お笑いコンビダイノジが、4月より活動拠点を地元・九州に移した。今年結成29年目、50歳という一つの節目を迎えたことで、残りの人生を故郷に注ぐと決めた結果だ。
「東京のお笑いに憧れて上京した」という“東京志向がメチャクチャあった”大地洋輔。だが憧れの街で暮らして気づいたのは東京だけが人生じゃない、ということだった。「都落ち」という言葉はもう古い。大地が見つけた、生まれ故郷に戻るという生き方とは――。

【写真】九州への移住について語るダイノジ・大地洋輔【3点】

――いよいよ九州吉本所属ですね、大地さんとしての今の実感は?

大地 正直、僕はまだ実感がなくて。ありがたいことにみなさんから「寂しくなるね」と、お声掛けいただく機会が多いのですが、まるで海外に永住するか、今生の別れのような感じで見られているんですよ(笑)。交通もネットも発達した世の中で、どこにいても遠くに感じられることってないと思うんですが、もう一生向こうの地から出ず、二度と東京に帰ってこないと見ている人が多くてビックリしています。

僕らとしては、やっと九州でお世話になった人、九州で応援してくれた人たちとおもしろいことをして、それで恩返しができるなあという嬉しい気持ちしかない。むしろ超前向きな状態で。

――この話をしたときのご家族の反応はいかがでした?

大地 それがこの数年、東京以外で過ごす時間が増えてきたので、奥さんとしてもこの流れは想定内だったようで。「九州にいくことで視野が広がるなら、いいんじゃない」と背中を押してくれました。ただしばらくは、福岡の友だち宅に居候する形になるので、とにかく栄養あるものを食べろ、クエン酸をちゃんと飲め、野菜を多く食べなさい。
ラーメン食いすぎるのは避けろ……と食事についてメチャクチャ釘を刺されています(笑)。あとは近くに病院があるかどうかを調べとけ!とも。

――単身赴任の夫婦の会話ですね。

大地 何かあったらすぐ冷凍野菜を送るから!って口酸っぱく言われていますよ(苦笑)。そういう意味では今回の移籍について、奥さんが僕以上に心配になっているでしょうね。

――この移住は、大谷さんからの提案だったと聞いています。切り出されたとき、どういうお気持ちでした?

大地 やっときたなと。母が一人で地元・大分に住んでいまして。母もさすがに高齢になり、この先をいろいろと考えて、遅かれ早かれ大分に戻りたいなとは思っていたんです。そして僕も50歳になり、体調も崩れやすくなったり東京での仕事もいよいよできることの限界が見えてきたところで、大谷さんからこの言葉をもらった。これはもう帰るタイミングが来たんだなと、二つ返事でOKしました。

――確かとんねるずに憧れ東京を目指したんですよね。
ザ・東京のお笑いを目指した大地さんがこの選択をすんなり受け入れたのは個人的に驚きでした。

大地 僕も驚いてます。大谷さんによく言われるのですが、僕はメチャクチャ東京志向が強い人間で(笑)。子どもの頃にとんねるずさんと出会い、スゲー!これが東京だ‼東京のお笑いってカッケー‼という衝撃が走り、それが憧れに代わったんですよ。

そこからはもう、地方にいることへのコンプレックス、東京への夢が加速していく一方。高校卒業したあと就職先は、もうどこでもいいからとにかく東京の会社に入ろうとばかり考えていましたね。僕の兄貴(大地大介、バンド「fOUL」ドラマー)が先に東京に行ったので、母一人を残すのは不安があり最初は相当迷いましたが、母が「東京に行きなさい」と背中を押してくれ、ならば東京に行くしかないなと。

上京したての頃は、東京で生活している、東京の空気吸っている……それだけで文化人になった気分になっていましたね。一応端から都心の近くまで一通り、東京の形を経験してきました。東京に家も買って、結婚して都心と呼ばれる場所で家族と生活している。けど、いろいろと仕事をして揉まれていく中で、「あれ?この状況、俺が東京に片思いしているだけなんじゃないか?」って思うようになって(笑)。

――それは寂しい(笑)。


大地 勝手にこっちが東京という街を、大きく見すぎていただけなんですけどね(笑)。ただ、徐々に実家が恋しくなってきたのも事実。実家に帰るたびに、東京で生まれた子どもたちが、「大分って、めちゃくちゃ楽しいじゃん!」って東京にはない大分の良さ逆に教えてくれるんですよね。僕が「長く住めば飽きるかもよ」と言っても、「いや、これは絶対に楽しい」と返してくれる。それならみんなで楽しく過ごせる街で生活しよう、なんなら九州で仕事して、微力ながらも僕たちでこの街を盛り上げられたらいいんじゃないか?って前向きな気持ちになっていったんですよ。

――大地さんは前向きにとらえている中、見送る人たちの方が余計な心配をしている気がします。

大地 まさにそうで。やっぱ僕ら世代の人は、芸人・サラリーマン限らず「ああ、アイツら都落ちか」という見方をするんです。正直僕は何言われようとも気にしないのですが、その「都落ち」って言葉はこの時代には合わないなあって。もう、これだけ交通もネットも発達した中で、どこが都なのかって、あまり意味ないなあって。そもそも東京だけが都なのか?と、それは違いますよね。各地に都がある中、俺たちは九州で俺たちの都を作るぞ!って(笑)。


――一国一城の主として、これから居を構えるぞと。

大地 そうですそうです。強気というか前向き、ポジティブな気持ちしかないんです。それに僕自身は、東京だろうが九州だろうが、自分の出し方に変わりはないんです。何より九州にいると僕としては、今以上に仕事しやすくなると思うんです。

――どういう部分に仕事のしやすさを感じたのですか?

大地 芸人がこんなことを言うのもなんですが、僕、どうしても「面白くしよう!」と力が入っちゃうんです。確かに東京では自分の持つ力を全開にしなきゃ埋もれてしまいますが、僕の場合はそこで頑張ろうとすると逆に変な方向に行っちゃうんですよね(苦笑)。

その東京での力の入れ方を東京外でもやっていたら、ある日、長年出演している北海道の番組(『ブギウギ専務』)のディレクターから「“芸人・大地洋輔”はいらない、大地洋輔できてやってください」って言われたんですよ。東京では絶対にハマらないような形が、逆に東京外の街ではハマるらしく。確かに、そうやって力を抜いたことで、好評をいただくようになったんですね。

――親しまれている証拠ですね、それは。

大地 それなら嬉しい。
このスタンスはきっと九州での活動でも活きてくると思うんですよね

――東京でやり残したことは大地さんの中ではありませんか?

大地 東京での自分か……もうないかもしれないですね。心落ち着く場で、自分らしさをもっと出せる環境の方がいいなあって。

――では、大地さんとしては、何を達成できたら九州に帰ったことの意義が最終的に感じられると思いますか?

大地 えぇっ⁉ ……何も考えてなかった(笑)。そうだなあ、超個人的な話ではありますが、家族全員を大分に呼べたら、帰ってきた意味があるなあと思います。今の段階では単身赴任状態の上、奥さんが「ミス・東京!」という方なので、一ミリも東京から出る予定がなくて(笑)。子どもは学校を卒業したら大分に行きたいと言ってくれているので、きっとそうしたら奥さんも移住を許諾してくれるとは思っているんです。少しでも九州の良いところを毎回のようにプレゼンして、奥さんの心を掴む仕事の一つとして頑張っていければいいなと。

【あわせて読む】50歳で地元・九州へUターン、ダイノジ・大谷が語る「東京で大成功する、以外の芸人の生きる道」
編集部おすすめ