店の業績が悪化していたちょうど同じころ、柿沼さんたち家族は重大な危機にも直面していた。敬子さんが病に倒れたのだ。

「62歳のときに大腸がん、それから64歳で子宮がんになっちゃってね。入院したのは、すぐ近くの大学病院。家族の皆にちょいちょい来てもらわないといけないからね(笑)。おかげさまでがんは両方とも患部を全部、手術で取っちゃって、事なきを得たんだけどね」

こともなげに話す敬子さん。だが当然、家族は大いに心配した。正道さんは「とくに父がショックを受けていた」と話す。

「ものすごい落ち込んじゃって、当時の父は小さくなっちゃった感じで。『母さん、死んじゃうかも』なんて言ってさ。頭の中、真っ白になっちゃってたんじゃないかな。

だけど、当の母は強いんだよ。おなか切って3週間ぐらいだったかな。『病院で寝ててもやることないから』って、店に来ちゃって。

『座ってれば大丈夫』って、総菜用の里芋の皮、むいたりしてたんだ」

佐千子さんも言う。

「病室で仲よくなった同じようにがんを患った人たち、その後、何人か亡くなっちゃってね。

母やその人たちを近くで見ていて思ったのは、気持ちの強さが大事ってこと。亡くなってしまった人は、がんにおびえているみたいだったから。『次はどこに転移しちゃうんだろう』と。その点、うちの母は強い。やりたいことも多いからかもね」

子どもたちの言葉を聞いていた敬子さんはにっこりほほ笑んだ。

「子宮がんで入院してたとき、病室のテレビでSMAPがシンガポールの『マリーナベイ・サンズ』ってホテルを紹介してる番組を見たんですよ。

『いいなぁ、治ったら絶対行ってやる』って思ったのよね。子どもたちも『もらった命なんだから、第二の人生、楽しまないと』と言ってくれたからね。退院後に、主人とシンガポール行って、屋上のプールでしっかり泳いできましたよ(笑)」

“家族の要”の病状がV字回復を果たすと、不思議なもので、店の業績も徐々に復調していった。

■“家族仲よく”“誠意はものでしか伝えられない”が柿沼家のモットー

「気づいたらここで働いてました」

こう言って笑ったのは、敏治さんの次男で、前出の優助さんの次兄である健治さん(29)だ。

「『調理師専門学校のお金、出してあげるから、何年間か総菜作りをやらないか?』って感じで祖父母に言われまして……。気づいたら10年以上、ここにいます(苦笑)」

敬子さんは「この子が味を引き継いでくれてるから、私はもういつ抜けても大丈夫なのよ」と笑う。

佐千子さんも「健ちゃんは味の再現がしっかりできる。それはホント、上手」とうなずいた。いまや2人の先輩も認める期待の第3世代だ。

いっぽう、敏治さんの長男・真央さん(31)は両親と一緒に野菜を担当しながら、SNSを駆使して特売情報を発信するなど、店に大きく貢献している。そこで敏治さんの妻で、真央さん、健治さん、優助さん、それに陽治郎さん(15)と、4人の息子の母である美枝子さんにこんな質問をぶつけてみた。

「家業に縛られることなく、息子たちには好きなことをやってもらいたいと思ったことは?」

すると美枝子さんは笑顔で首を振って、こう続けた。

「真央は一時、運送会社に勤めていたことがあるんだけど、八百屋の手が足りなくて手伝ってもらってるうちに、欠かすことのできない存在になったのよね。ただ、一度は外の世界を経験しているから『そこは、もっとこうしたら?』『よそではこうやってるよ』と店の運営についても、ちゃんと意見をしてくれる。それは、とてもいいことだと思う。

そして、健治も優助も八百屋をやりながら、それぞれ飲食の仕事を、いまやっていて。

そうやって外の世界を自分たちなりに吸収しているから、きっとうちの子たちは大丈夫(笑)」

末っ子の陽治郎さんは、まだ高校生。すぐ上の兄・優助さんは日ごろから、この年の離れた末弟に「軽々しく八百屋になるなよ」と話しているという。

「やるなら覚悟を決めてからにしろって言ってます。もちろん、やりがいもあるし、家族と一緒に働けるのはとても楽しいですけど、拘束時間、すごく長いんで(苦笑)」

すると、健治さんが口を挟んだ。

「いや、陽治郎もいずれは八百屋じゃない? だって『絶対やらない』って言ってたいとこも最近、レジ打ちしたり手伝ってるじゃん。柿沼家は皆、気づいたらここにいるってことになってるんだよ(笑)」

孫たちの会話を、敬子さんはニコニコとうれしそうに聞いていた。

「それでいいのよ、『家族仲よく』がうちのモットーなんだから」

すると、今度は佐千子さんが「うちは家族仲がよすぎ、気持ち悪いぐらい」と笑った。

「毎日、店で顔合わせてるのにさ、お正月とか連休とかも、皆で一緒に遊びに行くもんね(笑)。あと、柿沼家にはもう一つ、モットーというか家訓があって。それは『誠意はものでしか伝えられない』なんだけど……」

笑いをこらえるようにしながら、正道さんが補足した。

「僕らきょうだいが通った保育園の園長先生がね、うちの両親ら保護者に言ったんだって。

『いくら頭下げられたってね、誠意はものでしか伝わりませんよ』って。

大人になったいま、園長もすごいこと言ったもんだと思うけど(笑)。でも、間違ってないよね。それで、わが家の家訓にいただいたわけです」

でも、この考え方が家族の結束に一役、買っているのも事実だ。

「家族経営って甘えが出て、お金の面なんかでも、なあなあになりがちだけど、うちは違います。うちは父の方針で、たとえ子や孫であっても、給料はしっかり払うから。だから皆、お金が原因で『辞めたい』とはならないんだよ」

少子高齢化が進み、さまざまな分野で人材不足という課題を抱える日本。それは青果業界も同じだ。正道さんはこう続けた。

「働き手や後継者がいなくて、廃業に追い込まれる同業者、本当に増えてます。

その点、うちはこれだけの人数の家族が結束してるから、いまのところ、その心配はない。会長の誠意も給料できちんと伝わってるし(笑)、何より家訓どおり、家族皆仲よく店をもり立てていきたいって思ってますから」

物価高に人手不足……せちがらい令和を生き抜くヒントが、“まるで昭和”な青果店にあるのかもしれない。

■勝ち負けじゃないからウィンウィじゃなくて“ハッピーハッピー”に

「大家族の青果店に嫁いでくることに抵抗? それは全然なかった。

私は結婚するまで設計の仕事をしていたんですが、100人ほどの社員全員が家族のように仲がいい会社に長く勤めていたので。むしろ、嫁ぎ先が核家族だと寂しいなと思っていたぐらいです」

正道さんの妻・かお里さんが話す。

「会社勤めをしていると、仕事と家族の用事って、どうしても相いれないところがありますが、ここではそれが一体なので。その点はすごく楽。子どものことで仕事を休まざるをえないとき、会社員だったら同僚に気を使いますけど、ここは職場の全員が子どもの祖父母、叔父、叔母、いとこですから」

敏治さんの妻・美枝子さんも同意見だ。

「家族が多いと意見がぶつかったり、昔は悔しい思いをしたこともありました(苦笑)。でも、こと子育てに関しては、皆が(子どもを)見てくれている安心感があった」

2人の“嫁”が抱いた安らぎ、それは彼女たちの“姑”である敬子さんも、かつて感じたものだ。

「だって、昔はお姑さんや家族、皆で子どもの面倒見るのが当たり前だったからね」

そう、子育てや働き方、女性の生き方といったシーンでも、ここでは“昭和の当たり前”が息づいている。かお里さんは「ですから」と力を込めた。

「ここではワンオペどころか、常に十数人の心強い味方が、育児に手を差し伸べてくれているんです」

祖父母や両親に子や孫も、嫁も舅も姑も、それに仕入れ先の業者も店の客たちも……。関わる皆がハッピーな笑顔の八百屋さんには、今日も威勢のいい声が響く。

「安いよ、安いよー!!」

(取材・文:仲本剛)

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