1964年春に発売されたが、装備の充実ぶりは驚くばかりである。トヨグライドと呼ぶATを設定し、パワーウインドーやパワードアロック、パワーシート、オートドライブ(クルーズコントロール)など、快適装備はアメリカの高級車と遜色なかった。
第10回ショーには三菱もコルト・デボネアを参考出品している。言うまでもなく、これは翌年夏に出る「デボネア」のプロトタイプだった。エンジンは2Lの水冷直列6気筒OHVでスタートしたが、排ガス規制が厳しくなった70年代半ばに2.6Lのアストロン80に換装し、名実ともに3ナンバーのプレミアムセダンに成長した。
年号が平成に変わる80年代後半まで、3ナンバーの普通車は富の象徴といえる高級車である。
5ナンバー車をベースにしているが、当然、別格だ。
1965年秋、日産は戦後初のフルサイズカー「プレジデント」を発売。67年にはトヨタもクラウン・エイトの後継となる「センチュリー」を送り出している。エンジンは両車とも3Lを超える水冷V型8気筒。
プレステージ性の高いドライバーズセダンは、クルマ好きにとって羨望の的であり、究極のセダンだった。
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