『太平記英雄伝』の森蘭丸
そして、森長可自身は、勇猛果敢で「鬼武蔵」と呼ばれるほど。
■森長可の人生
森長可(もりながよし)は、永禄元年(1558年)に森可成の次男として生まれました。父と長男が同じ年に戦死してしまったため、長可は13歳で家督を継ぎ、織田信長に仕えるようになりました。
ちなみに、森長可は信長から気に入りられ、「長」という一文字を彼からもらっています。
甲州征討の際に大きな功績をあげたことから、信長から信濃川中島四郡と海津城20万石を恩賞として与えられています。これは、織田家臣団の若者世代のあいだでは一番の待遇でした。
松代城(海津城)址
しかし、本能寺の変で事態は急変。主君に加え弟の蘭丸らも亡くなってしまいました。旧領の金山にもどり、あらゆる勢力を一年余りで殲滅し、なんとか勢力を拡大しました。
しかし、彼にも最期は訪れます。その後豊臣秀吉についた森長可ですが、小牧・長久手の戦いで、徳川家康からの奇襲を受け負けてしまいます。その後も別の部隊に加わりますが、その途中、徳川四天王の一人・井伊直政の軍の水野勝成(または安藤直次の説もあり)に撃たれなくなります。27歳という若さでした。
■森長可の人物像・性格
森長可は槍を使うのが非常に上手く、初陣の翌年に起きた第三次長島一向一揆攻めでは27人を討ったと言われています。そして、彼についたあだ名が「鬼武蔵」というもの。
戦国時代には、勇猛果敢な武将を「鬼」ということがありましたが、それだけ戦での槍さばきがすごかったのですね。しかし、同時に傍若無人な一面も持ち合わせており、トラブルも多かったと言います。
いかがでしたか?今回は、森長可についてご紹介しました。鬼武蔵と呼ばれた彼ですが、本能寺の変など、時代に左右された人物でもあったように思います。
この記事が、みなさんが少しでも歴史に興味を持つきっかけになれば嬉しいです!
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