江戸時代、湯屋はほとんどが「入込湯」や「打ち込み湯」と呼ばれる混浴でした。初めの頃は、男性はふんどし、女性は湯文字をつけていましたが、いつしか裸で入浴するように。


江戸時代の湯屋事情はこちらの記事もぜひ!

痴漢や売春もあった?江戸時代は混浴だった銭湯や温泉はどうして減少していったのでしょうか

江戸時代の銭湯は混浴の時代も…それでも江戸の女子が銭湯に通う理由

■混浴は風紀を乱すため「入込湯厳禁」に

江戸時代の湯屋のほとんどは混浴だった。みんな意外と抵抗なかっ...の画像はこちら >>


カップルにとって湯屋はデートスポットでもありました。また、男性が女性の体に触ろうとすることもしばしば。これを見逃さず、入込湯厳禁にしたのが、寛政の改革を行った松平定信です。

なんせ彼は禁欲主義者で、男女のまじわりは子孫を残すためのものと考える人なので、混浴なんてあってはならないと思ったのでしょう。この「入込湯厳禁」の町触れは、湯屋にとっては歓迎できないものでした。なぜかって?男女の入浴日を分けたり、男湯と女湯を分けると、客も面倒なのでしょう。どうしても客が少なくなってしまうのでした。

そこで、湯屋が考えたのは、混浴でなければよいのだということ。つまり、浴槽の中を仕切って、洗い場や脱衣所も男女別にしました。といっても、仕切りは粗末なもの。浴槽の下の方はトンネルになっており、そこを抜ければ男風呂から女風呂に行けちゃうのですね。

厳しく取り締まっているようで、実はそうでもなかったともいわれています。
というのは、この入込湯の禁止令は、江戸のみ。ほかの地域では、混浴でも問題なかったのです。さらに江戸であっても、男のみの社交場になっている湯屋2階からは、女湯を格子越しに見下ろすことができたのです。

女性の裸を拝み放題…今となっては信じられないことですが、江戸時代はそれがごく普通のことでした。

■入込湯には便利な一面も

そして入込湯は、意外と入浴客にとっても便利だったのです。夫婦は一緒に入ることができるし、子どもがいれば家族全員でまとめて入ることができます。

江戸時代の湯屋のほとんどは混浴だった。みんな意外と抵抗なかったってホントなの?


独身女性からも、そこまで入込湯反対の声はなかったよう。男性が少ない時間帯にする、女性何人かで入るなど工夫することで、風呂の中で男性に何かされるリスクはぐっと少なくなりました。

埃っぽいこともあり、とにかくきれいさっぱりとしたい江戸っ子たちは、細かいことはあまり気にしなかったのでしょう。それにしても、さぞかし湯屋の中は騒がしかったことでしょうね。

江戸の風呂, 大江戸暮らし

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

編集部おすすめ