訪問サービスのリスク
在宅医療医が感じる身の危険
超高齢化社会に突入した今、介護や医療の提供体制は大きな課題となっています。そこで「第3の医療」として全国で推進されているのが在宅医療です。
在宅医療は地域包括ケアシステムの中でも、市町村や介護事業所と連携して、高齢者が最期まで住み慣れた地域で暮らせるよう支援するための大きな柱となっています。
現在、在宅医療に対応する医療機関の数は、診療所全体の約20%、病院では約30%となっています。
厚生労働省や自治体でさまざまな取り組みが進められる一方、近年新たな課題が浮き彫りになりました。それが医師の訪問時の安全対策です。
2022年1月、埼玉県にて在宅診療医が患者の遺族に殺害されるというショッキングな事件が起きました。この事件を契機として、在宅ケアにおけるリスクの実態調査が進められています。
全国在宅療養支援医協会が在宅診療医を対象にしたアンケート調査によれば、約4割が「身の危険を感じるような経験」をしたことがあると回答。また、埼玉県では、介護職員まで対象としたアンケートを行い、暴力・ハラスメントを受けたことがあるという回答は50.7%に上りました。
在宅ケアサービスを提供する医師や看護師、介護士など、さまざまな職種で、利用者やその家族から暴力やハラスメントを受けているという実態が明らかになっています。
危険を感じた具体的な事例
では、具体的にどのような事例が起きているのでしょうか。
前述の全国在宅療養支援医協会の調査によれば、「乱暴な言葉・怒鳴る・暴言」が17件で最多。そのほか、「ハサミ・刃物による脅し、暴力行為」10件、「暴力や物を投げつけるなどの行為」9件、「長時間患者宅に軟禁」5件など、直接身体に危険が及ぶような行為に遭遇するケースが発生していることがわかっています。
また、埼玉県の調査でも、「髪の毛を引っ張られ、転倒させられた」「包丁をもって威圧された」「通常提供する以上のことを要求され、断ると怒鳴られる」「訪問先で玄関の鍵をかけられ監禁された」などが報告されています。
いずれも身体的な影響が大きく、安全対策が急務となっています。
訪問サービスの問題点
国による具体的な安全対策がない
これまで国による暴力・ハラスメント対策は、主に介護現場を中心に行われてきました。現状では在宅診療などの訪問系サービスにおける安全対策に関するガイドラインはありません。
利用者の自宅という環境下では、さまざまなリスクが伴います。介護施設では利用者の近くにはない包丁や工具などを容易に手にできるほか、ときには銃火器が保管されている家もあります。
また、在宅診療においては制度的に診療拒否や途中終了、途中退出などができないようになっています。仮に利用者が暴力をふるおうとした際の想定がなされていないのです。
そこで、現場からは暴力などがひどい場合は診療を拒否できるような制度にしてほしいといった要望があがっています。
また、暴力などにつながりやすい精神疾患をもつ利用者・患者への対策も必要かもしれません。利用者に妄想などが生じた場合、危険行為に及ぶリスクが高まるからです。そのため精神科医やカウンセラーなどが同行するといった対策を求める声もあります。
在宅診療の整備に力を注ぐあまり、安全対策がおざなりにされてきたといえるでしょう。
地域の各機関との連携を強化
国による対策がないため、現状では各地域の連携で対策に取り組むしかありません。
何らかの被害にあった場合は必ず報告し、関連する病院やケアマネ、介護事業所などと連携して情報共有を徹底しています。
しかし、自治体や地域包括支援センターだけでは、こうした事例に対処しきれないとも指摘されています。
そこで、こうした対策でも不十分だった場合は、警察などと連携する必要があります。弁護士や警察が早期に介入できる地域連携の仕組みづくりが求められています。
事業所ができる対策とは?
現状で行われている対策
現在、具体的な安全対策については事業所レベルでの取り組みにとどまっており、それぞれ独自に対策を行っています。
たとえば、以下のような例が挙げられます。
パンフレット 各機関で患者向けパンフレットや対応マニュアルを作成して啓発活動を実施 傾聴 患者や利用者の立場に寄り添って、できる限り意見を聞き、危険だと感じた場合は断言した言い方をせずに、さらに話を聴く 予測と情報共有 初回訪問時にできるだけ多くの情報を集めて危険な人物かどうか判断する。関係する病院やケアマネ、介護事業所とも情報を共有して単独で患者と折衝しない 危険回避 一人で訪問せず、男性スタッフのみで対応。自宅内で危険が生じやすい場所には行かない 防犯対策 警備会社の緊急呼び出しボタンを携帯して持っていく。ウェアラブルカメラなどを装着して、何が起きているのかをリアルタイムで記録こうした取り組みは大切ですが、安全対策として十分かどうかは検証が必要です。今後も実態把握を進めながら、どのような対策が有効なのかを調査していくことが大切でしょう。
在宅医療の意義を理解してもらう
在宅診療を受ける患者の多くは、改善が困難な疾患、身体面・認知面の衰えを抱えていることが多くあります。訪問介護などでは要介護度の改善を目的にすることがありますが、在宅診療では終末期の患者が多いことも関係しています。
そのため、在宅診療では「治す医療」ではなく「支える医療」を用いることが多いのです。
一方で、ご家族としては在宅医療でも「治る」と信じているケースがあります。
たとえば、医師が「もう治療は難しい」と家族に告げた際、「なぜ治せないのか」と激高することもあるでしょう。
こうした誤解が生まれないよう、在宅医療の意義をしっかりと本人や家族に伝えて、安らかな最期を迎えてもらうための心構えを生み出していくケアが大事になります。
具体的には「ACP(アドバンス・ケア・プランニング)」などの提供です。これは、ご家族や近しい人、医療・ケアチームが、繰り返し話し合いを行い、患者さんの意思決定を支援するプロセスのことです。患者さんの人生観や価値観などに沿った、将来の医療やケアを具体化することを目標にしています。
あらかじめこのような話し合いをしておくことで、治療時におけるご家族からの理不尽なクレームや過剰な期待からくる暴言やハラスメントを防ぐことにつながります。
こうした予防措置をとりながら、実際に危険な行動が起きてしまった際の対応方法など、事後措置を整備していくことが大切ではないでしょうか。