【写真】九州への「Uターン」について笑顔で語るダイノジ・大谷ノブ彦【4点】
――九州移籍へのニュースが出たとき、ものすごい反応がありましたね。
大谷 いやあ、正直ビックリしましたね。マネージャーから「ニュースリリース出しますね」と言われたときは、「誰が反応するんだ?」と思ったのですが、いろんな方から連絡いただいて、だいぶ驚かれましたね。
――今回の九州への移動は大谷さんから切り出したそうで。
大谷 そうですね。この数年ずっと九州で仕事もしてきたので、ずっと移住は脳内にはあったんです。実は数年前に、大阪吉本へ移籍しないか?という話をもらっていて。僕も漫才が上手になりたかったし、大阪から東京進出という流れが多い中で大阪進出はかえって面白いなと思い前向きに考えていたんです。そんな感じなので東京から出ていく考えは、今に始まったことではなかったんですよ。
それに3年前にコロナが始まり、僕らをとりまく環境がガラッと変わってしまって。まず、仕事の形。今劇場の世代交代が進み配信のパイを持った子たちが中心になったことで、僕らの世代はもちろん師匠クラスでも立てる機会は限られてきたんです。
それに、二人ともコロナをはじめ体調を崩すことが増えて。同級生からも体調面での不安を聞かされる機会が増え、もう俺らが元気に仕事できる時間ってあまり残ってないな……と実感したんですよ。それなら、九州に戻って新しい一歩を踏むか!と傾いていったんです。
――かつて大谷さんは地元がイヤで仕方なく、東京へと出てきたと聞いています。
大谷 確かに学生時代はイヤでイヤでしょうがなかったですねえ。ただ、自分たちが一生懸命やったときに意外に応援してくれたり、篤く仕事に呼んでくれたのはやはり地元・大分県であり九州だったんです。俺らもなんだかんだ歳くって、大分特有の甘い醤油が体に合ったりと馴染んだ食べ物が身体に合ってきて。九州に行くたびに、やっぱ魅力的な街だなと思うことが増えていく一方で。「ああ、大分の人間だ。
――先ほど話にも出ましたが、長年主催イベントを九州で開催されたり、地元大分では町おこしベンチャー系の方々とイベントを開催されたりと、“九州を盛り上げたい”という想いをずっと形にされてきました。それを本格化させていくと。
大谷 はい。僕らは今年、大分で僕ら主催の音楽フェスを開催する予定だったんです。コロナなどのもろもろもあって来年に延期したのですが、これは絶対に成功させたい。フェスを開催すれば大分に他県から来てもって、お金を落としてもらえる。
あと、吉本にも依存せず地方のテレビ局にも依存しない、自分たちの足で仕事を九州で生み出せる人になりたいんです。
先ほども出ましたが、僕らはもう劇場に中々立てなくなってしまった。それなら、自分たちで独立リーグを作った方が早くないか?そっちの方が面白くないか?って。僕らの良いところって、ほんの少し名前が知られているところで(笑)。
――ダイノジにしかできない仕事、具体的になんでしょう?
大谷 色々な仕事をする中で気づいたことは、やっぱ「盛り上げる」ことをやるのが俺らの性に一番合っているなあって。高揚させたり人を巻き込んで盛り上げることなら、僕らはサンドウィッチマンや千鳥にも勝てる能力があると思っていて、そのニーズに合うこと……お祭りを作ったり、なんなら一緒に酒を飲むだけでもいい、地域に何か根ざして大きな動きを作っていくのが間違いなく俺らはできると思っているし、それが一番楽しいんです。
その大きな枠で言うと、さっき出た大分でのフェスを10年続けること。僕も色々なフェスの現状を見てきていて、フェスを続けること、地域に根差すことの超しんどさを知っている。けど、このフェスを成功させれば定番化できる。その後、僕らの身体が動かなくてもフォーマットを次代の若い人たちに引き継いでもらえるし、ちゃんと根付かせられるんじゃないかと。
――なるほど。大谷さんが考える九州の可能性とは?
大谷 以前吉本の大崎洋会長が、これからは「デジタル化」、「アジアでのビジネス」、「地方創生」が重要だと話していて。
まず、デジタル化。ダイノジはどれだけ頑張ってもデジタルに関しては若手には追い付かないので、そこはリーチできない。一方アジア進出と地方創生。
――今インドネシアをはじめ、アジア圏の音楽フェスがとてつもない勢いと規模に成長していますからね。需要は大きいかと。
大谷 そうなんです、文化の発展がすごく進んでいて。そうなったとき、日本で東南アジアの玄関口になる場所はどこか?となると、福岡なんです。アジアの玄関口にして、愛着もある九州で来てもらって楽しんでもらえる場を作れば、アジアにもリーチできて、最終的には僕らも九州もより輝けるんじゃないかな?って。九州移籍を機に、今までにないぐらいダイノジは忙しなく動いていくと思いますよ。満足に体が動くのはたぶんあと10年。この10年動く限り、全力でやり切りたいですね。
――最終的に、「九州に帰ってきた意義」を感じられると思いますか?
大谷 僕らのやることで一人でも喜んでもらえたら最高ですね。僕ら、静岡県清水市で「マグロック」という5~6000人キャパのフェスを開催していたんです。
確か開催3年目のころかな? 清水のとある定食屋さんに大地と二人で入ったら「毎年ありがとうね」と、ご飯大盛りにしてもらったんですよ。僕たち、大したことしていないのに、こんなありがたいこと言ってもらえるんだとジンワリ嬉しくなって。そのときに、「そうだ、“ありがとうね”と言われることを本業にしよう」と、思ったんですよ。俺は九州に「ありがとう」を言いたい。なら最後に九州、大分の人たちに「ありがとうね」と言われたら、俺は全部OKだなあって。
――それはステキですね!
大谷 悔しいかな、チャンスをもらいながらも、僕が思い描いていた東京での大成功の道は歩けなかった。けど、今やっと、自分ができる最大限をやるべき時がきたということかなって。東京が一番刺激的で進んでいる街なのは重々承知の上、「いや、九州も刺激的というものへの距離は、東京と変わらないよ」って伝えられる面白いことをする自信があるので、もうとにかくひたすらにやるだけだなって。
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