8月1日発売の『STORY』9月号(光文社刊)から新しい表紙モデルに決定した「エビちゃん」こと蛯原友里。『STORY』創刊時の2002年当時20代だった「エビちゃん」をSTORY世代の43歳になったいま、表紙に異様する意義を『STORY』統括編集長の河合良則氏が語った。


【写真】蛯原友里『STORY』の撮影風景&懐かしの過去写真【14点】

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およそ20年前に起きた、「エビちゃんブーム」。スマホ社会が本格到来する前、彗星のように現れ、老若男女、日本中の人たちがこぞって注目したファッションモデルが蛯原友里さんでした。通称「エビちゃん」は、社会現象を巻き起こしました。

当時の私はといえば、蛯原さんが誌面を飾っていた『CanCam』(キャン キャン)のライバル誌である『JJ』(ジェイ ジェイ)の編集者。実のところ、その大ブームを実に苦々しく見つめていました。

私は、出版社に入社後すぐに『JJ』に配属されてから、10年が経とうとしていました。
いわゆる〝赤文字系ファッション誌〟の嚆矢かつ看板雑誌の中堅編集者として、表紙や大特集も担当し、目まぐるしい日々を送っていました。

当時の『JJ』は、梅宮アンナ、梨花、平子理沙……綺羅星のごとくスターモデルを輩出していました。長年、女性誌マーケットにおいて、『JJ』の存在は、とにかく圧倒的存在だったのです。ただし、エビちゃんが、ライバル誌『CanCam』に登場するまでは……。

「エビちゃんブーム」が巻き起こる少し前のこと。そのころの私は、〝モデル発掘の担当〟でもありました。

「自分の担当ページ専属の、新人スターを生み出したい」そんな野望を叶えるべく、モデル事務所と連絡をとっては、「顔見せ」と称し、編集部で「ミニ・モデルオーディション」を随時開催していたのです。

ある時、そのモデル候補者を見たとたん、身体中に電流が走りました。ひときわ光り輝く原石を見つけたのです。興奮冷めやらぬまま即、マネジャーにコンタクトをとると、「いや~河合さん、その子はついこの間、『CanCam』に決まってしまったんですよね……」本当に〝ハートに刺さった〟だけに悔しかった。20年経った今も、忘れられないシーンです。そのモデルとは言うまでもなく、蛯原友里さん。
だからこそ、エビちゃんブームは私にとって余計に苦々しかったのです。

2006年、私は『JJ』からその母親世代である『STORY』へ異動となりました。未体験の「40代の女性」に想いを馳せ、年上のお姉さんスタッフに囲まれながら、企画を考え、ページを作る日々でした。そんな私もSTORY在籍10年以上が経ったある時、突然、スタッフから提案がありました。

「『STORY』のモデルとして、蛯原さんってどうですか?」

そうか、迂闊だった。あの「エビちゃん」もそろそろ40代になるのか……。
ある意味〝憧れの眼差し〟を向けていた、かつてのライバル誌モデル「エビちゃん」。そんな彼女と仕事することになるかと思うと、まだ現実化する前から心が躍ったことをよく憶えています。

こうして2018年春、初めて誌面に登場していただきました。同時に、「ぜひ表紙モデルに」とのオファーも出しましたが、その時はタイミングが合わず、実現には至りませんでした。そして、3年後。マタニティ姿で再び登場してもらうと大きな反響があり、産休を挟んで再びレギュラーモデルとして誌面を飾ってもらうこととなったのです。


さて、エビちゃんブームから約20年経ち、当時、20代だった女性たちは今、蛯原さんと同じように、子育てと仕事の両立で忙しい毎日を送りながら、日々を生きています。

『STORY』が創刊した当時の読者層の割合は、専業主婦が7割、仕事をしている人が3割でした。それから20年経った今では、その割合がそっくり逆転して、仕事を持つ人が7割。私の肌感覚では8割を超えている気がします。さらに、仕事や家事、育児のために自分の時間を犠牲にするというわけではありません。そのポリバレントな感覚が、20年前の読者とはまるで違います。


昔はいわゆる「OL」をしていたけれど、今は起業して、(バリバリというより)悠々と仕事をする。家庭、仕事、子育てのどれかに重きをおくのではなく、どれも欲張って、どれも楽しみたい。そんな感覚を持ち、毎日を自分自身でマネジメントする世代が今の40代、STORY世代です。

そして今年。機が熟し、「表紙モデル・蛯原友里」の誕生となりました。

蛯原さんのタイムマネジメントは完璧です。撮影日、基本的に編集部がいただけるスケジュールは、早朝お子さんを送り出してから、お迎えに行く時間までです。子育てを最優先し、仕事との両立に腐心する姿は読者と変わりません。また、自分が「刺激される」ことを求めるマインドも同じです。

モデルや女優ではない一般人の「インフルエンサー」が隆盛の中、「モデル・蛯原友里」が今もって、大きな影響力を保ち続けている理由でしょう。

モデルとして今なお存在感を放ち続ける彼女に、『STORY』の専属表紙モデルになることを決意した理由は?と聞いたところ、「STORYの撮影は、刺激的で楽しい。ベーシックな服だけじゃなくて、着ると高揚感に包まれるファッションを表現できるから」とのこと。

また、「マタニティ(第二子出産時)企画の撮影でも、大きくなったお腹をむしろ活かすようなファッションが新鮮だった」とも。

つくづく、蛯原さんは「強いモデル」です。何がって、まず顔が強い、目が強い。ただそこにいるだけで、成立する稀有なモデル。それゆえ編集部もその強さに、つい頼ってしまいがちです。『STORY』の撮影現場にて、クールな表情でのカットが続いたことがありました(フォトグラファーのリクエストでもあったわけですが)。

そんな中、編集者から何げなく発せられた、「笑顔も少しください」という一言に、場の空気が一瞬にして凍りつきました。もちろん彼女はその後、笑顔のショットもくれたのですが、編集者は大いに反省します。もしかしたら、「エビちゃん時代」の笑顔は、周りから求められたゆえの、作られたキャラとしての笑顔だったのではないか。ならば、現在の蛯原さんには、「このページのこのカットだから、こんな笑顔が必要です」、そこまで伝えて納得してもらわないと、本当の笑顔はできないんじゃないかと。

43歳の今の彼女の、自然な笑顔を探していこう。これは私たちの課題であり、使命です。作り手側こそ、より一層精進しないといけない。一編集者として、いま一度、私たち自身が鍛えられるモデルに出会えたと思っています。

『STORY』は、創刊20周年を迎えた昨年末、新たなタグラインを掲げました。「オシャレも人生も、「揺らいでから」が楽しい!」というものです。カラダも気持ちも変化が起こる40代は、「私の人生、これでいい?」と、自分を見つめ直す〝第2の思春期〟です(これは女性に限らず、男性もそうではないかと思います)。既婚の人、未婚の人、子どもが大きい人、まだ小さい人、バリキャリに専業主婦と、立場やキャラは多様だけれど、「揺らぎ」があるのは皆同じだと思うのです。

でも、揺らいでいるからこそ、立ち止まって考えることもあるだろうし、だからこそ変われる、成長できる可能性がある。『STORY』は、マイナスをプラスに転換する提案を毎号発信していますが、そのメディアの顔になるモデル、このタグラインを今の時代に体現できるキャラクターは、「蛯原友里」しかいない。そう確信したことが、表紙モデルに起用した最大の理由なのです。

昨年秋、日本を代表するアパレル会社・オンワード樫山の基幹ブランド「23区」から『STORY』に声がかかり、「ブランドのカタログを作ってほしい」というオファーがありました。

これは、「スタジオ事業」と呼ばれるもので、構成から、キャスティング、ビジュアルディレクション、キャッチコピーなど、雑誌メディアのクリエイティブ力に厚い信頼を寄せていただき、任された仕事です。そのカタログに、蛯原さんを起用したところ、予想をはるかに超える大きな反響がありました。特に冬カタログは、Webページを経由した売上額が前期比140%を記録するなど、「23区」における、’22年秋冬の飛躍的な売り上げに大きく貢献したと評価されました。

インスタグラムをはじめとするSNSでも情報が広く拡散されたことから、若い世代にも彼女が「奇跡の40代」と認識されていたこともわかりました。まさに老若男女に届く強さを持っていた、かつての「エビちゃんブーム」の〝エビ売れ〟が、令和の時代にも健在だったことが証明されたのです。

時を重ねて、さまざまな経験を積み、今がいちばん美しい40代。彼女たちに向けて、「今だからこそ、昔より一層輝けるんだ」というメッセージを、「蛯原友里」というモデルを通じて届けたい。

そして、表紙にその想いを込めて、ここ何年かの自粛ムードが明けた今、宣言します。「いよいよこれからだよ。大人だって、もっとキラキラしていいんだよ」と。

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