79~81年のメイクス(メーカー)選手権2位やサファリラリー連覇など、輝かしい戦績を持つPA10バイオレットの後を継ぐWRCマシンとして生を受けた240RSは、83年1月にグループBとしてFIA(国際自動車連盟)のホモロゲーションを取得し、グループB元年となったその年の開幕戦モンテカルロでデビューを飾っている。
ホモロゲ取得に必要な200台の中から、特別に仕立てられたワークスチーム用30台のエボモデルは、当然ベースモデルとは別ものだった。ベースモデルが240psのところ、ドライサンプ化された2340ccのFJ24型エンジンは、カムシャフトの形状変更と圧縮比が高められた結果、このデビュー戦の時点で+40 psの280psを発生、トルクも24kg‐m╱6000rpmから26.5kg‐m╱6400rpmへと向上している。その他、ブレーキも前後ともφ261mmのベンチレーテッドディスクに(ロードモデルはリアのみφ258mmソリッド)、ハンドブレーキも油圧式ものを採用、燃料タンク容量を7L増やすなど「エボ」への変更点は多岐にわたっている。
また、グループBでのWRC出場を契機に、ヨーロッパでの本拠もアンディ・ドーソン率いるDADから、GMでの活動で知られていたビル・ブランデンシュタインのブランデンシュタイン・レーシングへと移し、ラリーオペレーションも一新された。
83年初戦のモンテカルロは、エースドライバーのティモ・サロネンが14位、続くポルトガルではサロネンがリタイアし、テリー・ケイビーが8位。開幕の2戦を終え、4WDシステムをさらに熟成させてきたアウディ・クワトロや、純グループBとして前年からテスト参戦を続けてきたランチア・ラリー037とのポテンシャル差が、早くも露見していた。そして、そんな中で迎えたのが、日産にとってのメインイベントであるサファリだった。
この年のサファリは、ランチアこそ姿を見せなかったものの、アウディ・ワークスが3台のクワトロをエントリー。日産と同じFR車アスコナを擁するオペルも2台を送り込み、シェカー・メッタ、マイク・カークランドの地元勢にサロネンを加えた3台態勢で、5連覇を狙う日産との三つ巴の戦いが予想された。
そして、ワークス・グループBカーの激突でかつてないハイペースとなったラリーは、厳しい消耗戦になる。
初日、中盤に1‐2‐3態勢を築いていた日産は、メッタ、カークランドがエンジントラブルでリタイア。サロネンひとりが孤軍奮闘する形に。アウディは地元のビック・プレストンJrが初日後半から首位に立つが、ハンヌ・ミッコラ、ミシェル・ムートンの欧州組は度重なるトラブルで出遅れ、オペル2台も大きくタイムロスしていた。
そして迎えた最終日、早朝にプレストンJrがクラッシュして、サロネンが再び首位に立つ。2位以下は大きく遅れており、デビューから3戦目にして240RSの初優勝、日産のサファリ5連覇は確実になったかと思われた。
だが、この年のサバンナは無情だった。
サファリチームを率いていた若林隆監督が「1万5000kmも走ってノートラブルだったエンジンなのに。それでもテスト不足だったのか……」と嘆いた非運だった。
千載一遇のチャンスを逃してしまった日産と240RSは、その後、コルシカ、アクロポリス、ニュージーランド、1000湖、RACと転戦。
翌84年、WRCの情勢は日産にとってさらに厳しいものになる。アウディはクワトロA2を、ランチアは037にエボリューションモデルを投入。FRにとどまったオペルも新車マンタを、さらにトヨタからはセリカTCターボも登場。240RSの相対的な戦闘力は下がり、この年は上位入賞すら望めなくなった。唯一の期待はサファリだったが、ここではセリカTCターボが240RSの前に立ちはだかる。
それまでヨーロッパのスプリントラリーをメインに活動していたトヨタだったが、ワークスとして初挑戦となった84年のサファリをセリカTCターボであっさりと制覇。翌85年も2391ccにボアアップしてエボリューションモデルとなった240RSを返り討ちにしてしまう。そして、トヨタの豊富な資金とオベ・アンダーソンによる洗練されたラリーオペレーションは、次第に日産から「WRC日本代表」の座を奪い取っていくことになる。
85年末、日産は長らくWRC活動を担ってきた若林率いる「追浜ワークス」を解散して、NISMOを新設。モータースポーツ活動の態勢変更を発表した。ここで240RSによるワークス活動は終了することになった。
240RSのラリーヒストリーを、時代に翻弄された悲劇とくくるのは簡単だ。しかし、世界各国のプライベーターは、ワークス撤退後もグループB規定が終了する86年末まで240RSを愛用し、WRCに存在感を示し続けた。PA10バイレットのような華々しい戦績こそ残せなかったが、ターマックからラフグラベルまで、不利を承知で欧州グループBカーに挑み続けたチャレンジング・スピリッツも含め、240RSはもうひとつの「ラリーの日産」を象徴するクルマとして、記憶にとどめておくべきラリーカーなのだ。
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