【1975 ~そのときニューミュージックが生まれた】#93
1975年のテレビ界①
◇ ◇ ◇
今回は特別編「1975年のテレビ界」。
この年のテレビ界MVPといえば、この人しかいない──萩本欽一。
4月から始まった新番組、フジテレビ系「欽ちゃんのドンとやってみよう!」。略称のほうが有名だろう──「欽ドン」。
当時、土曜日の夜といえば、TBS系「8時だョ!全員集合」が「お化け番組」として君臨。その高視聴率はいかにも盤石と思われていた。
しかし萩本欽一は「お化け番組」攻略という、無謀な挑戦に成功する。
対立軸は、綿密なリハーサルを繰り返した計算ずくの笑いが売りの「全員集合」に対して、素人(からのハガキ)を生かして、アドリブの笑いを当意即妙に生み出していく「欽ドン」。
「バカウケ・ややウケ・ドッチラケ」のような流行語を生みつつ、「欽ドン」の人気はうなぎのぼり。番組開始から約半年後、「欽ドン」の視聴率が、ついに「全員集合」を上回るのだ。
それまでも萩本欽一は、コント55号として、坂上二郎を相手に、アドリブの応酬で責め立てるコントで人気を博していた。
そんな「アドリブ感覚」を縦軸に、「素人いじり」という横軸を加えて、この年、大成功を収めたのである。
さて、このような「全員集合」攻略法を、80年代において再現したのが、同じくフジテレビ系の「オレたちひょうきん族」だ。
しかし「欽ドン」の方法論をより先鋭化、アドリブ中心、業界ノリ内輪ウケOKの「ひょうきん族」が、皮肉なことに萩本欽一を追い詰めていくのである。
80年代前半、「視聴率100%男」と言われ(出演番組の視聴率を総計すると100を超えるという意味)、栄華を極めていた萩本欽一だが、そのほんわかとしたお笑い感覚は、キレッキレのビートたけしや明石家さんまと比べると、いかにも時代錯誤に思えたものだ。
ここで無理やり音楽の話に近づければ、
▼75年(あたり)から始まるムーブメント
▼素人っぽさが売り(=プロフェッショナリズムの否定)
▼長髪でなよっとしてほんわかとした感じ
など、当時の萩本欽一と彼が手掛けたムーブメントは、とても「ニューミュージック」的だったといえよう。そして80年代に入ってから、時代遅れとして取り扱われたのもニューミュージックと同様である。
総じていえば75年は、ニューミュージックとしての萩本欽一がテレビ界のMVPとして君臨した一年だった。 (この項つづく)
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▽スージー鈴木(音楽評論家) 1966年、大阪府東大阪市生まれ。早大政治経済学部卒業後、博報堂に入社。在職中から音楽評論家として活動し、10冊超の著作を発表。2021年、55歳になったのを機に同社を早期退職。主な著書に「中森明菜の音楽1982-1991」「〈きゅんメロ〉の法則」「サブカルサラリーマンになろう」など。半自伝的小説「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」も話題に。ラジオDJとしても活躍中。