【前編はこちら】『あいの里』Pに聞く中高年の恋愛番組を作った理由「おじさんとおばさんの恋愛って見たことがない」
【写真】ドハマリする人急増中『あいの里』名場面集
数多ある恋愛番組の中で『あいの里』が突出した面白さを持っているのは、出演者たちの個性や背景に焦点を当て、その人間くささや抱えている困難を、赤裸々に映し出しているからだ。もちろん全員が聖人君子というわけではなく、どうしても嫌な面や悪いところも映ってしまう。昨今の恋愛リアリティーショーでは、そこに登場する人々が注目を浴びた結果、誹謗中傷の的にされ、さらにはSNSを通じて直接本人に届いてしまうこともある。『あいの里』を作るにあたっていったいどんな配慮がなされたのか。西山氏は語る。
「僕はもともと、恋愛リアリティ番組を作っているつもりは全然なかったんです。日テレの土屋(敏男)さんが作ったドキュメントバラエティという言葉があるんですが、ようするに人間をどうやって描くか、人がどう生きてどう成長するかというところにスポットを当てたつもりです。ただ、僕は出演者たちのいいとこ探しをしようとも思っていて。
『あいの里』でいえば、ああいう隔離された古民家で夏の暑い中、ずっと生活していると人間の悪いところがいっぱい出てくるじゃないですか。撮影していると、いいところが3、悪いところが7くらいの割合で撮れてしまうし、テレビ的には悪いところのほうが面白かったりする。
だからこそ、西山氏はいいところを7、悪いところを3くらいのバランスで描くことを心掛けているとともに、悪いところを多く出す場合には、編集で笑いに転ばせるというテクニックを採用したという。
「本当は、アンチョビ(料理人の男性出演者、数々の勘違いをして空回ってしまう)は優しすぎるくらいに心が優しいし、いいやつなんです。でも普通以上に優しいから、変な方向にいってしまった。彼の人間くささや愛らしさを出すためには、ドキュメンタリーの作りにしてはダメ。僕はドキュメンタリーの作りをやってると言いましたけど、アンチョビのシーンに関しては、バラエティの作りにしたんです。ナレーションとテロップでつっこんで、さらにスタジオでもMCの田村淳さんとベッキーさんに徹底的につっこませるという。番組側がアンチョビをいじり倒せば、逆にSNSでアンチがつっこむことはないじゃないですか。そうやって、1人ひとりバランスを取って、アンチが生まれないように考えて作ってます」
MCに田村淳(ロンドンブーツ1号2号)とベッキーを採用したのも、西山氏の思惑だ。
「この番組に関してスタジオの役割っていうのは、VTRに対する共感と補完だと思っているんです。MCにはできるだけ住民の1人ひとりに共感して欲しいし、補完というのは、VTRのナレーションでそこまで言っちゃうのは言い過ぎになってしまう場合、その部分をスタジオでMCに言って欲しいという意図。田村さんもベッキーさんも、ふたりとも違う番組で仕事したことがあるんですけど、本当に天才だし、実際、共感も補完もきっちりと先回りして、我々が欲しいコメントを言ってくれる人なんです」
ドキュメンタリーとして出演者の個性やこれまでの人生を浮き彫りにし、バラエティの手法でエンターテインメントと成立させた『あいの里』。
「若い人の恋愛って、お互いを見つめる恋愛だと思うんですが、大人の恋愛は、お互いを見つめ合うのではなく、同じ方向を見る。一方の見る先がスーパーの30%引きのシールなのに、もう一方の見る先が、青山のレストランの3000円のランチだったら、ちょっと見ている方向が違うってなりますよね。同じ方向を見られるかどうかを、お互いに探り合いながらする恋愛が、大人の恋愛だと思います」
しかし、出演者たちの誰もが大人の恋愛ができているわけではない。むしろ、『あいの里』では、それができずにジタバタと奮闘する出演者たちの姿に、視聴者たちは共感し、心を奪われることとなった。
「出演者に限らず、ある程度の年齢であっても、みんな恋愛初心者みたいなところがありますよね。ちゃんと恋愛をした回数って、せいぜい数回。だからみんな不器用だし、その部分が愛らしくて、人間くさくて面白い。それが、この番組の魅力だと思うんです」
最後にまだ、見ていないという人たちに向けて西山氏にコメントを貰った。
「人生の後半をどう生きていくか、人間誰しもが関心のある、本質的な部分が見られる作品だと思っています。しかも泣いて笑える。
取材・文/大泉りか
▽
Netflixリアリティシリーズ「あいの里」独占配信中