庶民の味方100円均一ショップ。きっと多くの方が利用したことがあるのではないでしょうか。
そんな100円ショップですが、実は江戸時代にも似たようなショップがあったのをご存じでしたか?

今回は、現在の100円ショップにも通じる江戸時代の百均についてご紹介します。

■江戸時代の100円ショップ「十九文屋」

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江戸時代の100円均一ショップとも言えるお店は「十九文屋(じゅうくもんや)」と呼ばれていました。

その名が示す通り、ひとつの商品の値段は十九文均一。諸説あるものの江戸時代の一文を現在の貨幣価値に換算するとおよそ20円くらいと言われています。なので20円×19(十九文)で380円。つまり、江戸時代には400円均一ショップがあったのです。


あえて二十文にせず十九文で販売しているのは、現在の2000円ではなく1,980円で販売しているのと同じで、お得感をアピールするためだったと考えられます。

■十九文屋で取り扱っていた商品

十九文屋で取り扱っていた商品は、櫛や剃刀、鏡、盃、筆、墨、糸などの日用品や生活雑貨を始め、人形や煙管、将棋の駒などの嗜好品に至るまで、幅広く販売していました。

日用品や生活雑貨、嗜好品などを売っているのは、現在の100円ショップに通ずるものがありますね。

十九文屋が現れ始めたのは1700年代の江戸時代中期頃。現在の100円ショップのように店舗を構えていたわけではなく、路上で店を開く露天商だったと言われています。

十九文屋は大流行し、路上には露天商が居並び、商品を求めるお客さんでごったがえしていたと伝わっています。


■十九文屋が登場した時代背景

1700年代に十九文屋が流行した背景には「享保の改革」の存在が挙げられます。享保の改革は、江戸幕府第8代将軍 徳川吉宗が行った政治改革で、寛政の改革や天保の改革と並び「江戸時代の三大改革」に数えられています。

え!そうなの!?100円ショップのルーツは江戸時代に流行した「十九文屋」だった?


享保の改革を行った徳川吉宗(Wikipediaより)

享保の改革は質素倹約を推し進める改革だったため、民衆たちの財布の紐は固くなり景気が落ち込んでしまいました。そのような背景の元に生まれたのが、均一価格でお得に商品が買える十九文屋だったのです。

「均一価格でお得に商品が買える」という感覚も、現在の100円ショップと同じですね。

なお、景気の回復とともに十九文屋の流行も廃れていきましたが、1800年代初頭になると再び流行、露店は大いに賑わっていたと言われています。


■四文屋もあった

江戸時代には十九文屋だけでなく「四文屋(しもんや)」と呼ばれる均一ショップもありました。その名が示す通り、商品が四文均一で売られていたお店です。なお、四文は現在の金額に換算すると80円くらいと考えられています。

当時は「四文銭」というコインがあったので、まさにワンコインで商品が1つ買える均一ショップです。そういった意味では100円玉で商品が買える現代の100円ショップにかなり近いですね(消費税があるので100円玉だけでは買えませんけど・・・)。

四文屋では主にお菓子やおでん、煮魚などの飲食物を販売していたと言われています。


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四文屋の流行で団子は4つになったと言われている

ちなみに、かつては団子1串に5つの団子が刺さっていて五文で販売されるのが主流でしたが、四文銭が流行したために1串の4つの団子になったというエピソードが残っています。

■均一ショップは今も昔も大人気

江戸時代の100円ショップとも言える十九文屋。現在の100円ショップを多くの人が利用するのと同じく、江戸時代でも十九文屋は大繁盛しました。「お得に商品を買い求めたい」という欲求は、今も昔も全く変わらないんですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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