大阪・道頓堀のシンボル、江崎グリコの看板が11月末で「一旦見納め」、リニューアルされ新たな「7代目」が来年春にお披露目される予定です。

(江崎グリコ 三木依子さん)「道頓堀グリコサインはグリコの歴史と企業理念を象徴するシンボルです。

このたび、リニューアル工事を実施することになり、(今年)12月よりリニューアル工事を開始いたします」

大阪を代表するシンボルのひとつ「グリコサイン」。今の看板は2014年から掲げられている6代目で、今回のリニューアルは12年ぶりです。

(観光客)
「変わるんですか?ポーズは変わるんですか?」
「動いたらいいね。アクションが一つあったら」
「看板とお会いしたの初めて」
「カニも見たけど、これが一番目に入る感じですね。楽しみもあるね」
「どういうふうに新しく変わるか」

新しいデザインはまだ発表されていませんが、そもそも、初代はどんなデザインだったのでしょうか?その頃の街の様子とともに振り返ってみると…

1933年、梅田から心斎橋まで地下鉄「御堂筋線」が開通。その頃から、ミナミは人々が行き交う繁華街として栄えていたことがわかります。

そんなミナミに1935年、建てられたのが、初代グリコの看板です。「全国から人が集まる場所」として、戎橋の横に設置され、夜も目立つよう、大きな文字がネオンで浮かびあがるデザインでした。高さ33mのこの看板は、一躍ミナミの名物になったといいますが、戦況が厳しくなり資材として解体されます。

看板が再建されたのは、高度経済成長期が始まった1955年。

2代目は下にステージが設置されたユニークなもので、なぜか、ワニの人形がピアノを弾いていました。グリコも「なぜワニなのか、当時の担当者がおらずわからない」としていて、人形劇なども演じられたということです。


3代目は東京オリンピックの前年、1963年に登場。

ランナーの中央部から12トンもの水が噴き出す、という派手な仕掛けがあったといいます。そして、1972年にバトンタッチした4代目は、今と近いデザインに。昭和平成と時代をまたぎ、24年間ミナミを照らし続けました。

しかし、1996年、隣のビルの建て替えに伴って、ネオンが消され、撤去されました。

物が売れない、平成の大不況真っただ中の1998年。ヒョウ柄、厚底が溢れたミナミの街に再登場したのが5代目の看板です。

ベッカムブームが巻き起こった日韓サッカーワールドカップのときには、サムライブルーに衣装チェンジ。阪神タイガースの18年ぶり、リーグ優勝のときには、ユニフォーム姿で一緒に大阪の街を盛り上げました。

2014年から登場した現在の6代目は当時、最先端だったLED電球を14万個使った、“動く”看板にバージョンアップ。

それまで背景の色を変えることしかできませんでしたが、多彩な映像を映し出すことができ、人々の話題を集めました。

夜はネオン昼は看板として、ミナミの街を照らしてきた大阪のシンボル。
7代目への期待が高まりますが。

(江崎グリコ 三木依子さん)「(看板に訪れる人は)1日平均7万人~8万人というふうに聞いておりますので、多くの人がご覧になっているかなと思います。お示ししているグリコのランナーはグリコが創業の精神としてこれから目指す“健やかな毎日豊かな人生”というパーパス実現のための重要なマークです。7代目でもこちら(ランナー)が主役になった看板に間違いはありません」

6代目は11月末まで設置され、来年春に7代目がお披露目されるということです。

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