トヨタも1963年秋の第10回全日本自動車ショーに、VIP向けのショーファードリブンを出品した。2代目クラウンの全幅を1845mmまで広げ、国産乗用車初の90度水冷V型8気筒エンジン(2599cc)を搭載した「クラウン・エイト」だ。


1964年春に発売されたが、装備の充実ぶりは驚くばかりである。トヨグライドと呼ぶATを設定し、パワーウインドーやパワードアロック、パワーシート、オートドライブ(クルーズコントロール)など、快適装備はアメリカの高級車と遜色なかった。

 第10回ショーには三菱もコルト・デボネアを参考出品している。言うまでもなく、これは翌年夏に出る「デボネア」のプロトタイプだった。エンジンは2Lの水冷直列6気筒OHVでスタートしたが、排ガス規制が厳しくなった70年代半ばに2.6Lのアストロン80に換装し、名実ともに3ナンバーのプレミアムセダンに成長した。

 年号が平成に変わる80年代後半まで、3ナンバーの普通車は富の象徴といえる高級車である。
自動車税はベラボーに高く、庶民がおいそれと納められるほど安くはなかった。1965年からの10年間、2Lエンジンを積む小型車のクラウンやグロリアの自動車税は年間2万4000円だ。当時の庶民にとって1カ月の生活費に近い税額だったのである。これだけでも重い負担だと思うのに、3ナンバー車はほとんどが9万円と、とてつもなく高額だった。3ナンバー車のほとんどが法人需要で占められていたのも納得がいくところである。

 5ナンバー車をベースにしているが、当然、別格だ。
雲の上の存在だった。超のつく高級車で、ステータス性も飛びぬけて高い。だから最高の装備をおごり、動力性能も秀でていた。

 1965年秋、日産は戦後初のフルサイズカー「プレジデント」を発売。67年にはトヨタもクラウン・エイトの後継となる「センチュリー」を送り出している。エンジンは両車とも3Lを超える水冷V型8気筒。
最初から3ナンバーの普通車として企画され、開発された正統派のショーファードリブンだ。この2つのモデルは威厳はあるが、セドリック・スペシャルやグランド・グロリア、デボネアのように、運転する姿が粋だ、カッコいいと思えるクルマではなくなっていた。

 プレステージ性の高いドライバーズセダンは、クルマ好きにとって羨望の的であり、究極のセダンだった。

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