【お笑い界 偉人・奇人・変人伝】#257
藤山寛美さん
◇ ◇ ◇
「昭和の爆笑王」「喜劇王」──松竹新喜劇の大看板だった藤山寛美さん。40年以上も前の話になりますが、1度だけご挨拶をさせていただきました。
ある放送局のテレビのプロデューサーのAさんに「本多君は寛美さんと会ったことはあるの?」と聞かれ、寛美先生の楽屋に連れていかれました。
中から「どうぞ、お入りやす」という声が。「阪神巨人君とかいくよくるよちゃんの漫才台本書いてる本多君いう新人です。どこでお世話になるかわかりませんから、紹介だけしとこと思いまして」。Aさんに促され、私はガチガチになりながら、直角になるほど頭を下げました。「そうですか。初めまして藤山寛美でございます。よろしゅうにお頼みしときます。へ~え、漫才書いてはりますのん? むずかしいもんでっしゃろな。お芝居は書かはりませんのん?」「漫才だけです」「これから先、書かはるようにならはるかもしれませんし、その時はお世話になるようなこともあるかもしれませんから、ひとつよろしゅうお願い致します」と、大スターが若造だった私に和室の広い楽屋で額を畳にこすりつけんばかりに深く頭を下げられ、物腰の低さと謙虚さに恐縮すると共に驚かされました。
また寛美さんといえば、「キタ(梅田界隈)の(南都)雄二かミナミ(なんば界隈)の(藤田)まこと、東西南北・藤山寛美」と称されたように豪快な遊び方、お金の使い方でも有名でした。
月亭八方さんから伺ったお話ですが、若かりし頃、体調を崩されて入院をされていた時、お見舞いに寛美さんが来られた時のこと……。
初対面で大先輩、大スターの寛美先生が病室に来てくださり恐縮していると、持ってこられたアタッシェケースを示して「ぶしつけですけど、借金があると聞きました。ここに(1000万円)あるんで、良かったら使うてやってください。あんさんは将来のあるお方やさかい、こんなことで悩むのがもったいない。ご存じのように私には大きな借金がありまっさかい、1000万、2000万増えてもおんなじことですわ」という突然の申し出にビックリ。
寛美先生はさらに「遠慮しなはんなや」とすすめられたそうです。とはいえ、八方さんも「そうですか、ほんならちょっと……いうわけにいけへんがな。お気持ちだけありがたく頂戴いたします」と丁重にお断りをされたそうです。
テレビの人気者とはいえ、当時まだまだ若手芸人だった八方さんの実力を見抜いてリスペクトされているところもまた寛美先生のすごいところでした。
(本多正識/漫才作家)