モーニング娘
と山一證券、モーニング娘。と小泉構造改革、モーニング娘。とミレニアム問題……。ニッポンの失われた20年の裏には常にモーニング娘。の姿があった! アイドルは時代の鏡、その鏡を通して見たニッポンとモーニング娘。の20年を、『SMAPと、とあるファンの物語 -あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど-』の著書もある人気ブロガーが丹念に紐解く! 『月刊エンタメ』連載中の人気連載を出張公開の6回目は2002年のお話。
2002年、モーニング娘。の音楽作品に、初めてある言葉が登場した。

「繋がんない夜10時のネット」(『いきまっしょい!』)

この2002年とはちょうど、インターネットの人口普及率が国民の過半数(57.8%)に初めて達した年でもある。そもそもモーニング娘。が『愛の種』でインディーズデビューした1997年、電話回線を使うダイヤルアップ接続が主流だったインターネットは人口普及率も9.2%とかなり低い数値に留まっていた。しかし直後に携帯電話による接続サービス「iモード」や高速通信が可能な「ADSL」が登場すると、ネット利用者が急増。
中でも10~30代はネット普及率9割とその訴求効果はすさまじく、彼らに牽引される形で、日本社会のIT化は止まることなく突き進んでいったのである。

そして面白いのは、そのネット黎明期の若年層が、黄金期モーニング娘。のファンゾーンと完全に一致していたという点だ。自分と同年代のアイドルを応援する若きファンは毎夜“繋がんない”回線環境にもめげず、パソコンを立ち上げてはグループの楽曲やテレビ出演の感想を、いつも熱心にネットへ書き込んでいた。

「ネット社会が始まって“2ちゃんねる”ができた頃は、ネットに参加してる連中っていうのはすごく能動的で(中略)“つんく♂が今回の曲で安倍なつみをセンターに持ってきたのは、やっぱりこれこれこういう理由なんだよ。『ASAYAN』を観てもこうだったし”とかね、嘘でもええから書いてるんですよ。まあそれを“ああ、こいつマニアックやな”とか“それは違うな”って思いながら読んで」(つんく♂)(※1)

後にプロデューサーのつんく♂も見ていたことを明かしているように、ファン同士が気軽に繋がるネットコミュニティは、それまでのテレビや雑誌とは全く違う形の情報を日々全国に発信した。どんな小さなことでもファン自身の手で価値が見出され、その発見のやりとりで、声援がさらにボリュームアップしていくのである。

2000年代初頭にかけて大ブレイクしたモーニング娘。がデジタル文化最初の国民的女性アイドルであることは間違いないが、それは同時にモーニング娘。のファンコミュニティが、この国でかなり早い時期からネットを通じて大きく広がっていたということでもある。

そしてその象徴といえる出来事も、やはりこの2002年、それは多くの人の記憶に深く刻まれる形で起きていた。


発端は2002年7月末、新作映画の記者会見にあわせて発表されたハロー!プロジェクトの“大規模リニューアル”だった。

後藤真希保田圭がモーニング娘。から卒業」
「既存ユニットの再編成」
「新たなグループの誕生」

それまで順調に活動していたアイドル集団の大変革は、大半のファンにとってまさに寝耳に水だったが、中でも衝撃が走ったのはモーニング娘。の派生ユニットであるタンポポ(飯田圭織矢口真里石川梨華加護亜依)のメンバー入れ替えだった。同じく人気を博していた派生ユニットのプッチモニが、後藤と保田というメンバー2人の卒業にあわせて大きく動かざるを得なかったのとは対照的に、タンポポにはそういった事情がないまま、石川梨華を残して3人のメンバーが大刷新されることになった。

モーニング娘。としてはなかなか前列に立てないメンバーが「思い入れが強い」(矢口)(※2) 「命に代えても惜しくないくらい好き」 (飯田)(※3)と常々口にしていたユニットへの思いと、それに相反する現実に、激しく動揺するファンたち。しかしそれでも皆の愛した風景が大きく変わる節目はすぐにやってきた。2002年9月23日、横浜アリーナで行われたモーニング娘。の全国ツアー「LOVE IS ALIVE! 2002夏」最終公演である。

この日の目玉はなんといってもエース・後藤真希のモーニング娘。卒業であり、その最後の姿を目に焼き付けようと、用意された1万5千枚のチケットはすぐに売り切れた。
そして始まる本番。異様な熱気の中、途中で揃いの衣装に着替えて出番を待つ4人の姿があった。現メンバーでのラストステージを迎えた、タンポポの面々である。

「大人にならないといけない」(矢口)(※2)

沢山のファンが見たいのも、マスコミが追いかけるのも、その日は誰がどう見ても後藤。自分たちが脇役であることを重々承知していたからこそ、4人は最長5年に渡ったユニット活動への溢れる思いを抱きつつも、いつものようにさりげなく、コンサートの1コーナーにすぎないユニットメドレーのステージに立った。しかし歌おうと顔を上げた4人が次の瞬間見たのは、いつもとは全く違う客席の光景だった。

「タンポポがいっぱいだよ!」

飯田圭織が我慢できずに叫ぶ。

スポットライトの向こうの客席は一瞬にして、タンポポの花を想起させる黄色いサイリウムの光で埋め尽くされていた。

この“タンポポ畑の卒業式”が生まれたのも、実はネットがきっかけである。

「タンポポのとき一面黄色にしてえなあ」

1人の名無しファンが2ちゃんねるにこう書きこんだのはライブの一週間前。しかし顔も知らぬ者同士がどこまでその思いを共有できるのか、もっとも懐疑的だったのも当の本人たちで、直後にはこんな言葉も続いている。

「客席が黄色で埋まれば感動物だけど、所詮思いつきなので無理」

だがたった17文字で綴られたファンの思いは、やがてネットを見ていた同じファンの間で次第に増幅し、結果としてそれまで例のなかった異例の手作りセレモニーを見事叶えることになった。


その可能性の大きさよりも顔を合わせない懐疑心が先行し、まだインターネットがポジティブに語られることが少なかった時代。しかし、名無しのファンたちの想いを増幅させ、横浜アリーナに夢の景色を花開かせたものこそ、まだSNS も知らない、産声をあげたばかりのネットの力だったのだ。

モーニング娘。14枚目のシングル『そうだ! We’re ALIVE』(2002年2月20日発売)

※1 ナタリー「9~11期メンバー&つんく♂が語る『2013年のモーニング娘。』」
※2 『おいら-MARI YAGUCHI FIRST ESSAY』(矢口真里/ワニブックス刊)
※3 『うたばん』(TBS/2001年11月22日放送)
編集部おすすめ