真冬ながら北風は弱く、太陽の心地良さを感じられた1月のある週末。茨城県の鹿島灘海浜公園には多くの人出があった。
公園に人の姿があるのはごく普通のことだが、興味深く感じたのは、太平洋という外洋に面する海浜公園ながら、多彩な属性の人が共存していたことにある。
なぜこのような公園が生まれたのか、そして今後はどう進化するのか。鉾田市建設部都市計画課の菊池信幸さんと市村航祐さんに詳しく伺った。
多様な人たちが共存する波のある海浜公園
鹿島灘海浜公園には、若い人から杖をつく高齢者まで老若男女を問わず散歩を楽しむ人がいて、芝生がきれいに整備された広場では凧あげをする親子がいた。
ビーチサイドの広場では海風の心地良さを感じながらヨガをする人がいて、園内に併設されたドッグランには愛犬家がいた。レストランのあるデッキ付近には定食や麺類を味わう人、その隣の産直市場では地産の新鮮野菜や果物を物色する人の姿があった。
そして、外洋である太平洋に面していることから波があり、その波を求めるサーファーたちがいた。
実はサーファーを除けば、このような環境の公園は日本の内海によく見られる。鹿島灘海浜公園が稀少なのは“波がある公園”であり、それでいて“サーファー以外の人にも楽しまれている”ということなのだ。
思い出したのは、南カリフォルニアにあるソルトクリークビーチパークである。
同ビーチパーク(海浜公園)は、ロサンゼルスとサンディエゴの中間に位置する海辺の街ダナポイントにある、オレンジ郡が整備する自然豊かな公園。波があり、芝生や木々の緑が眩く、白砂のビーチはおよそ1マイル(1.6km)にわたり、その向こうには真っ青な大空と大海原が広がっている。
そして天然色に溢れる環境を日常のものとして、園内でくつろぐ地元の人の姿がある。
誰もが海の時間を楽しんでいる。その時間に心地良さを感じ、暮らしに必要なものだと感じている。カリフォルニアの決して特別ではないそのような光景を見て、“さすがビーチカルチャー先進の地だな”と感じたものだった。
鹿島灘海浜公園の大きさはソルトクリークビーチパークのそれに程近い。そして所有する県から指定管理を受けて現場を司る鉾田市の建設部都市計画課に勤める菊池信幸さんと市村航祐さんは、より地元市民の憩いの場となるべくリニューアルを行う予定であることを教えてくれた。
東日本大震災のあとも市民の大切な場は守られた
鉾田市建設部都市計画課 課長 菊池信幸さん●1974年、茨城県生まれ。生産量全国1位のメロンをはじめとして野菜・果物の生産量が全国トップクラスであることなど、鉾田の魅力をもっと発信していきたいとする。鹿島灘海浜公園も土地の魅力のひとつ。リニューアルは利活用者と一緒に行いたいと、「アイデアがあればご連絡ください」と広く門戸を開いている。
「鹿島灘海浜公園は県営の都市公園として整備され、23年前の平成12年(2000年)3月に開園しました。
高台にある国道51号に沿った“台地部”には、入り口、駐車場、芝生が敷き詰められた広場、子供向けの遊具を備えた広場、海を一望する展望築山、レストラン、ドッグランなどがあり、坂道を下っていった先の“海浜部”には、全長1kmに及ぶボードウォーク、ピクニック広場、松林、南北に3kmほども続く海岸線があります。
茨城県内には21カ所の県営による都市公園があるのですが、太平洋に面するという地理的な特徴を持った県東部にある同公園は、海浜利用の活性化が整備におけるひとつの目的でした」。
公園の概要を教えてくれたのは菊池さん。続けて、利用者に関しては市民、県民が多いと言い、平日でも昼頃になるとレストランでの食事を求める人が増えるのだと話した。
また暖かくなる春以降の週末は県外からの利用者が増加。駐車場が満車になる日も多いと言った。
言うまでもなく公園は公の場所だ。多くの人にとって有意義な場所となるから、税金を使って整備される。
そして同公園の場合、満車になるほど人を魅了するのは豊かな自然景観だ。きれいに整えられた芝生の向こうに鮮やかな海が広がる光景や、海を近くで感じながら過ごせる環境への好意的な声が、園の利用者からよく聞かれるのだという。
ここで思い出してほしいのは、茨城県は東日本大震災の被災地として震度6強を観測した地であるということだ。それにもかかわらず、公園が閉鎖されることも、海と人を切り離す建造物が設けられることもなかった。
隣接する自治体では、津波対策として沿岸部に高い防潮堤を新設するなどの施策が取られたが、鉾田市の判断は異なった。
その理由を菊池さんは地形に求め、「ほとんどの土地が高台にある鉾田市では、市街地も住宅地も海抜の高い国道51号から内陸部にあるのです」と言った。
海沿いにある周辺自治体とは異なる地形が津波による被害を最小限に抑えた。そして鹿島灘海浜公園の美しい景観と、市民にとって憩いの場となる環境は守られたのである。
「海がない地元での時間は想像がしにくいです」と話すのは同課建築係の市村航祐さんだ。鉾田市で生まれ育ち、大学進学のため県外には出たが就職時に帰郷。市役所に勤めて3年目を迎える未来の担い手である。
「幼少期から海にはよく行っていました。夏になれば海水浴はもちろん、学生時代も帰省すれば地元の友達と散歩をしにいったり。私はしませんが、サーファーの友人もいます。
これといって思い出深いエピソードがあるわけではないのですが、ごく普通に、海が近くにある感じなのです」。
鉾田に暮らす人の心象風景として海がある。都市部や内陸部に暮らす人のように特別な存在ではなく、夏の風物詩でもない。
そんな当たり前の存在だからこそ、わからないことがある。
「今、まさに公園をリニューアルしていこうというタイミングなのです。愛犬家の人に聞くと、ワンちゃんをドッグランで遊ばせたあとに足を洗えるような高さの低い蛇口がある水場が欲しい、といった声がありました。
また、キャンピングカーの駐車場やキャンプ場の整備を求める声もあるように感じていますし、もっと利活用者に“私たちの公園”という愛着を深めてもらえる施策を現実のものとしていきたいのです」。
そう公園の未来に触れた菊池さんはまた、「ただ、私たちの想像力には限界があります。皆さんの力を借りてアイデアを広く集め、意見を交わせるような機会をつくりたいと思っています」と続けた。
リニューアルを施し、もっと愛着深い場所へ

取材後、園内で撮影をしていると海岸線沿いにある広場でひとりの女性がキャンバスを立てて水彩画を描いていた。声をかけてみると、その人は東京から移住してきたのだという。
ご主人の出身が山のほうだったこともあり、「余生は海の近くで暮らしてみたい」と移住先を探し、縁があって鉾田市と出会い移り住んできたのだった。
東京から距離の近い湘南ではなかったのですね。そう聞くと「目的が余生を過ごす場所ですから。湘南はもっと若い人たちの場所のように思えて」と答え、「ここは静かでとても過ごしやすいですよ」と話してくれた。
そして移住後の暮らしをさらに豊かにしてくれたのが、この鹿島灘海浜公園だったという。
「実はこっちにくるまで公園の存在は知らなかったんです。今日は天気が良く、ぽかぽか陽気で、青い海もとてもきれい。こんな美しい風景と暮らせるなんてラッキーですよね」。
さらに、海でのアクティビティはされないんですか、と聞いてみる。
突然の声がけにも丁寧な対応をしてくれた女性との会話はわずか数分。立ち話といった雰囲気ながらも、彼女の言葉は示唆に富み、公園のユーザビリティを向上させるうえでの多くのヒントがあった。
国際基準のビーチパークへ。進化の余地は、まだ多分に残されていると感じるひとときだった。
熊野淳司=写真 小山内 隆=編集・文
