいだと叱る。慌てて、一平があとをつけると、千代が猫相手に芝居をしていた。不幸な人生を5年がんばって跳ね返し、成功して再会しようと約束するふたりの物語「人生双六」である。
芝居の途中、一平がセリフを引き取る。さすが自分が書いて自分が演じたセリフはすぐに出てくる。こんなことして「なにが楽しいねん」と一平が訊ねると、「楽しいはずあれしまへんやろ。こわいんだす」と千代は答える。

芝居ができないことで、自分が客を喜ばすためよりも自分のためにやっていたことに気づいた千代の揺れる思いを一平が受け止めて、帰宅すると、みつえと一福(歳内王太)の様子がおかしい。
「怒ってんの?」と千代がすこしふざけて聞くと、「怒ってへんよ」と返すみつえ。
一平がちゃぶ台の上の福助の戦死の知らせを見つけ、ようやく状況を理解する千代。なんて間が悪いのか。こんなすれ違いは現実にはありそうだけれど、これをわざわざドラマで描くのは人が悪いというか、リアリスティックというか。おかげで千代がとても無神経な人物という印象になるが、彼女のこの無神経な感じが、あとあと彼女を苦しめることになる。
みつえはショックで寝込んでしまい、シズ(篠原涼子)と宗助(名倉潤)が訪ねてきても起きようとはしない。
「あんたにうちの気持ちなんかわからへん!」とみつえから拒絶されてしまう千代。86回で、居候と家主の立ち場が逆転して、
87回で、寛治(前田旺太郎)が満州に行って、大切な人を送り出す気持ちをみつえと分かち合ったと思ったにもかかわらず、哀しみの大きさは果てしなく開いていた。
その後、千代は農家に食べ物をもらいに行くが、ここでも否定される。「あんたらがちやほやされてええ気になっていた間も、うちらは泥まみれで畑耕してたんや」「あんたらもちっとは世の中の役に立つことしてみいな」と農家の嫁(岡部尚子)に突きつけられる。
このとき、この女性の言い方はきつすぎないところに、配慮を感じる。

農家の嫁が言うような「ちやほやされていい気に」なっていたわけではないとはいえ、千代はたしかに自分のために芝居をしてきた。お客様のためと言いながら、根本的には自分がつらい現実を忘れるため、生き抜くためだった。それを指摘されてアイデンティティーを失ってしまう千代。
このへんは完全にコロナ禍で、演劇や映画やドラマという虚業が、実業を行う人達から突きつけられた問題が、戦時下に置き換えられて綴られていく。『おちょやん』の制作がはじまったとき、コロナ禍のコの字も頭になかっただろうけれど、たまたまこういうことになり、ドラマが様変わりしたに違いない。期せずして、時代とぴったり合ったドラマになってしまった。
戦争、自然災害、病……さまざまなことが人間の生きる道を閉ざそうとする今に向き合う。ただ、その状況を描くことは容易い。優れたドラマに求められるのは、その先の深い思索である。『おちょやん』が朝ドラ屈指の名作になる可能性はそこにある。
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■杉咲花(天海千代役)プロフィール・出演作品・ニュース
■成田凌(天海一平役)プロフィール・出演作品・ニュース
■名倉潤(岡田宗助役)プロフィール・出演作品・ニュース
■いしのようこ(富川菊役)プロフィール・出演作品・ニュース
■明日海りお(高峰ルミ子役)プロフィール・出演作品・ニュース
■曽我廼家寛太郎(小山田正憲役)プロフィール・出演作品・ニュース
■井上拓哉(富川福助役)プロフィール・出演作品・ニュース
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■大川良太郎(漆原要二郎役)プロフィール・出演作品・ニュース
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■松本紀代(石田香里役)プロフィール・出演作品・ニュース
■楠見薫(かめ役)プロフィール・出演作品・ニュース
■土居志央梨(富士子役)プロフィール・出演作品・ニュース
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■桂吉弥(黒衣役)ニュース
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番組情報
連続テレビ小説『おちょやん』<毎週月曜~土曜>
●総合 午前8時~8時15分
●BSプレミアム・BS4K 午前7時30分~7時45分
●総合 午後0時45分~1時0分(再放送)
※土曜は一週間の振り返り
<毎週月曜~金曜>
●BSプレミアム・BS4K 午後11時~11時15分(再放送)
<毎週土曜>
●BSプレミアム・BS4K 午前9時45分~11時(再放送)
※(月)~(金)を一挙放送
<毎週日曜>
●総合 午前11時~11時15分
●BS4K 午前8時45分~9時00分
※土曜の再放送
作:八津弘幸
演出:梛川善郎
音楽:サキタハヂメ
主演: 杉咲花
語り・黒衣: 桂 吉弥
主題歌:秦 基博「泣き笑いのエピソード」
木俣冬
取材、インタビュー、評論を中心に活動。ノベライズも手がける。主な著書『みんなの朝ドラ』『ケイゾク、SPEC、カイドク』『挑戦者たち トップアクターズルポルタージュ』、構成した本『蜷川幸雄 身体的物語論』『庵野秀明のフタリシバイ』、インタビュー担当した『斎藤工 写真集JORNEY』など。ヤフーニュース個人オーサー。
@kamitonami